自著紹介

自著一覧


『いじめ』ミネルヴァ書房2019.4.1
『いじめの解決 教室に広場を』言視舎2018.7.31
『『君たちはどう生きるか』に異議あり』言視舎2018.4.30
共著『もういちど自閉症の世界に出会う』ミネルヴァ書房2016.7.30
『鶴見俊輔』言視舎2016.5.31
『宮崎駿再考』平凡社2015.7.15
『古事記の根源へ』言視舎2014.9.30
『徹底検証 古事記』2013.10.31
『増補版 次の時代のための吉本隆明の読み方』言視舎2012.5.31
『長新太の絵本の不思議な世界』晃洋書房2010.4.20
『「食べる」思想』洋泉社2010.3.12
『あなたの哲学』講談社2010.1.20
『MC新書版 初期心的現象の世界』洋泉社2007.8.20
『自閉症』筑摩書房 2006.7.16
『宮崎駿の「深み」へ』平凡社2004.10.8
『カップリングの思想』平凡社2004.10.8
『次の時代のための吉本隆明の読み方』洋泉社2003.4.17
『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社2002.3.20
『10代の真ん中で』岩波書店2002.1.18
『哲学の木』平凡社2001.3.22
『なぜ大人になれないのか』洋泉社2000.9.21
『13歳論』洋泉社1999.2.26
『ことわざの力』洋泉社1997.3.26
『子どもの笑いは変わったのか』岩波書店1997.11.7
『「いのち」論のひろげ』洋泉社1995.10.5
『「怒り」の構造』宝島社1993.11.20
『恐怖とは何か』宝島社1992.8.1
『児童文学はどこまで闇を描けるか』宝島社1992.3.1
『「いのち」論のはじまり』洋泉社1991.2.1
『「銀河鉄道の夜」とは何か』大和書房1987.7.10
『未形の子どもへ』大和書房1989.2.10
『「人間失格」の発見』大和書房1988.2.25
『新しいキルケゴ-ル』大和書房1986.11.30

詩集『小さくなあれ』長新太・絵 大和書房1985.6.25
『子ども体験』大和書房1984.10.30
『理解のおくれの本質』大和書房1983.4.10
『初期心的現象の世界』大和書房1981.6.10




『い じ め』
─ 10歳からの「法の人」への旅立ち─

ミネルヴァ書房 2019年4月11日


「小さな正義」がいじめに発展しないように
いじめを教室の中だけの出来事に終わらせてはいけない

本書では、十歳から「法の人」になるための「クラス運営」を提示し、それがなされずに起こった悲惨な二つの〝事件〟を検証する。子どもたちは十歳を過ぎると、自分たちで「グループ」を作り「グループの掟」を作る。
教師の「見えないところ」で「違反者」を見付け、「裁く」ことを始める。「私設の裁き」である。こういう事態を招かないために、教師が、教室を「公の場」として成立させるためには何をするべきかを提案してゆく。
 
―目次―
序 章 「法の人」とは
第1章 「いじめ」とは──「いたずら」や「ふざけ」との違い
第2章 10歳からの旅立ち──「法の人」となる
第3章 「先生の力」とは何か──「法の人」を育てる
第4章 「葬式ごっこ」──中野富士見中いじめ自殺事件を考える
第5章 「NEXT」──「佐世保小六女児同級生殺害事件」を考える
第6章 いじめへの対策──「二分の一成人式パスポート」
第7章 10歳からの「法」──「少年法」との関わりについて
第8章 学校と警察との関係はどう考えるのか──「連携」の本当の意味
第9章 いじめと少年法と警察と──「子どもの権利条約」
第10章 「いじめ論」──本を読む、深くふかく読む
終 章 思想としてのいじめ


『いじめの解決 教室に広場を』

「法の人」を育てる具体的な提案

言視舎 2018年7月31日

 

大人はいじめを解決できない!
法律をつくり、「見回り」やスクールカウンセラーを増やしても、いじめはなくならない。
子ども社会に潜むいじめを生み出す人類史的な構造を見据えながら、「大人の監視」を強めるだけの国や学校の施策に対し、子ども自身の手で問題を解決しうる方策を具体的に提案する。本当に役立ついじめ論。


―目次―
はじめに――「法の人」を育てる
第1章 教室に広場を
第2章 「広場」をどうつくるのか
第3章 いじめを描く文学作品の読み解き――「文学の力」へ
第4章 立法として制定された「いじめ防止対策推進法」異論
第5章 もう一つの「広場」考
第6章 いじめ 出来事と研究(大津市中2自殺事件」と森田洋二『いじめとは何か』)
あとがき

 


『君たちはどう生きるか』に異論あり!

言視舎 2018年4月30日

 

 「人間分子観」について議論しましょう

 「進歩」優位の人間観は
「生き方」のお手本にはなりません!
「大地に生きる」生き方を、大いに議論しましょう
『君たちは・・・』に指摘したい重大な問題点
◎人間観 ◎すり替え ◎英雄礼賛 ◎解決法

―目次―
はじめに――私たちが戦わなければいけないものの見方について
一 へんな経験――「上から見る目」の出現、コペル君の「人間分子観」
二 勇ましき友――「腕力」を前提にした思考
三 ニュートンの林檎と粉ミルク                        ――「網目の法則」は「取り替え」がきく人間関係
四 貧しき友――「労働する人」の話へのすり替え
五 ナポレオンと四人の少年――漫画版でカットされた「かつ子」さん
六 雪の日の出来事――コペル君の「臆病さ」は悪いことではない
七 石段の思い出――「お母さんの後押し」という構図
八 凱旋――「解決」させたのは親
九 水仙の芽とガンダーラの仏像――「目・口・尻」をもつ存在

 

 

共著紹介

もういちど自閉症の世界に出会う 「支援と関係性」を考える

ミネルヴァ書房
 2016年7月30日


自閉症の理解や支援に関する本は多いが、日常的に自閉症当事者に関わる支援者の助けになり、勇気づけるような本はどれだけあるだろうか。本書はそんな本をめざしている。自閉症を、脳の障害などに結びつけて簡単に「わかった」と言わず、安易に「わからない」とも言わず、関わりの中で「わかろうとする」ことを試みる。その上で、当事者と支援者の長年の生々しい関わりを描いた事例をとおして、関係性にもとづく支援のあり方を考える。

―目次―
はじめに──セミナー開講の辞

 第Ⅰ部 理論編

第1章 クマのプーは「おばかさん」なのになぜ人気があるのか(村瀬 学)
 1 小澤勲と自閉症
 2 プーの世界
第2章 「心の理論」から「世界の理論」、そして「感覚の理論」へ
    ──自閉症を有する人と凡人との「違い」は脳か?隠喩か?それら以外か?(高岡 健)
第3章 自閉症という現象に出会って「私たち」の不思議を思う
    ──わかりあうことの奇跡とわかりあえないことの自然(浜田寿美男)

 第Ⅱ部 事例編

第4章 まだまだ「あたし研究」中──本人が体験している自閉症の世界(小道モコ)

第5章 地域でともに生きるためにできること
    ──事例報告「危ない橋を渡ってきて、崩壊してもおかしくなかった:独り暮らし」(長尾祥司・平岡美鳥)
第6章 落ち着いて日々を過ごせる環境をつくる──事例報告「晴れのち晴れ」(福 寛・荒川輝男・高橋道子)

補 章 たがいに出会い、関わり合う──事例報告を受けて
 1 他者と共有する時間と体験
 2 障害がある人と日々関わるなかで
 3 それぞれの現場で

おわりに
参加者の声はじめに



鶴見俊輔

言視舎 2016年5月31日


鶴見俊輔が生涯を費やしたのは己の「貴種」との格闘だった。
鶴見俊輔が自らを語る際、頻発する「虐待する母の像」。
それは何を意味するのか? そしてなぜかれは、それに固執したのか?
祖父・後藤新平 ― 父・鶴見祐輔 ― 母・愛子という流れにある出自の貴種性を鍵に、新たな鶴見像を提出するとともに、「日常性の発見」とプラグマティズムを核にした鶴見思想の内実に迫る!


