日々の小径2

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公園の朽ちたベンチ

地衣類への一歩

傷ついた夏みかん

同志社キャンパスのイチョウーこの超不思議な生き方

 

 

 

公園の朽ちたベンチ

学研公園の外周の一角に、木製のベンチがあります。設置された当初は美しい木目のベンチでした。でも今では朽ちて、苔が生えて、誰も座りません、というか、汚らしくて近づきもしないベンチになっています。秋の夕暮れに、ふとベンチに寄ってみました。すると、もう人は座らなくなっているのですが、別なお客さんが座っておりました。上の写真のベンチの左側に、少し赤くなっているものが見えますでしょうか。そこを拡大したのが、下の写真です。なんと、ベンチの上に、小枝と落葉とどんぐりが、並んで座っておりました。ベンチの上には、よく茂ったドングリの木(どんぐりが細いのでコナラ(小楢)の木でしょうか)があるものですから、そこから落ちてきたのでしょう。それにしても、朽ちたベンチに生えた苔をクッションにして、小枝とどんぐりとどんぐりの帽子と落葉とが、こんなふうに重なっているたたずまいは、偉大な絵画を見るようです。

 

 

 

地衣類への一歩

念願のというか、悲願の「地衣類」への最初の写真です。公園の周りの松の木に「ひらひらの衣」のような姿で張り付いている、灰緑色の、通称「ウメノキゴケ」と呼ばれている生き物です。どこにでも見られます。ウメノキゴケというから「コケ」の一種に思われますが、そうではなくて「地衣類」と呼ばれる、独特な分類上の生き物です。「衣」のように張り付いているとので「地衣類」と名づけられたのでしょう。わかりやすい名づけですが、その生態は、なかなか不思議です。これから、少しづつ紹介してゆけたらと思います。ともあれこのウメノキゴケ、どこにでも見られると言いましたが、どの街の街路樹にもヘばりついているので、見つけることができます。とくに街路樹を支えていた支え木が枯れてきたら、そういう枯木には好んで大きな衣を開いて、張り付いています。二枚目の写真がそうです。でも一件「衣」には見えませんが、オレンジのつぶつぶのような姿で、コンクリートに張り付いている「スミレモ属」と呼ばれる地衣類もいます。三つ目の写真です。私の町の「ニレの木橋」というコンクリートの橋の欄干に居ります。生態の紹介は追ってすることになりますが、こんな、夏はとんでもなく暑く、冬はとんでもなく冷たくなる場所に、どうやって生きているんだろうと、思います。地衣類とは、光合成を行う緑藻やシアノバクテリアと菌類が共生しあっている生き物なんですが、これをうまく「説明」できる人がこの世におられるとは思えませんのです。ホントに不思議な生き物です。

 

 

 



傷ついた夏みかん


縦に割れた夏みかん。ナイフで切ったような傷。誰が、どうやって、こんな傷を付けたのか? ちょっとした傷が、自然に大きく裂けていったのか? 分かりません。右横にも、鳥が突いたような傷があります。たぶん、この写真のような現物を見た人は、見ただけで気持ち悪いというか、食べられないものというか、さっさと捨ててしまうものように感じられると思います。そもそも町に住む人は、こういうみかんを目にすることはないと思います。店先にならぶ前に、はねられてしまいますし、生産地の段階で、商品にならないものとして、さっさと捨てられてしまうからです。でも以前、この「日々の小径」のコーナーで「リンゴとみかんの違い」という一文を書いて、みかんはリンゴのように一気には腐らないというようなことを言っておりました。なので、ここで、そのことを実証してみたいと思います。まず、黒くなったところの周りの川を剥いでみます。すると二番目の写真のようになりました。黒いものは、なにやら、中の袋の「背」の部分についていることがわかりました。それも、ほぼきっちり、一袋分の「背」だけを覆っているようなのです。それで、その一つ分の袋だけを、外してみることにしました。三つ目の写真です。すると、他の袋には、別段の痛みがあるようにはみえませんでした。では取りだしたその一袋だけが、腐っていたのかを知りたくなって、薄皮をとって中身を見てみました。それが四つ目の写真です。そうしたら、中身が変色している感じは見られませんでした。どうも袋の「背中」の部分だけが、「黒くなっている」ようなのです。それで、つぎに、その「黒い部分」を剥いでみることにしました。すると、五つ目の写真のように、絆創膏を剥がすかのように、ペロリとその部分が剥がれました。中身はきれいな黄色のままでした。こうしてみると、最初の写真の大きな傷口から想像していた以上に、みかんは、傷の広がりを最小限度に抑える工夫をしていることがわかりました。まさに人が、絆創膏やガーゼをあてて傷口を塞ぐように、傷の手当てをしていることがわかりました。いったい、脳も神経もないのに、一体誰がどこで、傷の手当てをするような指令を出し、身を守ろうとしいるのか、ほんとうに不思議です。

