高橋秀明氏の『いじめ』本の批評

思想の定点に向けたたたかい――村瀬学のいじめ論をめぐって
髙橋秀明

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 村瀬学『いじめの解決 教室に広場を』(2019.4言視舎 以下『いじめの解決』と略す。)及び『いじめ――10歳からの「法の人」への旅立ち――』(2018.7ミネルヴァ書房「思春期のこころと身体Q&A」シリーズ第二巻 以下『いじめ』と略す。)を読んで、「いじめ」とはどういうふうにして生まれ、そして、どのようなかたちで解決が目指されるべきことなのかを得心できた気がする。いじめ解決法の類の本はいくつか目にしてはいるが、寡聞にしてこのような得心を体験したことはなかった。稀有なことと言うべきだろう。胡乱な私が読書により得心する体験を持ったということも稀有なことだが、村瀬のいじめの論じ方こそが稀有で貴重なことだと思う。
 この村瀬の二著の考察のベースとなっているのは、文学、哲学等ジャンルを問わない彼の博覧強記の経験知すべてであることは言を俟たないとしても、あえて挙げるなら、なかでも自身の『13歳論』(1999.2洋泉社)と中井久夫のいじめに関する論考(「いじめの政治学」(1997.7『アリアドネからの糸』(みすず書房)所収)又は『いじめのある世界に生きる君たちへ』(2016.12中央公論新社))、そして、ポーランドの小児科医コルチャックによる子ども裁判所や子ども議会の試みの記録であろう。すぐれたいじめ論や学校論を展開してきた芹沢俊介の仕事は、村瀬のこの二著においてまったく顧みられていない。いじめに対する観点が異なっているためであろうが、その不言及によって、これも紛れなく一読に値する、すぐれた芹沢俊介の著作『「いじめ」が終わるとき――根本的解決への提言』(2007.7彩流社)への無言の批判たり得ていると言えると思う。

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 いじめに対する村瀬学の観点は、他の論者には殆ど認めることができないものだ。それほどに村瀬の観点は独特である。何がどのように他と異なっているのだろうか。
 まず、村瀬は一方で中井久夫のいじめ論を鋭く批判しつつも高く評価しているが、森田洋司や清永賢二らの学者、専門家のいじめ論については殆ど評価しないし、森田については『いじめの解決』の最終章において痛烈に批判している。これは、誤解を怖れずに言えば、森田や清永らが、いじめを非行ないし犯罪の問題行動として否定的にしか捉えようとしていないからである。「いじめの集団力学」(1998.4『いじめと不登校』(岩波講座「現代の教育第4巻」)所収)や『いじめとは何か』(2010.7中公新書)における森田洋司は、いじめに対し殆ど的確な認識を行き渡らせながら、いじめを機能主義的にしか捉えることができずに否定的まなざしで論考を一貫させてしまっていると言ってよい。たとえば森田はいじめを人間社会に遍在する全世界的現象としてとらえているのに、いじめの要素としては「力関係のアンバランスとその乱用」「被害性の存在」「継続性ないし反復性」の三つを挙げるだけで、いじめる側におけるいじめの契機をその要素として考察しようとする視点を全く欠いているのである。
 また、前著の芹沢俊介は、いじめへ加担するいじめる側の「加害」理由として集団的身体への帰属や同調の意向を認めており、いじめを単に問題行動として否定的に捉えようとする傾向からは、むしろニュートラルな捉え方へ修正しようとしていると言ってよいのだが、しかしなお、いじめる側に立った肯定的、内在的と言えるようなまなざしまでは、そこに認め難いと感じられる。このような内在性の不徹底と言ってもよい傾向は、いじめの契機と社会的な共同性の変容とを秤量しつつ、「『いじめ』とは果たしてどこまでが『学校』の問題、もしくは『教育』の問題なのであろうか」(「『いじめ』を考え(あぐね)る」(1999.10河合洋編『いじめ《子どもの不幸》という時代』(批評社))所収)と問おうとする滝川一廣においても同様である。
 ここで私が「肯定的、内在的」と言うのは、いじめの契機をかたちづくる要因としての、ある不可避性への認知のみならず、それに対する肯定的なまなざしを指してのことである。誤解のないよう言い添えるなら、いじめ行為に対する肯定的評価ということではむろんなく、いじめる側におけるいじめの契機への肯定的(同情的)なまなざしということである。その意味では、むしろ中井久夫が、いじめの契機を「権力欲」の発現として、肯定的(同情的)なまなざしで見ようとしていたと言えるのである。中井久夫のまなざしは次のようにいじめの契機を照らし出している。