―目次―

Ⅰ 「貴種」を体験する――思春期まで

第一章 幼年期――「貴種」の芽ばえ
第二章 少年期――「貴種」のおごり、「悪人」への親和
第三章 クロポトキンとの出会い・「貴種」への恐れ――『再読』を再読する

Ⅱ アメリカにて

第四章 アメリカで
第五章 戦時中の体験

Ⅲ 日本からの出発

第六章 「日本語を失う」という体験から――わかりやすい言葉を求めて
第七章 「かるた」とは何か――知恵を生む仕掛けの探索
第八章 最も大事な思想――「日常性」の発見へ

Ⅳ 六〇年代の思考

第九章 プラグマティズム――「相互主義」の自覚へ
第十章 『限界芸術論』考
第十一章 天皇制・転向・戦争責任の問題へ

Ⅴ 人生の「折り返し」から

第十二章 四十五歳からの「母」の語り――改めて鶴見俊輔の「二人の母」を考える
第十三章 「うつ」に苦しむ鶴見俊輔
第十四章 最後の「問い」へ――三・一一、原発事故を受けて

 


宮崎駿再考
 ー『未来少年コナン』から『風立ちぬ』へ

平凡社 2015年7月15日



宮崎駿はいつも「地球」のことを考えていた!
宮崎アニメに貫かれている「石」や「風」や「星」へのこだわりに注目し、2011.3.11を経た私たちが今受け取るべき“未来へのメッセージ”を提示する。
2014年制作の『風立ちぬ』で、長編アニメからの引退を表明した宮崎駿監督。
彼の代表的な作品をもう一度見直してみると、私たちが当たり前のものとして見ている「石ころ一つ」に地球の歴史と未来を感じ、それとどのように向き合うかを考えていたことがわかる。
「歩行者」と「地球」という二つの視点から、宮崎アニメのおもしろさと豊かさを読み解く。


―目次―

第1章 『未来少年コナン』――「コナンの足」あるいは「星を作る鍛冶屋」
第2章 『風の谷のナウシカ』――巨神兵の系譜と「鍛冶王の姫」
第3章 『天空の城ラピュタ』――「飛行石」とは何か
第4章 『となりのトトロ』――「傘」のテーマ
第5章 『魔女の宅急便』――ウルスラの絵を中心に
第6章 『もののけ姫』――ディダラボッチとは何者か
第7章 『千と千尋の神隠し』――川の物語に隠されたもの
第8章 『ハウルの動く城』――城と電子メディアの構造
第9章 『崖の上のポニョ』――もう一つの「エビス」の物語
第10章 『風立ちぬ』――「美しい夢」について
終章  「風」とは何だったのか――『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』へ

 


古事記の根源へ
『NHK100分de名著 古事記』はなぜ「火の神話」を伝えないのか

言視舎 2014年9月30日

 


★ 同著者の衝撃の書『徹底検証 古事記』の普及版。『古事記』は鉄=火の神話であり、その「火」が「日」にすり替えられる仕組みを読み解き、国家成立の謎に迫る。
★ 古事記を稲作神話と読む代表例として、三浦佑之氏の『NHK100分 de 名著 古事記』を取り上げ、どこがどう違うのか、細部まで検討する意欲作。
★ 古事記の一見荒唐無稽にみえる物語は多義的な「謎かけ」であり、「あらすじ」を読むだけでは理解できない。これを稲作神話と天皇制に収斂させるのではなく、「喩=メタファー」「詩的形象」として多義的に読み解いていく画期的試み。
★ 古事記をめぐるこれまでにない「謎とき」を愉しむ一冊。

―目次―

一 「世界と人間の誕生」の検証
二 「カグツチの神話」の再発見 
三 「文化と農耕の起源」の検証
四 「出雲神話という謎」の検証
五 「古事記の正体とは」の検証
六 ヤマトタケルの検証
七 古事記とは何か―古事記の根源へ

 

徹底検証 古事記
すり替えの物語を読み解く

言視舎 2013年10月31日

 


「火・鉄の神々」はどのようにして
「日・光の神々」にすり替えられたのか?

従来のアカデミズムには、古事記を「瑞穂の国」のあらすじにそって解釈してきた歴史がある。そこには本居宣長以来、古事記を稲作共同体とその国家の物語とみなすイデオロギーがあった。その結果、そうした読みではどうしても解釈できない情景がたくさん残されてきた。本書は旧来の読みに対して、古事記は「鉄の神々の物語」であるという視座を導入して、新たな読みを提示する。古事記は「火の神・鉄の神」が「日の神」にすり替えられた物語だという読みである。まったく新しい古事記解釈の一ページを切り開く画期的試み!

―目次―
第一章 古事記のはじまり
第二章 伊耶那岐命と伊耶那美命の神話 
第三章 天照大御神と須佐之男命
第四章 大国主神
第五章 天降り 忍穂耳命と邇々芸命
第六章 海神の国訪問



増補版 次の時代のための吉本隆明の読み方

言視舎 2012年5月31日

 


吉本隆明が不死鳥のように読み継がれるのはなぜか?

たんなる追悼や自分のことを語るための解説ではない、ステレオタイプの礼賛でもなく、もちろんクサすための批評でもない。
読めば新しい世界が開けてくる吉本論、大幅に増補して、待望の復刊!

―目次―

増補版 まえがきにかえて―「上から見る」ことと「横から見る」こと
まえがき

第一部 「座標」という発想のゆくえ  
 はじめに 「見えるもの」と「見ているものの位置」
 第一章 『マチウ書試論』 モチーフと発想
 第二章 『言語にとって美とはなにか』のモチーフ
 第三章 『心的現象論』をどう読むか
 第四章 「身体・生命・エロス」と神戸事件
 第五章 「おくれ」とは何か
 第六章 これから吉本隆明を「読む」ことをめぐって

第二部 「地図」を求めて 
 第七章 地図がわかるとはどういうことか
 第八章 『共同幻想論』と『古事記』
 第九章 『転向論』から『共同幻想論』まで
 第十章 『ハイ・イメージ論』と世界視線
 第十一章 「支え手」としての共同体

増補1 『共同幻想論』の中核のイメージー「閉ざされた共同体」の批判」
増補2 『論注と喩』の構造ー吉本隆明における「信」と「知」の調べ」」
解説「非国家論としての共同幻想論」ー滝川一廣

あとがき
増補版あとがき―原発事故ともう一人の「ガリレオの死」

 


長新太の絵本の不思議な世界
哲学する絵本

晃洋書房 2010年4月30日

この絵本を眺めながら、いよいよ長新太の絵本を、たくさんある絵本の中の一つとしてではなく、彼自身に単独で向かい合って彼の世界を論じる必要があると思うようになっていった。
それだけ彼の作品は特異だったし、強烈な存在だったのである。

―目次―
まえがき

第Ⅰ部 絵本とは何かという問い
  1 子どもに与えたくない絵本?
  2  「ページ」とは何か

第Ⅱ部 長新太の「ちへいせん」の発見
  1 『ぼくのくれよん』1973
  2 『つみつみニャー』1974
  3 『みんなでつくっちゃった』1975
  4 『もじゃもじゃしたものなーに?』1975
  5 『ごろごろにゃーん』1976
  6 『アブアアとアブブブ』1976
  7 『はるですよ ふくろうおばさん』1977
  8 『ちへいせんのみえるところ』1978

第Ⅲ部 長新太の「ちへいせん」の展開
  1 『ぼくはイスです』1979
  2 『キャベツくん』 1980
  3 『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』
  4 『キャベツくんとブタヤマさん』
  5 『トリとボク』1983 『みんなびっくり』1983
  6 『にゅーっ するする』1983
  7 『つきよ』1986
  8 『ムニャムニャゆきのバス』1991
  9 『あかいはなと しろいはな』1996
 10  『ゴムあたまポンたろう』1998
 11  『ノコギリザメのなみだ』1999
 12  『わたしのうみべ』2002
 13  『ころころにゃーん』2006

第Ⅳ部 長新太の幼児絵本
  1 「絵」に「足」や「手」が描かれるのはなぜか
  2 『クーくんツーくんとヘリコプター』シリーズ
  3 『だっこ だっこ ねえ だっこ』シリーズ
  4 『へんてこライオン』シリーズ

第Ⅴ部 長新太の悩み アンソロジー
 『絵本画家の日記』他

あとがき

 

「食べる」思想
人が食うもの・神が喰うもの

洋泉社 2010年3月22日

 

「われ食べる、ゆえにわれあり!」
私たちは「食べる存在」であるから、「われ思う、ゆえにわれあり」ではなく、敢えて、こう言わなければならない。――近代哲学が、意識の外においてきた、「食としての存在」が「私」という存在を根本で支えていることの意味を根源的に問う。いのちと「食」をめぐる問題に一石を投じる問題作!

