旧 児童文化ゼミの小径


2020年の年賀状です

懐かしのオープニングのページ



懐かしのオープニングのページ

旧、児童文化研究室のHPを開くと、最初に出てきたのがこのページでした。

    (エジプトのピラミッドにて)
同志社女子大学 生活科学部 人間生活学科
児童文化研究室
 
管理者:村瀬学  作成者:村瀬学&助手 隅朋子  since 2000


児童文化、この異種混淆がうごめく世界にて
-私の研究、私の授業-



「ぼうや、よい子だ、ねんねしな」で始まる、テレビ『まんが日本昔ばなし』のオープニングで、龍に乗った子どもが空を飛んでいる。奇妙な光景だけれど、私たちはそれを不思議だとも思わずに、面白く見ていた。なぜなのだろう、あれは子どもの見る物語だからとして、私たちは割り切って見ていたからであろうか。

「子どもの見る物語」という枠内では、起こりえないものはないほどに、いろんなことが起こる。だから見ていて楽しい。起こりえないことが起こるのだから、見ていて面白くないわけがない。それが「子どもの物語の世界」なんだといってしまえば、わかったような気になるのだが、では、いったい何で「子どもの世界」では、起こりえないことが起こるのか、そしてそれはまたどうして自然に容認されているのか、ということについては、私たちはふだんはあんまり大真面目には考えない。そんなことは改めて考えなくてもわかり きっているように感じているからだ。                               

 でも、起こりえないことってなんだろうと、たずねはじめると、けっこう考えることが難しいことに気が付く。空想の中なら何でもOKなんだと言う人もいる。でも、空想って何なのだということになると、これもまた答えることがやっかいだ。そして実は、そういうことを考えようというのが、私の児童文化研究室なのである。                                            

「子どもの世界」には、龍や怪獣や妖怪や妖精や異星人、その他ありとあらゆる奇妙な生き物が登場する。一見すると、そういう生き物は、気味が悪いだけにしか見えないことがある。けれども注意してよく見ると、それら怪物たちは、全く起こりえない生き物なのではなくて、たいてい彼らは、それまでの生き物のイメージの組み合わせやつぎはぎとして創り出されてきているのがわかる。つまり怪物達は、それまでのイメージの交ざりもの、混合体なのである。そういう意味では、児童文化で活躍する生き物群は、すべて、空想のイメージの海からの進化の歴史を持っている、ということができる。そういう生き物群が「人間」と交じって活躍する。ここに児童文化特有の「異種混淆の世界」の面白さ、豊かさがある。

 ところが、「大人になる」ということは、そういう「異種混淆の世界」から抜け出すことである。「人間」という「同質のもの」だけで「世界(社会)」を作るのが「大人になる」ことなのだから。しかし、子どもは違っている。怖がったり、喜んだりしながら、「異種混淆」を楽しもうとする。それが児童文化の大きな醍醐味だ。しかしそれは大人になったものから見ると、馬鹿げた「子どもだまし」の世界のように見えてしまう。

 私は以前に、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の「銀河鉄道」が、「夜空を飛ぶ龍」に似ていると評したことがある。「龍」は古代の神話から、空を飛ぶ「蛇」であり、「蛇」は太古から「死と再生のシンボル」として、世界中であがめられてきたものである。そういう意味では、列車を長く連結させて空を飛ぶ銀河鉄道は、古代からの空を飛ぶ龍と比較されても、まるっきりおかしいというわけではないことがわかる。というのも、賢治の銀河を飛ぶ汽車も、死者(カンパネルラ)と生者(ジョバンニ)の両方を乗せて走るものであり、まさに死と再生のシンボルそのものの内容を持っていたからである。

 それでは、「銀河鉄道」が「まるで龍のようだ」というような比較ができたとして、じゃあいったいそれで何になるのだろうと、尋ねられるかもしれない。そこで児童文化の出番となる。そもそも、「イメージの海」から生まれたものは、鉄のロボットでも痛みを感じ、鉄の汽車でも、蝶や龍のように空を飛ぶ。そのイメージの進化の中では、石も鉄も水も草木も「異種混淆」するのである。かつてはそういう世界は「アニミズム(精霊崇拝)」の世界と呼ばれてきた。しかし、児童文化の世界は、そういう万物に霊魂が宿ると考えるような世界ではない。そうではなくて、イメージをどこまでも混合させてゆく異種混淆をおもしろがる世界である。

 かつて宇宙が、物質を混ぜて世界を創り出し、その物質を混ぜて生命を創り出してきたように、子どもたちも、あたかも宇宙の創造者のように、イメージを混ぜ、「鉄の汽車」を「龍」のように飛ばせる。そしてそれは、実は「もう一つの万物創世」を生きる「もう一つの生命活動」になっているんだということを私たちは理解したいのである。「空想」の世界には、そういうイメージの進化の歴史があり、それは現実の子どもに現に生々しく生きられているんだということを、この児童文化研究室から理解していけたらと思っている。


〒602-0893 京都市上京区今出川通寺町西入
同志社女子大学 生活科学部 児童文化研究室
 (2020年3月31日で閉室)

 

2020年の年賀状

ゼミのみなさん。新年おめでとうございます。年賀状の習慣のない方も、これで、少し年賀状の気分を味わっていただけたらと思っています。

 

アドレスは変わっておりません。

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