 人間には「他人を支配したい」という権力欲があります。/ 他にもいろいろな欲があります。眠りたいという睡眠欲は一人で満足させられ、他に迷惑はかけません。食べたいという食欲も同じようなものですが、他人の食べものを奪ったり、他のいのちを犠牲にするので、睡眠欲ほど無邪気とはいえません。成長につれ異性への情欲もでてきますが、これは基本的には二人のあいだのことで、思い通りにならず悩むことも多いことでしょう。/ しかし、権力欲はこれらとは比較にならないほど多くの人たちをまきこみます。その快楽は、思い通りにならないはずのものを思い通りにすることです。その範囲はどんどん広がり、もっと大きな権力、さらにもっと大きな権力へという具合にきりがありません。きりがないということは、「これでよい」と満足できる地点がないということです。権力欲には他の欲望と違って、真の満足、真の快さがありません。/ 〔…〕/ むろん、権力欲を消滅させることはできそうもありません。ただし、権力欲をコントロールして、より幸せな社会をつくる道がありそうです。人類はまだその道筋を発見したとは言えませんが、考える値打ちのあることだと思います。(中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ』)

 中井は、いじめの契機をなすと考えられる「権力欲」を、昇華されるべき否定的なものと一概に捉えてはいない。しかし、そのような中井でさえ、結論部では「〔…〕被害者がどんな人間であろうと、いじめは悪であり立派な犯罪であり、自分は一人の人間として被害者の立場に立つことをはっきり言う必要があります。」(同前)というふうに――この提言自体は正当であるにしても――、「権力欲をコントロール」するという目的に対してはこのような提言内容ぐらいしか有効性を期待することはできないとみなしてしまう諦観に落ち着いている、と見えるのである。ただ、このような結論で終わってしまうのでは、森田洋司などの見方と殆ど差は認められなくなる。いじめの根因として「力関係のアンバランスとその乱用」があって、その「乱用」が問題なのだ、結局、いじめる側が悪い、いじめられる側に立て、という、いじめの契機に対するただの否定的(非同情的)評価に落ち着くようなことになってしまう。

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 しかし村瀬学は、そこから更に突き抜けていくのである。村瀬は、「中井久夫『いじめの政治学』が重要なのはどういう点ですか」という問い(Q)に対する答(A)として、「いじめが行われるところを無法地帯とし、そこは『出口なし』の強制収容所で、その壁は透明でも鉄条網より強固であるという認識から始められていたからです。」と答えて、次の一文を「いじめの政治学」から引いている。(『いじめ』「第10章 いじめ論」」)

 なるほど、子どもの世界には法の適用が猶予されている。しかし、それを裏返せば無法地帯だということである。子どもを守ってくれる「子ども警察」も、訴えることのできる「子ども裁判所」もない。子どもの世界は成人の世界に比べてはるかにむきだしの、そうして出口なしの暴力社会だという一面を持っている。〔中略〕/ その中に陥った者の「出口なし」感はほとんど強制収容所なみである。それも、出所できる思想改造収容所では決してなく、絶滅収容所であると感じられてくる。その壁は透明であるが、しかし、眼に見える鉄条網よりも強固である。(中井久夫「いじめの政治学」)

 引用したこの部分に対して村瀬は次のように言及している。

  いくつもの比喩で語られるこの「無法地帯」ですが、そこが壁のない、しかし出口もない「収容所」としても語られています。中井氏は、そういう比喩に何を籠めようとしていたのかということです。/ ここで最も大事な指摘は、その、壁はないが出口もない領域に「子どもを守ってくれる子ども警察」も、訴え出ることの出来る「子ども裁判所もない」と指摘されているところです。このことは逆に言えば、その領域に「子ども警察」や「子ども裁判所」があれば、その世界の「無法性」「法の適用の猶予」はなくなり、理不尽な暴力世界にならずにすんでいるはずなのだという思いが込められています。(『いじめ』「第10章 いじめ論」」)