―目次―
はじめに 「われ食べる、ゆえにわれあり」
     ー「一口サイズ」の問題へー

Ⅰ 人の食「食べもの」とは何か
 1 「姿」として生きている生き物について
  森崎和江さんの思い
 2 「獲物」としての生き物の全体図について
  「野生」の.次元
  「狩猟」の次元
  「家畜」の次元
  「ペット」「動物園」の次元
 3 「食べる」という過程について
  「おいしい」ということ
  「料理」の次元
  「食事」の次元

Ⅱ 神の食「供犠」という思考の考え方
 1 「神」とは「喰う神」のことである
 2 マヤ文明の「人身御供」の儀式
 3 キリスト教も「食べる神」をーアンデス山中飛行機墜落遭難者の人肉食事件ー
 4 アイヌの熊送り
 5 中沢新一『熊から王』への違和感
 6 「アブラハムとイサク献供物語」への違和嘱
 7 『金枝篇」の「王の息子の供犠」の話
 8 「食べもの」と「言葉」、「食べる神」と「話す神」
 9 子どもを食べるー原ひろ子『ヘヤー・インディアンとその世界』ー
 10 レヴィ・ストロースからの警告

Ⅲ 吉本隆明の「食」への思いについて
 1 味わい深い吉本隆明の『食べもの探訪記』
 2 フォイエルバッハ「人間は彼がたべるところのものである」
 3 「すごい食べもの」について
 4 『アフリカ的段階について』と「人間を食べる」話
 5 「臓器移植」と「人食い」のイメージ

Ⅳ 宮澤賢治と「食べる」童話
 1 『蜘妹となめくぢと狸』
  保阪嘉内への手紙
 『蜘蛛となめくぢと狸』
 2 『注文の多い料理店』
 3 『なめとこ山の熊』
  「熊の言葉」を聞くとはどういうことなのか
  最後のシーン

V 「カニバリズム」批判
 1 映画「ハンニバル』
 2 映画『エイリアン』
 3 ゴヤ『わが子を喰うサトゥルヌス』
 4 絵本『おおきな木』
 5 童話「赤頭巾ちゃん」

Ⅵ 人を食べる「絵本」の怖さと楽しさ
    ー「混合生物」小論ー
 1 「おさんぽ」する絵本の楽しさと怖さ
  「混合の生物」と「現実の動物」
  『ぞうくんのさんぽ』
  『ロージーのおさんぽ』
  『もりのなか』
  『おなかのすくさんぽ』
  『ちびくろさんぼのおはなし』
 2 「食べる絵本」の楽しさと怖さ
  『ぐりとぐら」ー肉食をする「ぐり」と「ぐら」ー
  『きょうはこどもをたべてやる!』ーパナナを食べさせられるワニの子ー
  『はらぺこおなべ』ー動物を食べるおなべの話
  『おなかのかわ』ー人間を食べる猫の話ー

Ⅶ 鳥山敏子の「にわとりを殺して食べる授業」批判
 1 「にわとりを殺して食べる」授業は何を教えていたのか
 2 「殺す」という言葉は正当か
 3 文化としての「獲る」「料理」「食事」の区別
 4 何を考えなければならないのか
 5 授業を受けた生徒の卒業後の記憶
 6 「いのちの韓さ」を学墓教育のあり方

あとがき

 

「あなた」の哲学

講談社 2010年1月20日


この本はおそらく日本ではじめての「あなた」論である。日本語で書かれた「あなた」についてのたぶん唯一の、十分に考えられた考察である。
くり返し述べてきたように、日本の思想史には、「あなた」についての考察はなかった。あるのは「わたし」論や、「他者」論ばかりだった。なぜ「あなた」についての考察がなかったのか。日本の思想界には、この「あなた」論がないことを不思議に思うことすらなかったのではないか。哲学や倫理学や社会学や精神医学の長い歴史のなかで、その学会誌に「あなた」がテーマになったことが一度もないことも奇妙だが、その「ない」こと自体に関心が向けられてこなかったことも妙なことだった。――「あとがき」より


―目次―

序 章 「あなた」と「他者」

第一章 "三世代存在"としての「あなた」
 1 ある違和感ー上野千鶴子『おひとりさまの老後』を読んで
 2 「あなた」を見つけるー森崎和江の軌跡
 3 存在の三重性
 4 「すがた」への敬意
 5 『ツァラトゥストラ』における「あなた」

第二章 「人称」の世界へ
 1 「あなた」は単なる二人称なのか
 2 日本語の「人称」
 3 『坊っちゃん』を読みなおすと
 4 「格付け」のなかで
 5 こころの傷と「あなた」

第三章 飢えと老いのなかの「あなた」
 1 千二百年の時空を超えて
 2 『池袋・母子餓死日記』考
 3 「そうかもしれない」の光景
 4 「小さな神さま」の発見

第四章 ブーバー、レヴィナス、そして西田幾多郎
 1 『我と汝』をめぐってー「汝」はなぜ「あなた」と訳されないのか
 2 レヴィナスのブーバー批判
 3 「きみ」と「あなた」のあいだ
 4 西田幾多郎の「私と汝」

終 章 「あなた」の方へ

あとがき

 

MC新書版 初期心的現象の世界
―理解のおくれの本質を考える―

洋泉社 2007年8月20日

 


20代に心身障害施設で〈ちえおくれ〉〈自閉症〉と呼ばれる子どもと出会う。その子どもたちを前にして何とか理解したいと考えた。発達心理学や障害心理学などを借りて理解しようとするが、かいもく理解する手立てがなかった。それなら、自力で自前の論理をつくらねばならぬ、それも〈症状〉としてではなく〈心的現象〉として理解する道を―

自分を理解するように子どもたちを理解する視点から「客観―科学」の一面性を突き破ろうとする出発点となった作品の復刊。

―目次―
はしがき


第一部 予備考察

 Ⅰ 方法としての〈弛緩〉
  一 ひとつの体験
  二 観念への還元と身体への還元
  三 区別の世界と融合の世界
  四 〈ちえ〉の究極の主題

 Ⅱ 心的現象総体への視点
   一 〈類―主観〉の素描
   二 〈心的根源の二重性〉あるいは〈気〉について
   三 〈類―主観〉の構造
   四 〈類―主観〉〈対偶〉としての心的現象総体

第二部 初期心的現象の世界

 Ⅰ 初期とは何か
  一 変容と発達
  二 〈初期〉とは何か
  三 〈幼児〉とは何か
  四 年齢について
  五 年齢区分について

 Ⅱ 初期心的現象の変容と発達
 Ⅰ 乳児期
  一 〈類〉の発現の時期 (0-6ヶ月)
   二 〈主観〉の発現 (6ヶ月-12ヶ月)
   三 〈類―主観〉の統一 (12ヶ月-1歳半)  
 Ⅱ 幼児期
   一 〈主観内自己〉の自覚 (1歳半-2歳半)
   二 〈類内共同性〉の自覚 (2歳半-4歳半)
   三 〈共同性(規範)―主観性(自己)〉の統一 (4歳半-6歳半)

 Ⅲ 理解のおくれの本質
  一 心的現象総体からの視点
  二 三つの理念型
  三 〈理解のおくれ〉の本質
  四 発達の中の変化
  五 ことばのおくれの二様態
あとがき
新書版のためのあとがき
解説 人間洞察に富む心的世界の原理的把握 吉本隆明

 

自閉症―これまでの見解に異議あり!

筑摩書房 2006年7月10日


自閉症児の特徴は、「変化への抵抗」「同一性の保持」という点にみられる。数、暦、地図の発見は人類が作り出した三大叡智であるが、「順序」や「配列」が損なわれるとき、人は誰でもある程度のパニック状態になる。自閉症児の「おそれ」の根には、こうしたメカニズムが働いていることがみて取れる。彼らとわれわれは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っている。これまでの自閉症=特殊論に異議を唱え、この生のあり方が誰にも共感でき、理解できるものであることを主張する。
―目次―

第1章 自閉症のはじまり

家族のとまどい
変化に対する抵抗
「おくれ」と診断名
「報道特集・うちの子は自閉症」を見て
「かねやん」の絵カード
「TEACCHプログラム」への疑問
「おくれ」をもつ他の人たちも
「並んでいるもの」への気づき

第2章 自閉症以前の問題

「並んでいるもの」の思想を発見する
「自閉症」の問題と「並んでいるもの」の関係
人類の三つの「偉大な知恵」
並びとしての数(序数)
なぜ「序数」が「偉大な知恵」なのか
順序・順番の意味
「暦」とは何か
空間的・時間的な位置を知ること
「折り返しの数」の意識
序数のまとまりから「暦」へ
「並んでいるもの」の仕組み
「規則性」への気づき
「症状」としてしか見てこなかった研究者
駅や地図にこだわる人たち
地図とは何か
「目印」と「順番」
「目印」の「配置」が「地図」である
人への不安
「人の動き」は予測しにくい
「言葉のおくれ」と言葉の不自然な使い方
「出題のスタイル」の規則性
「記憶」の法則
「記憶力」と「記憶術」

第3章 これまでの「自閉症論」批判

1.Kちゃんとの小旅行
2.「自閉症」の記憶術を見なおす
3.医者・研究者の思いこみ
4.「関数」という知恵について
5.映画 『レインマン』 に何を見るのか
6.孤高の大著―小澤勲 『自閉症とは何か』

第4章 「放浪」とは何か

今なぜ「山下清」をとりあげるのか
けんかとナイフ
「花火の貼り絵」の意味
「幾何学模様」と「人間」
日記の特徴
人名の覚え方
「地図」への関心
「放浪」は放浪ではなかった
「性」への関心
「やらせ」もあったのでは?
「性的な関心」=「性的な犯罪」ではない

第5章 自閉症裁判

「浅草レッサーパンダ事件」
背後にある凄絶な人生模様
「ケース記録」か「生活史」か
教師側の「自閉性」
「加害者」の生活史
広い行動範囲
「ふらふらとあちこち行った」のか?
「広範囲」がそのまま「犯罪」につながるわけではない
「加害者」は「自閉症」か?
弁護側の「自閉症」へのこだわり
「知的なおくれ」の地学的見解へ

