京都府生まれ。写真は「あすなろ園(心身障害児通園施設)」に勤務の頃の勇姿。24歳から44歳まで交野市。この園で関わった子どもたち、母親、先生たちから、人生で大事なことのすべてを学んだ。
45歳から、同志社女子大学、児童文化研究室へ。学生たちの苦悩の深さを知る。物語が人を支えるところを日々実感。70歳、退職。下は古希の写真。若き面影がなくなる老いも良いものだと思う。
私の近所に1960年代までは水落池(みずうちいけ)という大きな池がありました。自転車で5分もかからないところです。小学生の頃までは、夏休み、よく泳ぎに行きました。たぶん禁止されていたと思いますが・・。池の表面は生ぬるいのですが、少し潜るとヒヤッと冷たく、あわてて、水面に上がったものでした。その池のこちら側から、向こうの山沿いの岸まで泳ぐのが楽しみでした。でも、その池も、今では学研都市と住宅の造成のために、山は削られ、池は小さくされ、周りはコンクリートの壁で被われ、さらに高いフェンスで囲まれ、立ち入り禁止の札があちこちに貼られる状態になっています。今では、横を通る幹線道路から見下ろす位置にあり、春には周囲に植えられた美しい桜を、通る人たちは眺めるだけで、昔、この池で子どもたちが泳いでいたことなど、想像も出来なくなっています。私は今、健康のためにこの幹線道路を自転車で通りながら、チラチラと池を見て通り過ぎるだけでしたが、3月のある日、そこに鳥の泳いでいるのに気がつきました。最初は数羽しか見えなかったのですが、自転車を止めて見ているうちに、何日かすると水草の間から、つぎつぎに鳥たちが出てきて、並んで泳いでいるのにびっくりしました。それであるときに、フェン越しにカメラを構えて、たくさんシャッターを押しました。まだ寒く、北風でフェンスも揺れる中、望遠の距離感もうまくつかめずに、やたらとカンでシャッターを押して撮った中に、上の写真が取れたので紹介します。マガモです。頭が美しい緑色をしているのがオスで、茶色がメスです。3月の後半には、全部で40羽ほどいたでしょうか。きっと子どもが育っていたんですね。でも、4月のはじめになると、その姿は見られなくなりました。北国に旅立っていったんでしょうか。