 村瀬学が中井久夫から引き継いだものは、この回答部の解説にみられるように、たしかに、「子ども警察」や「子ども裁判所」がない故のその世界の無法性というヒントであったろうが、そのヒントを重要なものとして受けとめることができるためには、なんと言ってもいじめの契機に対する肯定的(同情的)なまなざしを、村瀬が中井と共有していなければならなかった筈だ。私たちはまた、中井が「いじめの政治学」の冒頭近くでは、こうも書いていたことを思い出してもよいだろう。――「子どもの社会は権力社会であるという側面を持つ。子どもは家族や社会の中で権力を持てないだけ、いっそう権力に飢えている。子どもが家族の中で権利を制限され、権力を振るわれていることが大きければ大きいほど、子どもの飢えは増大する。」(同前)――子どもの世界がむきだしの「暴力社会」であるという認識は、いじめが人間の不可避な権力欲の発現であり、それを否定的に形容するなら人間成長の業のようなものと言うしかない、という肯定的なまなざしがなくては成り立ち得まい。いじめ問題の解決への道は、そのような肯定的まなざしに照射されることなしにはあり得ないことを村瀬は確信していた筈である。

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 たとえば、森田洋司が「三つの波」という形容によっていじめの様態変化を三時期に特徴づけたり、芹沢俊介が「いじめ」概念の成立過程を四段階に振り分けたりするところで、村瀬学はと言えば、単に、いじめは何歳くらいからはじまるかと問うのである。いじめの発生の核心は人類史の問題としてあり、それは地域の解体や学校化などのここ何十年間程度の社会変化のうちに本質を探られるようなことではなく、ただ、家族の一員として見知った存在同士の在り方から、共同体の見知らぬ関係世界の一員としての存在へと変成する、人間の成長過程のある特異な段階にこそ発生の本質を探られるべき、とされるのだ。村瀬は言う。

 「法」の意識を持ち始める頃から「いじめ」と呼ばれるものが始まります。いじめとは、いたずらやふざけと違って、何かの決め事に違反していることを察知し、それに対して自分たちで罰する意識を持つところから始まります。それは10歳頃からです。〔…〕10歳頃になると、表だって先生に訴えることも少なくなり、直接の腕力や喧嘩に訴えることも少なくなります。その代わり、仲間内で示し合わせ「知らん顔」をしたり、「無視」したりするような陰湿なことをし始めます。というのも、この頃からの決め事は、幼稚園や小学校の低学年の時のように先生が決めることよりも、自分たちで決めることの方が多くなってきているからです。だから、先生が決めたことなら、先生に言えばいいのですが、自分たちで決めたことへの違反者が出ると、自分たちで自分たちなりの「制裁」を加えることを意識するようになってきます。そしてこういう「制裁」の方が効果のあることも少しずつわかってきます。「法の人」の始まりと言ってもいいでしょうか。それが10歳頃なのです。(『いじめ』「第2章 10歳からの旅立ち」Q1-A)

 自分たちの決まり事をつくるのは、グループの中です。かつてのアメリカの心理学では、9歳、10歳くらいから始まるグループの活動を「ギャング・エイジ」と呼んできたものでした。〔…〕/ 発達心理学では、この「ギャング・エイジ」の出現を、たくさんある発達の中の一つの目印のように見なしてきたきらいがあります。しかし、そういうふうに見てしまうと、この目印のもつ重要な意味が見失われてしまいます。この出来事は、特別に注目しなければならない大事な出来事だったからです。/ なぜかというと、この「ギャング=仲間・徒党」つくりというのは、「ミニチュアの大人社会」の中核部分として存在していたからです。どこが大人社会のミニチュアなのかというと、そこに自分たちで「掟・法」をつくって行動する動きが現れていたからです。そして、陰湿で悪質な「いじめ」と呼ばれてきたものも、この「仲間つくり」の中で始まる「掟・法」の共有と罰則から出現してきていたのです。(同前Q2-A)

大事なことは、この「徒党を組んで動く」というところが、「掟」の意識が芽生えるところで発生するものであったということです。この「掟」の意識が、その後、「仲間」内部の「違反者」の意識を生み、さらには、その違反者に「罰」を与える権限を自分たちが持てることを意識させてゆきました。(同前Q3-A)