終 章 「おくれ」とは何か

「日々のくらし」と「文明・文化」の創出
二通りの「おくれ」
「おくれ」は文明の成果
くらしのリズムと関係の中の「ふつう」

あとがき



宮崎駿の「深み」へ

平凡社 2004年10月8日


ナウシカや王蟲(オーム)は何を食べて生きているのか?
もののけ姫・サンが動物の皮を被っているのはなぜか?
〈ものを食べ、腐敗させ、消化し、排出する〉有機体的なサイクルに着目して、アニメ作品を丁寧に読み解き、宮崎駿の感性と思考の深部に迫る。


―目次―
はじめに

第一章「ジャングル」から「腐海」へ -『ジャングル大帝』から『風の谷のナウシカ』へ
「ジャングルとは何か」という問い
『ジャングル大帝』について
「ジャングルもの」とは何か -植民地としての「ジャングル」
「ジャングル」とは何か -心の中の「ジャングル」、あるいは生き物の造形のわき出る根源の場所

第二章『風の谷のナウシ力』論
1 「腐海」とは何か
腐海の二つのイメージ
誤解を生んできた「テロップ」
「菌」あるいは「微生物」とは何か
食パンのカビのようなものですか
腐海に生き物がいるということ
「腐る」というイメージについて
 
2 ナウシカとは誰か -火と風を使う使者
「火」を使うナウシカ
「風」を使うナウシカ
改めて「飛ぶ」とはどういうことか
「使者」としてのナウシカ
3 「王轟」とは何者か
「王轟」がなぜいるのか
「王轟」は何に似ているのか
「王轟」には「口」がない
「黄色い触手」について
「王轟」の矛盾
腐海の他の生き物について
「王轟」の進撃について
4 空中戦は「戦争」ですか
5 巨神兵(火を噴く人造生物兵器)について
『風の谷のナウシカ』と似た世界

付論・『ペスト』と『ガリバー旅行記』からの系譜
デフォー『ペスト』の系譜
アオカビから「ペニシリン」を発見する
スウィフト『ガリバー旅行記』の系譜

第三章『天空の城ラピュタ』論
『天空の城ラピュタ』 -この垂直の美学
二つの「ラピュタ」の方へ
もう一つの「ラピュタ」
「腐海」を失った「ラピュタ」 -『風の谷のナウシカ』の視点から

付論・『ガリバー旅行記』第三編「ラピュータ」との関係

第四章『となりのトトロ』論
田舎へ
「トトロ」がいたんだ
サツキがトトロに出会う
メイとトウモロコシ
ぬいぐるみとしてのトトロ
『となりのトトロ』を見てしまった子どもたち
「田舎」や「植物」も、「物語」がないと目に見えるものにならない
自然は地名の由来と共にある

第五章『魔女の宅急便』論
「十三歳」の旅立ち
「魔法」が弱くなる -キキの仕事疲れ
ウルスラとの会話
魔法について
「暦」と「魔法」について
魔女の暦と社会の時間
性への淡い目覚め -キキが再び飛び上がる

付論・「ホウキ」とは何か

第六章『紅の豚』論
少し実験を
物語 -「アドリア海」
活劇としてのアニメ -鞍馬天狗のようなポルコ
物語の中に「作り手」を入れる
「空中戦」 -このアニメの業界の戦い
愛機「サボイアS-21」
友人の忠告
愛機とピッコロ飛行機工場
十七歳の娘 -フィオ・ピッコロ
マダム・ジーナ
舞台裏の世界
「食う」世界と舞台裏

第七章『もののけ姫』論
サンは何を着ているのか
「皮を被る」という問い
タタリ神の突進
サンの土偶の仮面
ジコ坊たちの「皮を被る」戦術
その他の「かぶり物」
「かぶり物」とは何か
「本来の容姿」とは違う「別の容姿」を生きることはあるのか
「もののけ姫」の登場
人間 -この「火」を使う生き物になること
シシ神の造形について
無形の「腐」

付論1・『もののけ姫』と「古い神」の理解
『もののけ姫』の評判はよくなかった?
「エボシ御前」の言葉
「シシ神の森」とは「古い物語の森」のこと
「シシ神」の複合的なイメージについて
「シシ神」と「ディダラボッチ」 -死と再生の神

付論2・『もののけ姫』と『ガリバー旅行記』第四編「フウイヌムの国」との比較

付論3・『紅の豚』の継承

第八章『千と千尋の神隠し』論
「昔」とは何か
「廃櫨」について
「由来」について
「ゆ=喩」の世界へ
オクサレさまと八百万の神々
ハクと千尋
「ハク」の由来について
「油屋」と「湯婆婆」と「スタジオジブリ」について
「坊」について

付論1・二つの食 -「物を食べる」ことと「喩を食べる」こと
食べる」場面
「カオナシ」の造形
火と釜爺について
性的なもののゆくえ

付論2・『紅の豚』からの展開

番外『ハウルの動く城』へ -原作『魔法使いハウルと火の悪魔』を読む
まとめ -有機体的な世界の不思議さへ
「金色の野」に立つべし
「腐」の世界の不思議 -「ジャングル」から「腐海」へ
心の中の「ジャングル」へ
「文化」としての「ジャングル」
「食べること」「腐ること」「産むこと」
食べろ!そなたは美しい

あとがき -有機体的世界観の構想

 

カップリングの思想―「あなた」の存在論へ―

平凡社 2004年10月8日


〈あなた〉とはだれか? どこにいるのか?
「シングル・ライフ」などというものはない!私たちが生きてあるとき、いつでもなにか「相手」と共にある。
そこに小さな至高者「あなた」も現れる……。「個」の思想の方向づけを超えて、人がいつも「カップリング」を生きているという根本的事実を見かえすことから、新しい思考の振舞いを提起する。


―目次―
第一章「シングル」なんて存在しない -『シングル・ライフ』批判
「シングル・ライフ」という言葉の登場
一人歩きし始めた「シングル・ライフ」
『新・シングルライフ』への広がり
「シングル」なんて存在しない
「カップリング」のほうへ

第二章カップリングの思想ヘ
カップリングについて
「カップリング」という言葉
「カップリング」の五つの次元
  1「根源」のカップリング
  2「大地」とのカップリング
  3「至高者」とのカップリング
  4「あなた」 ーこの「小さな至高者」とのカップリング
  5「くちるもの」とのカップリング
ブーバー『我と汝』が切り開いたカップリングの思想

第三章カップリング・ライフ -「あなた」との出会い
極限に現れる「あなた」-『夜と霧』を読む
原初のエロスヘー森崎和江小論
  どこで生まれたの?
   父親のこと
  原初のエロスとはなにか?
  「いのち」を食べる
  明日の「あなた」へ
人の「いのち」をもらって -澤井繁男『臓器移植体験者の立場から』を読む
  澤井繁男さんのこと 
  人工透析とカップリング 
  透析から腎移植へ
  「いのち」という言葉、「アニミズム」という言葉
「天音」へ -寝たきり少女との暮らしの中で
  「発達理論」の中へ
  「超級心身障害児」ですよ
  『あまね通信』の発行
  「あなた」には、手足があるのだろうか

あとがき

 

なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか
 ―戦後歌謡と社会―  

春秋社 2002年3月25日

 


歌謡曲の中では、しばしば「丘」のことが歌われている。喪失と再起を象徴するもの全体を「丘」ととらえ、なぜ、歌謡曲で「丘」がたくさん歌われてきたのか?また「丘」が歌われなくなってから、その「丘」はどういうイメージに変形され、歌い継がれていったのか・・・というところをたどっていき分析をしていく、民衆の歌謡曲史 
―目次―
はじめに

第一章 「丘」からの出発

  「丘」ーこの弔いの場所から ー『異国の丘』と『みかんの花咲く丘』
  新しい時代の呼ぶ声ー『リンゴの歌』『星の流れに』
  「丘を越えて」の軽さ ー『青い山脈』から『雪山讃歌』

第二章 終戦から50年代ー「丘」から「峠」へ

  「みなし子」と「はずれ者」ー美空ひばりと石原裕次郎の登場
  「名」を呼ぶー『君の名は』から『お富さん』へ
  故郷から「東京」へー春日八郎と三橋美智也
  燈台と古城ー『喜びも悲しみも幾年月』と『古城』
 「お月さん」が見るもの ー『月がとっても青いから』『チャンチキおけさ』
  「星」が知っている? ー『星はなんでも知っている』『見上げてごらん夜   の星を』
  「あなた」を待つ場所   ー『有楽町で逢いましょう』『銀座の恋の物語』
  「母」の歌とはなんだったのかー『九段の母』から『時には母のない子のよ   うに』まで

第三章 1960年代ー「丘」から「夕陽」へ

  「上を向いて」の季節 ー『潮来笠』と『上を向いて歩こう』
  「ぼくら」の終わりー『高校三年生』という墓標
   「君」の発見 ー『君だけを』
  「十代」の発見  ー『美しい十代』『十七才のこの胸に』
  フォークグループの見つけた「旅人」ー『若者たち』と『旅人よ』
  グループサウンズとが見つけた「太陽」と「海」と「風」ー『夕陽が泣いて   いる』『誰もいない海』
  『君といつまでも』と『想い出の渚』に見る「境界=丘」のイメージ