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礼拝の奨励

同志社キャンパスのイチョウーその超不思議な生き方
                               2020.1.17 村瀬 学


1 同志社キャンパスのイチョウ

 同志社大学の正門を入ってゆくと、クリスマスツリーにされる大きな木の次に、これも大きなイチョウの木があります。同志社と女子大の境目、夕方7時なると門が閉まる所にも大きなイチョウの木があります。そして、この栄光館の前の中庭の中央にも、立派なイチョウの木があります。誰が植えたのか、気になって調べてみたのですが、分かりませんでした。同志社大学のイチョウ木には銀杏の実がなり、熟して落ちると臭い匂いがします。こういう銀杏を付ける木は雌の木で、女子大の木は雄の木です。イチョウは雌の木と雄の木が分かれているんです。ところで、今日のお話のタイトルは、「イチョウ」ですので、「イチョウ」の話なんぞ誰が聞きに来てくださるだろうと心配しておりました。さらに副題にイチョウの「超不思議な生き方」となっているので、「超」は「イ・チョウ」に引っかけてあるだけだろうし、そもそもイチョウに「生き方」などといったものがあるのだろうか、と怪しげに思われていたかも知れません。でも、聞きに来てくださいましてありがとうございました。

2 ゲーテ『東西詩集』の中の「イチョウ」の詩

 ところで、このイチョウの木はドイツの詩人ゲーテの庭にも植えられていて有名です。というのも、彼はこの木が大好きで、『東西詩集』という詩集の中でも「イチョウ」と題した短い詩を書いています。この詩は、いろんな人に訳されていて、時には「ギンコー・ビロバ」という題で訳されているので、「イチョウ」の詩を探したのに見つからなかったという人もいます。「ギンコー・ビロバ」とはイチョウの学名で、栄光館前の中庭の木の根元の小さなプレートにも、イチョウの名の下に「学名ギンコー・ビロバ」と書いてあります。ほとんで薄れていて読めませんけどね。
 ところでこの詩集は『東西詩集』という変わったタイトルが付けられています。ゲーテは、東洋の国々の文化と、西洋の国々の文化の交流を求めてこういう題をつけていたのです。そして、その交流の中でも、イチョウは当時のヨーロッパにはなかった木で、江戸時代に、日本にきたケンペルによって、ヨーロッパにもたらされたもので、当時はとても珍しい木でした。ゲーテは、とくにこのイチョウの葉の、真ん中で割れたような扇状の形に魅せられて「イチョウ」という詩を書いていました。どんな詩かと言いますと「東方から来た不思議な植物よ。その神秘の謎を教えておくれ、お前はもともと一つなのに、二つに分かれたのか、それとも二つだったものが、よりそってふたつになったのか。このことを問うと、きっと気がついてくれるのではないか、一人の私の中に、二人の私が居ることに」というような詩です。

3 イチョウの精子を発見した平瀬作五郎

素敵な詩です。でも、この詩を紹介することが今日の話の目的ではありません。ゲーテは、イチョウの扇状の葉の真ん中に裂け目があることについて、詩人の直観でそこに「不思議なもの」「神秘なもの」の象徴を見て取ったのですが、実際に科学的にこのイチョウの神秘を発見した人がいます。それは日本人だったのです。明治29年、西洋では優れた顕微鏡が活躍していた頃ですが、そんな優れた顕微鏡でもない顕微鏡で、日本の研究者・平瀬作五郎が、イチョウの雌株に「精子」が造られていることを発見したのです。世紀の大発見でした。世界中の学者が驚きました。というのも「精子」はシダ類や動物しか造らないものと思われていたからです。ということは、イチョウは「動物的なもの」なのかというようなことが「問題」になっていったからです。
平瀬がイチョウの精子を発見したのち、後輩の池野成一郎がソテツにも精子があることを発見しています。このイチョウ、ソテツは、「生きた化石」と呼ばれ、もともとは2億年前から世界中に反映して化石に残っている古代の樹木ですが、恐竜が滅んでも生き延びてきました。生き延びる知恵を蓄えていたんでしょうね。でも後の氷河期にはさすがのイチョウも耐えきれず、世界中に広がっていたイチョウのすべては絶滅してゆきました。ところが、中国の南部の山間部に、ひっそりと生き延びているイチョウがいたんですね。それが、中国の寺院の庭に移植され大事に育てられ、交流の出来た日本にも伝えられ、日本の神社や寺院、宮廷などに植えられ大事にされてきたというわけです。
それが江戸時代になって、日本から西洋に運ばれて、ゲーテの目に止まったということなんですね。なので古代の人々の中には、理由は分からないにしろ、直感的にイチョウの木が、特別な神秘な木であることが分かる人たちがいたんですね。だから、寺院や宮廷で大事にされてきた。ところが、そのイチョウの神秘さの謎に、初めて科学の方面から光を当てた人が日本から出現してきたのです。