 中井久夫がいじめの根因に「権力欲」を措いたのに対し、村瀬学はそこに「ミニチュアの大人社会」の生成、言ってみれば「『仲間つくり』の中で始まる『掟・法』の共有と罰則」を備えた自治意識の芽生えを見ようとしているのである。

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 従って、村瀬による「いじめ」の定義は、次のような定義となる。

「いじめ」とは、「法的な意識」を持ち始める生徒たちが、「自分たちの正しさ」を基準にして「違法者」を見付け、独自の「裁き」と「制裁」を実施する過程である。(同前Q4-A)

 この定義が、いじめに関わってどれだけ孤立した思想の場所を占めているかを知りたければ、他の論者の「いじめ」の定義を引くに如かないだろう。
 たとえば森田洋司による定義は、「いじめとは、同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的に、あるいは集合的に他方に対して精神的・身体的苦痛を与えることである」というものだ。これに対しては村瀬も芹沢も批判しているが、たとえばひとつには、「優位に立つ一方」というものをあらかじめ定位できるのかどうかが問題になるだろう。仮に「同一集団内の相互作用過程において劣位に立っていた一方が、集合的に他方に対して精神的・身体的苦痛を与え」たら、それはいじめなのか、単にいじめに対する報復であっていじめではないのか、わけがわからなくなってしまうような定義でしかない。
また、いじめ防止対策推進法(平成二十八年五月二十日公布改正)における定義はこうなされている。「『いじめ』とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」。――これでは、ちょっとしたことでも、本人が心身に苦痛を感じていたら、それだけでいじめになってしまう。整列していて手を挙げたら偶々仲の悪い相手の顔に当たってしまい、むすっとした表情で詫びたとして、相手がいじめだと申告すればいじめになってしまうのである。法の施行に際していじめ被害者を取りこぼさないために便宜的としか言いようのないかたちで対象を拡大させた結果であろうが、このようないじめの定義の下でなされるいじめ対策がどこまで有効に機能するのか私には甚だ疑問である。
 芹沢俊介は、今から三十数年前につくられた警察庁少年保安課の定義――「単独または複数の特定人に対して、身体に対する物理的攻撃または言語による脅し、いやがらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して与えることにより、苦痛を与えること」という定義を、「すぐれて実践的なもの」と高く評価して、次のようにいじめの定義をまとめている。
 
▼「いじめ」の標的は主に一人に特定化されるということ。「いじめ」の参加者は常に多数者集団であること。「いじめ」集団の参加者は特定化された多数者の場合もあれば、不特定の多数者の場合もあるということ。/▼「いじめ」は、一人の特定化された標的と多数者集団という量的な対立を本質としていること。/▼「いじめ」における暴力は主に身体に加えられるものと心=精神に加えられるものとがあること。/▼そしてこれらの暴力は多数者集団によって反復継続して行使されること。/▼集団によって反復継続されるゆえに心理的暴力だけの行使であっても、標的になった子どもを死(自殺)に追い詰めることができるということ。/▼反復継続のなかで暴力はしばしば、多様性を帯びること。性的暴力と金銭のゆすり等が加わることがあること。/▼暴力の多様化する契機は、主に「いじめ」集団への参加者の人数・顔ぶれ、および心理面の二つの方向
から説明できること。/▼暴力が反復継続される根底には、「いじめ」が生じるその場の日常が反復継続によって成り立っているという現実があること。(『「いじめ」が終わるとき』「第2章 「いじめ」の定義」――太字強調は原文、傍点は引用者による)

 これら社会問題としていじめを議論している系列のいじめ定義と比べてみると、いじめをめぐる村瀬学の定義が、どれほど他と切り離されたところで組み立てられているかがよくわかるであろう。たとえば芹沢は、「『いじめ』は、一人の特定化された標的と多数者集団という量的な対立を本質としている」と述べているが、村瀬の定義と照らし合わせてみると、このような本質規定は全く色褪せてしまうと感じられるのではないだろうか。村瀬の観点では、いじめの対立をかたちづくる本質は、子どもたちによる「法」執行の意識という契機にこそあるのである。