第四章 1970年代ー「独りよがり」の時代へ

  行かなくちゃ ー『傘がない』『心もよう』
  仮の暮らしへ  ー『旅の宿』『神田川』
  「そば」にいてほしい ー『あなた』『ふれあい』
 「君」をさがしにー『五番街のマリー』『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』
  遠くで叱ってー『卒業写真』『「いちご白書」をもう一度』         「帰りなさない」という声 ー『ペッパー警部』『S・O・S』
  「ちょいと」の呼びかけ  ー『勝手にシンドバット』『いとしのエリー』
  わたしを待っているのは「誰」?ー『いい日旅立ち』『関白宣言』

第五章 1980年代ー「ワル」のふりをして
        
  ふりをしながら  ー『ギンギラギンにさりげなく』『待つわ』   
  「キュン」と「めっ」ー『君に、胸キュン』『め組のひと』
  「ワル(悪)」の登場  ー『ギザギザハートの子守歌』『卒業』  
 セーラー服の少女 ー『セーラー服を脱がさないで』『なんてったてアイドル』
   「励まし歌」の登場 ー『夢をあきらめないで』  『乾杯』
   人生いろいろあっていい ー『人生いろいろ』『川の流れのように』

第六章 1990年代ー「激励」と「感謝」と
 
  浮かれて飛んで ー『おどるポンポコリン』『浪漫飛行』
  変わる「自分」の肯定 ー『昼間のパパは』『晴れたらいいね』
   強くなろうよ ー『TOMORROW』『名もなき詩』
   「ありがとう」って何だ? ー『これが私の生きる道』『ありがとう』
  モーニング娘。へ ー『LOVEマシーン』『ハッピーサマーウェディング』
  「外国語としての日本語」に出会う ー『First love』
  2000年のはじまり ー『箱根八里の半太郎』と『明日があるさ』

あとがき
  日本流行歌史

 

岩波ジュニア新書
10代の真ん中で 

 岩波書店 2002年1月18日


―目次―

はじめに

第1章 10歳からの旅立ち

 1 「線」を引きはじめる
  『小さい太郎』の悲しみ/「一本の線を引く」ことがはじまる/
  「Sケン」をした・秘密基地を作った/
  「敵」に出会う・「戦士」にる、でも「戦争ごっこ」じゃないんだ
 2 「冒険」がしたい!
  『ドラえもん』にゃずいぶん助けられた/
  『ドラえもん』は「門」みたいだ/「のび太」になる/
 3 「推理」がおもしろくなる
  『名探偵コナン』にはまる/
   「一人二役」の面白さー『名探偵コナン』の二つの顔
 4  10歳-比較する力のはじまり
   「千」って「線」?-『千と千尋の神隠し』を観る/
   子どもの「戦い」と「物語」と-映画『少年時代』を観る/
   10歳-比較する力のはじまり

第2章 13歳「わからなさ」のはじまり
 1 「夕焼け」の体験
  「わからなくなってきた」んだ/「つながりゼロ」にして見つめる/
   「はじめて世界を見る」ように
 2 「旅人」になる
    歌と旅人-「もう一人の自分」へ/誰もが「一人ぼっち」になる世代/
    歌、この小さな映画館
 3 変身について
   「狼になる」/生き物はみな変身する/
   「生きる場」によって姿が変わる/
   二つの変身-「早い変身」と「ゆっくりした変身」

第3章 「学ぶこと」との出会い
      「12歳のイエス」のこと/「13歳」という出発点
 1 地理-国と地図の間にある世界
    国と地図と写真と/「地図」は人が考えた境界線でできている/
    映画『1492コロンブス』を観た/「地図」と「植民地」/
    「怪獣」に見える「ヨーロッパ」/「地図」って何だという問いかけ
 2 「国語」-物語と現実の間にある世界
   『銀河鉄道の夜』への疑問/「現実」は「物語」と「事実」の混合体だ/
   映画『バトル・ロワイヤル』は中学生が殺し合いをする映画なのか?/
   「教室」からはじまる物語にしてるんだ/
   「キャンプ」になればエゴがぶつかる/
   恐怖映画は「変身」がテーマなんだ
 3 「理科」-レンズと肉眼の間にある世界
   なんでその写真が「火星」とわかるんだ/
   「代わりの目」が「自分の目」になることへの疑問/
    電子顕微鏡で見る世界/「途中」が飛ばされている/
  「レンズで見る世界」/「飛ぶ人」になる/「飛ぶ人」から「歩く人」へ/
       「ゆっくりと動く」世界」
 4  歴史-「時の地図」を読む世界
   ガンダムの歴史」と「鎌倉時代の歴史」はどう違うんだろう/
   生き物はみんな「過去を未来に生かして」生きている/
   映画『コロンブス』が面白い/未来の予想のために/
   時の地図-「暦」から「歴史」へ/
   時の地図に「歴史の先」を読む/歴史の「教科書」って何だ/
   「ガンダムの年表作り」だって捨てたもんじゃない
 5 「数学」-マイナスの世界って何だ
   「マイナス」を「引く」ってことがわからなくなってきた/
 「数」が「線」としてはじまる/「数直線」-「数」が「線」になる不思議/
  「マイナス」が「引く」ではなくなるときがくる/
  「琵琶湖の水位の計算」にはトリックがある?
 6 「数」-数を数えることの不思議さ
    -「50万人目の入場者」ってどういうふうに数えるの
   「市営プール入れ替え事件」と「数」のこと/
 「ルール」によって「数」の姿が違ってくる/数えられないものを数えている
 7 倫理-映像が倫理を創り出すんじゃないか
  ツィンビル旅客機激突炎上」の映像が「映画」に見えたのはおかしいの?/
  「惨劇」を「ショー」のように見せる/
  「レンズ越し」に何度も同じ映像を見た/映像は編集=加工されている/
  「自爆テロ」と日本の「神風特別攻撃」と「武士道の精神」/
   戦時中「出陣学徒壮行会」の映像が日本全国で放映されたんだ/
   たくさんな「声=倫理」に出会う必要がある

第4章 家からの旅立ち
 1 「ともだち」との出会い -ケータイ文化の中で-
   「着信気になり症候群」/「テレフォンエイジ」があった/
  ケータイ」-この「ちょっとした家出」/「ケータイ」の二つの使い方/
   「連絡」から「ふれあい」へ/失恋-「自分と同じじゃない」ことを知る/
      「武器」としての「ケータイ」について
 2 「親」とのわかれ
   プラトニック・セックス』を読んだ/
   スポーツとしての性」と「ひたむきさ」/
    悪いってわかってるんだ-『一房の葡萄』の訴えるもの/
    13歳「悪いやつになる」-「親のルール」から「子のプラン」へ

第5章 「明日」があるさ-「ひとり成人式」へ向けて
    大人になる目安ってあるんだろうか/「明日」がある/「希望」がある/
   「ひとり成人式」へ向けて

あとがき



 哲学の木 いのちの寓話
  平凡社 2001年 3月

 

 


                    
 「いのち」って何だろう、なぜ大切なのだろう、どうして美しいと感じるのだろう。身近な木について見つめ考えながら、「いのち」の不思議さ、大切さが、心に染みわたる新しいスタイルの哲学


―目次―
まえがきー「カップリング」への視点を求めて                      
Ⅰ木との出会い
 1 写真の木
 2 ブーバーの木
 3 「一枚の葉」への驚き-中学一年の理科の教科書から

Ⅱ 描かれる木
 1 絵本の中の木
 2 バウム・テストの寓話
 3 炎の画家ゴッホの木
 4 詩の中の木

Ⅲ 寓話としての木
 
Ⅳ 思索の中の木
 1 「松」への想い
    ニーチェの「松」
     杜甫の「松」
     九鬼周造の「木」
 2 二人の哲学者の「木」
    サルトルの「マロニエの木の根」
    ハイデッガーの「柏の木」
 3 ヴァレリーの「樹についての対話」
 4 荘子の「無用の木」

Ⅴ これからの木
 1 マクリントックのトウモロコシ
 2 NHK放映の「遺伝子・DNA」の映像化への違和感
 3 現代思想-この構造的カップリングを見る眼差し
 4 「からたちの花」の方へ

あとがき

 

なぜ大人になれないのか―「狼になる」ことと「人間になる」こと―

洋泉社 2000年9月21日

 


 心の発生を、類的な構造(融合の世界)と主観的な構造(区別の世界)の二重構造においてとらえ、その初期形態としての子どもの世界を、心的現象の変容と発達の過程として総体的に分析した論考。従来の乳幼児期における個人の成長の観察を中心にして得られる子どもの見方ではなく、「類としての心」と「個体としての心」の統一構造の中に見えてくる新しい子ども像を追求した。「初期とは何か」「年齢とは何か」「二語文の獲得とは何か」「自己像の形成とは何か」などの主題も論じる。