4 泳ぐ精子

問題はそこからです。ではイチョウの実が精子を作るとはどういうことなのということです。通常の植物の花は、どういうことをしているのかを、この栄光館を例えにしてお話ししてみます。この建物が、実のなるところです。そして私が立っているこの場所に、実のなる中枢の部分、卵細胞があると考えてください。そうすると、まず同志社の方から、雄花の花粉が飛んできます。そして門衛さんのところで、栄光館に入るための「精細胞」をもっていることが確認されます。これが「受粉」です。受粉が出来たら、精細胞は花粉管というくだに包まれて、私のいる所まで移動して来ることになります。自分では動けないからです。通常、精細胞は二つあって、この二つが、花粉管が伸びるに従って、その中を一緒に移動してゆきます。時間的には早いです。数時間で、あるいは一日のうちに、ここまで、つまり卵細胞のあるところまでやってきます。そして「受精」することになります。「受粉」と「受精」とは、全く違った出来事なんですが、その時間は早いのです。
一般の植物はそういうふうにして短い時間で「受粉」から「受精」までをするのですが、イチョウの場合は違っています。イチョウの花粉が、門衛さんのところに到着すると、その門衛さんのところ(花粉室と呼ばれる場所)で、精子を造ります。およそ5ヶ月ほどかかて、鞭毛(べんもう)でしっかり動ける精子を造ります。精子は、鞭毛を使って自分で動くことができます。だから精子は自分で動いて私の居る卵細胞まで動いてきます。ところが、精子が動けるのは、水や海水があるような状態の中なんですね。シダ類も精子を作るのですが、雨が降って、水たまりができるのを待って、その中を泳いでゆくのです。
ではイチョウの場合はどうするのかというと、この栄光館や中庭の中を「液」で満たすのです。他の植物で言う「花粉管」の中を「液」でいっぱいに満たすと考えて貰っても良いかと思います。そうしておいて、その「液」の中を卵細胞まで泳いでくるのです。実に、花粉が門衛さんのところに受粉してから、何ヶ月も掛けて、やっとこさ「受精」にこぎつけるというわけです。普通の植物が一日でやってしまうところを、なんと手間暇を掛けているかということです。

5 海と陸の架け橋になったイチョウ

 なぜイチョウが、こういう精子を作って受精をする植物になっているのかと言いますと、海で育った生命体が、陸へ上がり、水のない環境で生きるための仕組みを作らなくてはならなかったからです。最初はシダ類たちが、雨の降るのに頼りながら、精子で受精していましたが、イチョウやソテツは、雨に頼らないで、受粉や花粉管に水を満たすという仕組みを作ることで、精子を泳がせることに成功するんですね。まるでイチョウたちは、自分の中に「海のような環境」を人工的に作り、その中を精子が泳げるように工夫していたということなんです。だから、海の生き物と、後に地上で繁栄する植物の間をつなぐものとして、その中間のと言いますか、海と陸の橋渡しをするようなものとして出現してきたのがイチョウだったということなのです。
そういう意味では、イチョウはその辺の植物の中の一つというのではなく、全く別格の、生きものとしてそこに居ることがおわかり頂けるのではないでしょうか。
そのことを考えてみると、今日の話のタイトルに、「超不思議な生き方」と形容させてもらったことも、あながち誇張でなかったことはおわかり頂けるかなと思います。
こういうイチョウの別格の生き方を、詩人のゲーテや、古代のお寺、神社に関わる賢明な人たちは、直観で感じ取っていたように私は思います。どうぞみなさんも、動物と植物の違いを、簡単に分けたりしないで、その間の不思議なつながりを創っていった生き物がいたことに想いを寄せていただけたらと思います。そしてその知恵を持った生きものが、同志社のキャンパスの中央にどかりと居るんだということを意識していただけましたらと思っています。ご静聴ありがとうございました。
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ちなみに賛美歌は、讃美歌21 575番「球根の中には」を意図的に選びました。理由はもうおわかりかと思います。YouTubeで歌は聴くことができます。有名な歌ですので、どうぞ聞いてみてください。
「♪球根の中には 花が秘められ/さなぎの中から いのちはばたく/寒い冬の中 春はめざめる/その日 その時を ただ神が知る♪」
聖書の朗読は、「ヨハネ福音書 8章7節」でした。「彼らがイエスに尋ね続けるので、顔を上げて彼らに言った。「あなた方のうちで罪のない者がまずこの人に石を投げつけなさい」」。


以下はイチョウを知るための参考文献です。
南光重毅『大むかしからの植物』誠文堂新光社1984
長田敏行『イチョウの自然誌と文化史』裳華房2014
ピーター・クレイン『イチョウ 軌跡の2億年史』矢野真千子訳 河出書房新社2014
ゲーテの「イチョウ」の詩で、私が最も優れていると思う訳詩は、上記の矢野真千子訳です。以下に掲げておきます。

  ギンコー・ビロバ

はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ

おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?

こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを
  (ゲーテ 1815.9.15)