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『いじめの解決』の副題には、「『法の人』を育てる具体的な提案」という言葉が置かれている。では「『法の人』を育てる」とはどういうことなのか。村瀬学は次のように述べている。

 この本で訴える「法の人」になる子どもを育てるという考え方は、文科省が指導しようとしている「法教育」とは、同じではないのです。〔…〕「法律の知識」を勉強したり、「人権」のことを「知識」と勉強したり想定しているわけではないからです。「法の人」をつくるというのは、「公の場(広場)」で自分の気持ちを訴えることのできる子どもを育てることを目標にしているからです。それは「一人」で行うものではありません。「公の場」で行うものですから、「公の場」を準備し、運営する者たちと共にあるものです。(『いじめの解決』「第Ⅰ章 教室に広場を」太字強調は原文)

 「『法の人』をつくるというのは、『公の場(広場)』で自分の気持ちを訴えることのできる子どもを育てること」だと村瀬は言う。特に瞠目すべきことが言われているわけではないと一見すると思えるかもしれない。しかし、そうではない。村瀬の提言はこれまで誰も言ってこなかったことなのだ。話は、今から少なくとも二十年を遡る。彼の『13歳論』を参照すると、少しはっきりするだろう。そこでの村瀬は、最初の疑問をこう呈していた。――「『13歳』をすぎると、なぜ『刑法』が適用されるのか」(『13歳論』第Ⅰ部「13歳の物語史」)。

 私自身は、十二歳、十三歳、十四歳、十五歳と、ただ一つずつ歳を取ってきたとしか思っていなかったのに、じつはそうではなく、そのなかで「ある一線」を越えてきたという「事実」があったのである。知らなかった、知らされていなかった、私はいまでもそう思う。しかし、私はすでにたしかに「一線」を越えてきたのである。これはどういうことなのか。(同前)

 この疑問はこう言い換えてもいい。子どもが成人(大人)の世界に入るのには、そのための入口がある。その入口は年齢でできている。しかし、その入口を潜った世界は「法の世界」なのである。ある年齢を跨ぐだけで、子どもは大人になれるなどということがあるのか。入口を通るための資格が他にあるべきではないのか、と。
 大人の世界=法の世界へ入る資格は、「法の人」であること、すなわち「公の場(広場)」で自分の気持ちを訴えることのできる人であることだ、という見解は、既に『13歳論』の中で概ね出されていた。『いじめの解決』と『いじめ』の二著は、その具体的な手引書であると言ってよいのだが、ここで、もう一点重ねて強調しておきたいことがある。
 村瀬は、中井久夫の記述――「私は仮にいじめの過程を『孤立化』『無力化』『透明化』の三段階に分けてみた。〔…〕これは実は政治的隷従、すなわち奴隷化の過程なのである。」(「いじめの政治学」――傍点引用者)という中井の分析と評価に敏感に反応して、こう述べているのである。

実際の「奴隷売買」が行われた時代は、人類が抱えてきた最も卑劣な時代でした。でもこの「奴隷化」の脱却を目指して、人々の長い闘争の歴史があり、そこからの脱却の歴史がありました。いったい「奴隷」と呼ばれていた人たちは、どうやってそういう現実と戦うことができていったのか。それは自分たちが「法の人」であるという自覚を持つことからでした。そして、実際にも自分たちを「法の人」として立ち上げてゆく過程をもったからでした。/ いじめの対策は、子どもたちが「法の人」として育つこととともに考えるべきだと思うのは、人類が身分制度を越えて「法の人」として立ち上げてきた苦悩の歴史に似たような側面があると感じるからです。(『いじめの解決』「第Ⅰ章 教室に広場を」太字強調は原文)

 十歳以降の子ども達の「公の場」としての広場を教室にどうつくり運営していくべきか、そこで審議(裁判)される内容は従前のクラス会での議論とはどう違っているのか、等々について村瀬は具体的な提言をイメージ豊かに繰り出しているが、ここでは、いじめのこのような思想的な捉え方にこそ、特に注目しておきたいと思う。『いじめ』の終章「思想としてのいじめ」において、村瀬は全体を振り返ってこう語っている。