―目次―
まえがき
第一章  「狼になる」こととしての若者

 1  「人のかたち」への目覚め
 2  最初の問いかけ
    「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いへの問い
 3  「若者になる」とはどういうことか―「狼になる」ことを考える
    共同の意志(正義)から外れるとき/子ども時代の終り-自然法から
    共同の意志へ/「狼になる」儀式―エリアーデの「ダーキア人と狼」か    ら/異類になるとき―中島敦『山月記』と手塚治虫『バンパイア』
 4  現代版「狼になる」物語― 『だから、あなたも生きぬいて』大平光代    著を読む いじめのはじまり/共同の意志の中で人は「狼になる」
   付論  「人」の観念が失われる三つの例
     -『鍛えられた心』『アンクル・トムの小屋』『ひかりごけ』ー

 第二章 「狼」として「家」を出るとき。

 1 なぜいつまで親子なのか
    動物の巣離れ/人間の親子はどうなのか/鶴見俊輔さんと母
 2 家庭内暴力への対応
   付論 思考実験「十三歳パスポート」の発行―新しい通過儀礼を求めて
  「十三歳パスポート」のイメージ/「十三歳養子縁組制度」/二人目の親に
  出会う/「名前の変更の選択」について/「性別の変更」はどうなのか/「   国籍の選択」

 第三章 事件の中の若者たち-空想からヒロイズムヘー

 1 佐賀バスジャック事件と「狼」 ―「声」と「ヒロイズム(英雄主義)」
    マスコミ報道からわかってきたこと/なぜ被害者を最大限に侮蔑して
    いるのか/女性蔑視と優生思想/なぜ「特定の声」しか聞えなくなった
    のか/「親子」で居続けることの不合理
 2 中学生五千万恐喝事件-「金」と「小さな資本家」
    金脈の発見/「資金源」の絶妙な「管理」/現在の中学生が置かれてい    る状況
 3 「子ども」はどこまで「消費者」なのか
    「お金」がいる「子ども」たち/教科書で教える「消費者」の位置/
    「消費者」と「未成年」はどういう関係にあるのか
 4 『小僧の神様』に描かれた「お金」の問題
    ありきたりの「ヒューマニズム」の間題からこほれるもの/なぜ
    「小僧」が十三、四歳という年齢に設定されたのか/書かれなかった
    「結末」が暗示するもの

 第四章 文化の中の若者

 1 なぜ「電波少年」のような「中継番組」が流行るのか
    極貧の生活を見せる/恋愛の実況中継/消費者という生活の物珍しさ/
    「作られたホームレス」猿岩石
 2 なぜ過剰に「キレイ」好きな若者が増えてきたのか
    年配者の清潔好きと思春期から始まるそれとは同じようには語れない/
    「カッコイイ自分」と「カッコ悪い自分」/人間のイメージのゆらぎに     対する敏感さ
 3 なぜ「うそ」をつくことはいけないのか―「二つの顔」を生き始める頃
    狼少年のうそ/新美南吉の『嘘』/「うそをついてはいけない」という    しつけ/柳田國男の有名なふたつのウソの話/矛盾としてのうそ/自然    も嘘をつく/「人の顔」と「獣の顔」と
 4 なぜ若者には音楽がいるのか
    音楽の授業が荒れると、その学校が荒れる/ビートルズがわからないな   んて/私も「「浜田省吾」がわからなかった/病が癒えるとき、「音楽」   が聴える/「上を向いて歩こう」を口ずさみながら/小室哲哉をはじめて   聴く/歌詞の特徴/ 再び曲の特徴にふれる/クローン人間への賛美歌
 5 なぜ「援助交際」が「悪い」と言えるのか
   「なぜ売春をしてはいけないか」は問い方がおかしい/なぜ売春は「公」   に認められないか/「性行為」の見せる二面性/「表の社会のルール」で   は認められないものがある/河合隼雄の「援助交際」論はなぜ説得力を持   たないのか

 第五章 「なぜ大人になれないのか」をめぐって                  -「狼」のイメージを再発見するところからー
   「外国人」になること/グループ同士が「外国」になる/「人」の観念/   「狼」のイメージのはじまり/「赤ずきん」と「狼」/「若者」と「狼」。
 付論 「外国人(エイリアン)」としての主人公の位置について
       ―『人間失格』を読み替える
 あとがき

 

 

13歳論 ―子どもと大人の「境界」はどこにあるのか―

洋泉社 1999年2月26日


 中学生による凶悪犯罪が社会問題になる中で、少年法や命の教育の見直しが主張され出してきている。しかし、そういうことが問題なのかを問い直す論考。世界の文豪は13歳で大人のように活動する主人公をたくさん描いてきた。古代や中世の歴史の中でも、13歳に成人式を設定し、大人になることを共同体の大きな事業にしてきた。しかし今日大人になることは、あまりに後ろに設定されすぎているのではないか。13歳の力をもっと見直してもいいのではないか。来るべき21世紀の大人と子どもの境界を問い直す。


―目次―
はじめに

第一部 「13歳」の物語史
 1 「13歳」の発見 ― 『午後の曳航』
 2 「命」を張る ― 「安寿と厨子王」考
 3 「二股を掛ける」ことへの目覚め ―『たけくらべ』
 4 言いなりになるということ ― 『少年』『小さな王国』
 5 仕返しの心 ― 『幼年時代』
 6 ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 ― 『怪人二十面相』
 7 名前を捨てて下さい ― 『ロミオとジュリエット』
 8 現代のニンフ考 ― 『ロリータ』
 9 「自治」を生きる少年たち ― 『十五少年漂流記』
 10 なぜ「20歳」なのか ― 中間報告をかねて
 11 「入れ替わり」へのこだわり ― 『ハックルベリィ・フィンの冒険』
 12 「13歳の日記」 ― 『アンネの日記』
 13 二度と来ない夏 ― 『十三歳の夏』
 14 ガキの時代はもう終わったんだよ ― 『十四歳―Fight』
 15 ママを捨てる ― 『ホットロード』
 16 ダブルになる ― 『ぼくと〈ジョージ〉』
 17 影との出会い ― 『ゲド戦記』

第二部 はじまりとしての「13歳」
Ⅰ 13歳の力
 1 なぜ「13歳」が問題視されなくてはならないのか
 2 「境界」を越える儀式としての「通過儀礼」
 3 「暦」のなかの「13歳」
 4 「13」の位置
 5 現代史の中の「13歳」

Ⅱ 来るべき「大人」のイメージのほうへ
 1 「考え方」の問題
 2 『モラトリアム人間の時代』批判
 3 「大人」としての「君子」考 ― 『論語』を読み直す

Ⅲ 10歳の悲しみ
 『マー先のバカ』論

Ⅳ 「酒鬼薔薇聖斗」論
 1 14歳の「犯行声明文」を読む ― 神戸小学生殺害事件について
 2 「神の声」と14歳 ― 神戸小学生殺害事件再考
 3 「懲役13年」を読む

Ⅴ いじめについて
 1 「グループ」の出現 ― 『デミアン』第一章の問題から
 2 「法」の出現、「権力」の起源 ― 「同意の構造」について
 3 「大河内清輝君いじめ自殺事件」の考察
 4 パシリ(使い走り)という行動
 5 いじめの対策

あとがき

 

ことわざの力
洋泉社 1997年3月26日


 「石に花咲く」。相容れない共同体の慣習を越えて、いつか行き来できる道が見い出された時にこういうことわざが作られた。ことわざは、個人の行動の戒めといったものではなく、常に異質な社会の間の相互関係を探る、「共生の作法」として追求されてきたものである。「隣の花は赤い」。この「隣」との価値観のずれ。そんな価値観の異なるシステム同士が、どうしたら接点を持ち、異なる価値の変換ができるのか。その知恵を私はことわざの発想の中で発見した。今までにない新しいことわざ観の創出。
―目次―
まえがき

第一部 ことわざ発見
Ⅰ ことわざへの新しい視点
Ⅱ 「明日」への仕組み
Ⅲ 風物の循環 ―水・物・時・風―

第二部 生ける風物
Ⅰ 「植物」にまつまることわざ ―人生のめぐり―
Ⅱ 「親子」にまつわることわざ ―同一からの旅立ち―
Ⅲ 「動物」にまつわることわざ ―力のめぐり―
Ⅳ 「身体」にまつわることわざ ―情報のめぐり―
Ⅴ 「衣」にまつわることわざ ―粉飾のめぐり―
Ⅵ 「食」にまつわることわざ ―侵犯のめぐり―
Ⅶ 「住」にまつわることわざ ―安全のめぐり―

付論

あとがき



子どもの笑いは変わったのか ービートたけしの挑戦

岩波書店 1996.11.7


社会の変動とともに,子どもの笑いは変わったのだろうか.今の子どもたちは何故たえず,笑いを求めるのだろうか.60年代以降のテレビ番組と,テレビアニメの笑いの変遷を追いながら,子どもたちの笑いの歴史を分析し,今ビートたけしやダウンタウンが子どもたちの生活と意識に及ぼしつつある影響について考える.
社会の変動とともに子どもの笑いは変わったのか。ビートたけしをはじめとするお笑いタレントやテレビ番組、ギャグマンガなどの変遷を追いながら、子どもたちが直面する現実に光をあてる。

目次
第1部 笑いとは何か
 1 ルーシーの外野フライ
 2 くずれのもどしー「復活の運動」としての笑い
 3 富士を見て笑う ー太宰治『富嶽百最』
 4 笑いの二つの方向ー「ユーモアの笑い」と「イロニーの笑い」
 5 子どもの笑いの変化の方へ

第2部 テレビの笑いはどう変わったのか
 1 「ガチョーン」の笑い ー一九六〇年代
  ①『とんま天狗』から『てなもんや三度笠』へ ②『シャボン玉ホリデi』
 2 「カラスの勝手」という笑いf→九七〇年代
  ①ドリフターズrカラスの勝手でしょ ②謝萩本欽一どこまでやるの
 3 パロディー本物を笑う笑い 一九八〇年代
  ①ビートたけしー赤信号みんなで渡れば ②『オレたちひょうきん族』
  ③明石家さんまーすんません、うそついてました
 4 「本気」の復権一九九〇年代
  ①とんねるず ②タウンタウン

第3部 テレビアニメの笑いはどう変わったのか
 1 「大人らしさ」への笑い 一九六〇年代
  ①シェー ー『おそ松くん』 ②ガバチョ、ガバチョとー『ひょっこりひょ  うたん島』 ③QQQのQー『オバケのQ太郎』 ④それでいいのだ『天才バ  カボン』
 2 「学校らしさ」への笑い 一九七〇年代
  ①エッチ!『ハレンチ学園』 ②こんなこといいな、できたらいいなー『ドラ  えもん』 ③死刑!『がきデカ』 ④だーれが殺したクックロビンー『パタ  リロ』
 3 「自分らしさ」への笑い 一九八〇年代
  ①ダーリン!ー『うる星やつら』 ②ニンニクパワーだ! ー『キン肉マン  』 ③「んちゃ」と「ほよよ」ー『Dr・スランプ』 ④恥(たらり)この顔の  すだれー『ちびまる子ちゃん』
 4 「育て」からの笑い 一九九〇年代
  ①それほどでもお ー『クレヨンしんちゃん』 ②ぽよぽよー『ママはぽよ  ぽよザウルスがお好き』

第4部 子どもの笑いはどう変わってきたか
 1 「ひとりひとり」に切り離されてきた時代の中の笑い
 2 「葬式ごっこ」の中の笑い
 3 「お笑い番組」のもたらしたものービートたけしの「毒」の功罪
 4 ギャグマンガの功績
 5 笑いのゆくえ

 

 

「いのち」論のひろげ

洋泉社 1995.10.5

 

目次

1 なぜ「いのち」論なのか
2 「いのち」と「名づけ」
3 「いのち」と「すわり」
4 「いのち」と「すがた」
5 「エロス」と家族
6 「死」まで

 

「怒り」の構造 ―この不本意を生きるかたち―

宝島社 1993年11月20日


 暴君の見せる理不尽な怒りとそれを相手にいつもびくびくして生きなければならない人々の悲劇。それを最初に主題化したのはセネカの『怒りについて』だった。暴君はいつの世にもいる。会社にも家庭にも学校にも。反撃としての正当な怒りも必要だ。怒れない人に治療としての怒りを教授する人もいる。しかし怒りは相手をあまりにも簡単に「敵」にしてしまう。現代社会は人間関係を疎遠にし、その分相手を見えにくくさせ、怒りを誘発しやすくしている。アランの『幸福論』が怒り論であることの見直し。
―目次―
はじめに

Ⅰ 怒りのはじまり
 1 幸福論のゆくえ
 2 アランの『幸福論』
 3 セネカの『怒りについて』
 4 怒りの発生する「場」の理解

Ⅱ 世間にみる怒りの一段面
一 日常の風景から
 1 人生相談に見る「怒り」
 2 怒りの発生するしくみ
 3 会社の中の「怒る人」
二 ニュースと生活のはざまで
 4 「女子高生監禁殺人事件」にみる怒りの諸相
 5 ’90年「湾岸戦争」にみる怒り
 6 「風の子学園事件」と「教師」のイメージ
 7 夏の甲子園
 8 「自閉症児」の怒り
 9 「心の病み」がみせる怒り
 10 治療としての怒り
三 作品にみるき怒り
 11 ルナール『にんじん』
 12 夏目漱石『坊っちゃん』
 13 森鴎外『半日』
 14 宮沢賢治『土神ときつね』
四 怒りと恐怖の関係について
 付録 もって生まれた「ひずみ」について

あとがき

 

恐怖とは何か 

宝島社 1992年8月1日


 恐怖の源は死である。死といっても三つの死がある。生理の死、倫理の死、論理の死。病気や障害は生理の死、罪人の烙印は倫理の死、考え方の行き詰まりは論理の死を招く。そして次元の違うそれぞれの死に、性質の異なる恐怖が発生する。この三つの死は「共同体」から閉め出される時に集中的に現れる。古今の民間習俗や物語に現れた鬼や魔物の恐怖は、共同体に帰属できなかった人々の恨みと関係する。人間と共同体の関係を恐怖という主題を基に、宗教の観念も含めて考察し直す。ポーの恐怖小説も分析。
―目次―
はじめに

Ⅰ 何を恐れてきたのか
 1 一枚の恐怖の写真
 2 共同体を出るところ
 3 鬼―この恐怖の化身
 4 「鬼」から「よそ者」へ
 5 「よそ者」から「他者」へ
 6 都市生活者
 7 「所」とは何か

Ⅱ 対人恐怖の世界へ
 1 「恥ずかしさ」とは何か
 2 赤面恐怖について
 3 「失敗論」をつくる中から
 4 対人恐怖者の「強気」について
 5 精神病理としての恐怖症について

Ⅲ 文学に描かれた恐怖
 1 詩集『天の鐘』から
 2 『アッシャー館の崩壊』(ポー)
 3 『メエルシュトレエムに呑まれて』(ポー)
 4 『おそれとおののき』(キルケゴール)
 5 『皮膚と心』『人間失格』(太宰治)

付 子どもの「おびえ」「こわがり」について

あとがき

 

児童文学はどこまで闇を描けるか 

宝島社 1992年3月1日


 『赤ずきん』の主題は子どもが狼に食べられるところにある。生き物を食べないと生きられない私たちの存在のあり方は、作品として描かれていると、おぞましく、恐怖に満ちたものとなる。そういう主題はふだんは表沙汰にはされず、「闇」になっている。児童文学の分野でその「闇」と精力的に取り組んだ上野瞭の諸作品を分析し、私たちが見て見ぬ振りをしている肉や血としての存在の仕方を追求した。『ガリバー旅行記』『不思議の国のアリス』の抱える主題との共通性にも言及している。
―目次―
まえがき

Ⅰ児童文学の「闇」

 1『赤ずきん』の闇
 2『青ひげ』の闇
 3宮沢賢治の『ブランドン農学校の豚』の闇
 4スウィフトの『ガリヴァー旅行記』の闇
 5キャロルの『不思議の国のアリス』の闇

Ⅱ 「児童文学」への一視点

 1子ども時代の「三界論」から
 2大人から見られた三つの世界
 3「作者」の仕事
 4「謎」と「探偵」について
 5上野瞭の作品への基本的な視点
 6作風についてのいくつかのメモ

Ⅲ 上野瞭の作品論

 1『ちょんまげ手まり歌』、刀
 2『目こぼし歌こぼレ、、
 3『日本宝島』、〃
 4『ひげよ、さらば』
 5『さらば、おやじどの』
 6『砂の上のロビンソン』
 7『アリスの穴の中で』
 
Ⅳ 私の課題の方へ

 1「種になる」イメージをめぐって
 2老いと性

あとがき

 

「いのち」論のはじまり

洋泉社 1991.2.1

 

目次

1部 「いのちの絵」から(いのちの「絵」
 「ある」と「いる」
 「ある」―この物質をイメージすることば
 「いる」―このいのちをイメージすることば)
2部 「いのち」から「人間」へ(根源としての交わり
 物質と生命
 「衣・食・住」の宇宙性
 「人間」の根拠はどこに求められるのか
 「人生」をまるごと対象にする視座
 なぜ「人生論」なのか)

 

『銀河鉄道の夜』とは何か 

大和書房 1989年7月10日


 様々に解釈され得る『銀河鉄道の夜』を、少年期が終わる頃の子どもたちの物語として読み解く試み。科学に目覚める心と、まだ物語を信じている心とのせめぎ合いが、「銀河鉄道」(物語の世界)に乗って宇宙(科学の世界)を旅するという作品に結晶されているというふうに読み解く。「大人」への入り口を前にして、微妙に揺れ動く少年期の心情が、友情や恋愛感情を交えて描かれていると分析。ほかに少年期の終わりを描いた『ピーターパン』『星の王子様』『トロッコ』などの作品との比較も試みる。