「13歳」の問題が、「罪を問わない領域(年齢)」を人類が設定したことの問題であることに気が付くまでは、やはり時間が必要でした。そして、この「罪を問わない領域」で先鋭化してきたのが「いじめ」であることに認識を進めるまでにも時間がかかりました。〔…〕問題は「いじめの起こる領域」そのものが「罪を問わない領域」としてある、ということでした。その領域をどうしたら「罪を問う領域」として受け留められるのかという矛盾した問題としてあることが次第に見えてきたのです。/ だから「いじめ」という問題が、日本だけの問題としてあるのではなく、「罪を問わない年齢」を設定してきた世界史の大問題としてあるのだということ、つまり「思想としてのいじめ」が問題としてあるのだということでした。(『いじめ』「終章 思想としてのいじめ」)

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 たとえば芹沢俊介は、『「存在論的ひきこもり」論』(2010.9雲母書房)や『引きこもるという情熱』(2002.5雲母書房)においては、社会的ひきこもり論の大勢に対し、徹底的に引きこもり者に内在した論理を組み立てて対峙している。しかし、いじめについては必ずしもそうではない。「する自己」「ある自己」の存在の二重構造に基づく存在論的アプローチだけでは、いじめる側の「する自己」「ある自己」の内側へは、視線を十分に届けることができないのだと言うべきなのかもしれないと思う。
 私たちは、体験的にも存在論的にも、いじめる側あるいはいじめられる側のいずれか一方に内在していじめを考察することはできるだろう。しかし、いじめる側といじめられる側の両方に内在するためには、体験や存在論的アプローチに加えて表現論的とでも言うべきアプローチが求められるということではないだろうか。そんな思いを抱くのは、吉本隆明の『少年』(1999.5徳間書店)「第四章 少年の世界」における、自らの少年期を振り返っての記述に、私としては深く共感を覚えるところがあったからである。

 わたしには「いじめ」を受けた経験もないことはない。だが、ガキ大将で、粗暴で、ケンカはよくするということで、むしろいじめっ子の素質だった。そして「立川文庫」や「譚海」や「少年倶楽部」で培養された通俗的な正義感が、ときに矛盾を来しながらも、いじめの支えになっていた。/「いじめっ子」と「いじめられっ子」とは、少年の精神病理としてみれば同根だといえる。たまたま腕力や勢いが強かったとか弱かったとかいう相対的な関係で、どちらにもなりうるものだ。(『少年』――傍点引用者)

 このことに加えて、村瀬が『いじめ』の中でこんな問(Q7)に答えていたという事情もある。――「『福島原発事故によるいじめ』と『ノルウェー77人殺害テロ事件』に共通するものは」?(同前「第1章 「いじめ」とは」)という問いが挙げられ、それに対する答は次のようだった。
「恐しい、おぞましい『いじめ』です。このいじめは、いじめる対象に刻印を押し、自殺に追い込み、殺人事件に及びます」(同前)。
 吉本の一文からは、「通俗的な正義感」を軸として、いじめの加害者と被害者の立場の差異はともに偶然でしかないことが伝わってくるし、村瀬の一文では、いじめはテロにまで拡張される契機を孕んでいることが示唆されている。つまり、いじめの根底にも、貧困や犯罪の根底にも、排除や対立の社会的問題すべての根底に蠢いているのは、私たちの差別意識であり、その表現であると言っても過言ではない、ということなのだ。だから、「思想としてのいじめ」が問われるべきであるように、思想としての貧困や思想としての犯罪も問われるべきなのであり、それは、つまり、その思想表現の公共性が問われるべきだということに繋がっていく。いじめの解決とは、私たちの存在や関係のひずみを憎しみや差別としてではなくどう公共的に表現できるかという問題と一つなのである。社会問題としてではなく「思想としてのいじめ」を問うところからこそ、いじめる側といじめられる側の両者の対立の空間を、公共の空間に変容させるための村瀬のアイデアも出されている。もし学校や教室が村瀬の言う「法の人」を積極的に育てようとする場となっていくなら、私たちはそこで、知識や表現技術だけではなく、それらと存在とを繋ぐ思想の言葉を、即ち、自分の気持ちでも相手の気持ちでもない「法」の言葉によって自分と相手との関係を表現する方法をも、学ぶことができるようになる。それは、学校や教室が私たちの表現思想の定点となるということにほかならないのではないだろうか。