―目次―
まえがき

Ⅰ 『銀河鉄道の夜』とは何か
 1「知る」ことと「信じること」
 2「午后の以-卜」の問い
 3『鹿踊りのはじまり』から
 4ジョバンニとは誰か
 5物語と科学のあいだで
 6「銀河鉄道」の走るところ
 7プリオシン海岸
 8鳥を捕る人
 9「銀河」の二重性
 10リンゴと難破船
 1「天上の死」のイメージー
 11汽車はなぜ「高原」に登ったのか
 12石炭袋-この少年期を越えるところ

Ⅱ『銀河鉄道の夜』の周辺
 1最初の読後感から
 2「児童文学」の骨格
 3他の児童文学作品との比較
 4批評の周辺

Ⅲ 賢治童話小論
 1よだかよお前はどこへとびたったのか
 2あとでしかわからないもの
 3将軍の戦った〈敵〉について
 4ホモイはなぜ〈貝の火〉をもらったのか
 5熊はしゃべらなかったかもしれない
 6覚悟について
 7ほんとうのつながりについて
 8雨ニモ負ケズ
 9〈人間〉とは何か
 10無知について
 11名づけられたもの
 12『双子の星』について
 13『どんぐりと山猫』について
 14権力について
 15『水仙月の四日』について
 16〈歌〉のはじまり
 17「雨ニモマケズ」再読
 18わかったようなまたわからないような
 19変わらないものはない

あとがき

 

未形の子どもへ ー人生四苦八苦から

大和書房 1986.1.10

 

目次
はじめに・
Ⅰ 人生について少し
 1 旅の手帳より
 2 あの人がいるから
 3 その人の物語
 4 「人生四苦八苦」考
  ①自分はどんなふうに立ち直っているのか ②もしも明日が ③「ある」と  いう体験、「ない」という体験 ④「しんどい」という言葉から ⑤「四苦  八苦」の方へ
 5 幸福について
  ①幸福になる方法 ②幸福になる方法 ③幸福になる方法 ④手紙ーしあわ  せについての ⑤おもしろいこと ⑥私の好きなことわざ
 6 ことわざ考Ⅰ
  ①粗品袋の言葉から ②ことわざは「経験の科学」なんかではない ③その  場しのぎとしてのことわざ
 7 ことわざ考Ⅱ
  ①人生のコピーとしてのことわざ ②ことわざの中の川・海・舟のイメージ
 8 魔の「13歳」論 ー「ない」を体験する季節ー
 9 「ない」を感じるところから ー自己史からー

Ⅱ 家族について
 1 家へ帰りたい
 2 やさしさについて
 3 家族について
 4 詩集『〈一家〉心中』を読んで
 5 兄姉について
 6 父親への手紙
 7 母子関係その裏にあるもの
 8 人を理解するということ
 9 出会い
 10 家族とは何か
 11 相似としての家族
  ー小此木啓吾著『家庭のない家族の時代』批判をかねて

Ⅲ おくれなるものへの想い
 1「おくれ」について
  ①天才とおくれ ②古代のことばとしての「おくれ」
 2 感覚について
  ①「匂う」ことと「ふれる」こと ②「知覚の障害」について ③痛みにつ  いて。④口腔感覚について
 3 おびえから地図へ
  ①「おびえやすさ」について ②電車の好きなとお君 ③地図の発見として  の遊び
 4 子ども大人の勝手な思い込み

Ⅳ ことばとからだ
 1 つながりの体験
 2 リズムとことば
 3 リズムと指さし
 4 指さしとことば
 5 ことぽと生活
 6 ことぽのもつ三つの顔
 7 声とはなにか
 8 ことばの奥手
 9 ことばの遅れ
 10 どもる子について
 11 ことぽの手足
 12 沈黙とことば
 附録 あの子にはいつも笑っていてほしい

V 未形なものからの出立
 1 「大人になる」とはどういうことか
 2 〈わからない授業〉というものについて考える
 3 「算数」とは何か
  ー「たす」ことのイメージと「ひく」ことのイメージー
あとがき

 

 

『人間失格』の発見 ―倫理と論理のはざまから―

大和書房 1988年2月25日


 幼児期の不遇な母子関係、父子関係から、対人恐怖症的に育った太宰治。その自分の姿を亡くなる直前に『人間失格』という特異な言い方で主題化して作品にしたのだが、この特殊な個人的な体験が、日本の著者の多くの共感を呼んできた。それはなぜなのか。ここでは狭い意味の文学論としてではなく、とくに「対人恐怖的」に描かれた主人公の社会学的な状況を、日本人の置かれている状況として捉え直して、その現在的な主題を追求した。『富獄百景』や『桜桃』などの諸作品との関係にも言及。
―目次―
はしがき

Ⅰ 『人間失格』を読む前に

Ⅱ 『人間失格』の構造
一 「はしがき」あるいは「写真をみる」という仕組みへ
二 「第一の手記」
三 「第二の手記」
四 「第三の手記」

Ⅲ 『人間失格』を読み終えて

Ⅳ 作品の解釈史

補論 『人間失格』はいかに準備されてきたか

あとがき

新しいキルケゴール ー多数あるいは複数自己の理論を求めて

大和書房 1986.11.30


目次

Ⅰ  人生に「謎」ありやなしや
Ⅱ  新しい作品解読の試み(『イロニーの概念』―解釈の多義性をめぐって

 1 『イロニーの概念』
 2 『あれか、これか』
 3 『反復』―二重人あるいは自己複製論
 4 『おそれとおののき』―殺人論
 5 『哲学的断片』―生成あるいは宇宙論
 6 『不安の概念』―離反・心的離反論
 7 『人生行路の諸段階』
 8 『死に至る病』―多者あるいは自己複数論)

Ⅲ  弁証法・実存・多者の方へ

 

小さくなあれ 詩集 装幀・カット 長新太
大和書房 1985.6.25




子ども体験
大和書房 1984年10月30日


 「子ども」というあり方にはいくつものレベルがある。目の前にいて成長する「他者として子ども」、自分がかつてそうであった「過去としての子ども」、昔話、童話、児童文学などにでてくる「物語としての子ども」などなど。それらの「子ども像」はそれぞれに成立基盤の違うところで形成される。私たちが何気なく「子ども」と言う場合の「子ども」とは、その成立基盤の違う子ども像を体験するということなのではないか。それを「子ども体験」と呼んで考察の対象にした。

―目次―
序章 世界を体験すること

第一部 幼年論
 はじめに
 家族への道
 口唇の世界
 人見知り
 遊びの世界
 「認識」としての遊び
 迷宮・考

第二部 少年論
 はじめに
 「泥棒」と呼ばれた少年
 ウォルト・ディズニーの映画をみた
 『風の又三郎』について
 いじめ
 三界論
 少女的なもの
 自殺について
 二つの母なるもの
 学校

第三部 青年論
 「わからないもの」としての青年
 第三の心的類型
 誘惑の構造
 自己史をたどれば
 殺人・考
 学校なるものから
 戸塚ヨットスクール
 旅の思考へ

あとがき

 

理解のおくれの本質 -子ども論と宇宙論の間で―
大和書房 1983年4月10日


 心身障害・知的障害という病理学の視点から追求されるばかりの「知恵遅れ」の主題を、心的な現象にとって、理解(知恵)が遅れるということはどういうことなのか、という普遍的な主題の中でとらえ返して追求した論考。重要な観点は、障害として「おくれ」があるわけではなく、理解という仕組みを持つことの中にすでに「おくれ」という構造を持たざるを得ない、そういう心的現象のあり方を追求するところにある。「自閉症論批判」「言葉のおくれとは何か」「山下清論」などを含む。
―目次―
まえがき

第一部 最初のかたち
Ⅰ 呼吸の方法
Ⅱ いきの構造Ⅰ
Ⅲ いきの構造Ⅱ
Ⅳ 希望の構造
Ⅴ 危機について
Ⅵ 宇宙論の方へ

第二部 理解のおくれの本質
[1]子どもの世界
[2]おくれる子どもたちの世界
Ⅰ 心的世界の変容構造
Ⅱ 自閉症論批判
Ⅲ ことばのおくれを考える
Ⅳ 重度の子の世界

第三部 山下清論

あとがき

 

初期心的現象の世界 ―理解おくれの本質を考える―

大和書房 1981年 6月10日

 


 心の発生を、類的な構造(融合の世界)と主観的な構造(区別の世界)の二重構造においてとらえ、その初期形態としての子どもの世界を、心的現象の変容と発達の過程として総体的に分析した論考。従来の乳幼児期における個人の成長の観察を中心にして得られる子どもの見方ではなく、「類としての心」と「個体としての心」の統一構造の中に見えてくる新しい子ども像を追求した。「初期とは何か」「年齢とは何か」「二語文の獲得とは何か」「自己像の形成とは何か」などの主題も論じる。
―目次―
はしがき

第一部 予備考察
Ⅰ 方法としての〈弛緩〉
Ⅱ 心的現象総体への視点

第二部 初期心的現象の世界
Ⅰ 初期とは何か
Ⅱ 初期心的現象の変容と発達
Ⅲ 理解おくれの本質
補遺ノート

あとがき