暦から絵本へ

暦から絵本へ
 ―「大きな作者」から絵本作家が継承してきたものの考察―
                    村瀬 学
内容
まえがき
Ⅰ ラチョフ絵『てぶくろ』の世界2
 1 ラチョフ絵『てぶくろ』 2
 2 日本の出版者、松居直の理解 3
 3 作者は「民衆」ー挿絵画家、E・ラチョフの「民衆への思い」 4
 4 「民族融和」なのか、「行って帰る話」なのか 5
 5 「てぶくろ」 ー手・袋・手袋・胃袋・女性性器・子宮ー 6
 6 民話としての「てぶくろ」と類似した話 8
Ⅱ 「大きな作者」はどこにいるのか 10
 1 ラスコーの洞窟壁画 -「洞窟」と「てぶくろ」の近似 ー 10
 2 洞窟と壁画と囲みと暦 11
 3 「暦」ー「世界」の「先読み」の知恵 12
 4 石井桃子の5歳の絵本体験と暦の意識 13
Ⅲ 「大きな作者」から世界の絵本へ14
 1 「ノアの方舟」ー古代の物語から現代の絵本作家へ 14
 2 『あおくんときいろちゃん』のトリック 16
 3 『はらぺこあおむし』の色を食べる話 19
 4 『ピーターラビット』の読み方 20
 5 長新太と荒井良二の絵本へ 22
あとがき 24


まえがき

 ロビンソン・クルーソーが、無人 島に漂着して最初にしたことは、木にナイフで刻みを入れて「暦」を意識することだった。七つの切れ目を折り返して、週、月、年を区別させたのは、時間が周期して巡っていることがわかっていたからだ。こういう「暦」の意識が生まれたのは、「四季」の周期を先読みする工夫からで、それは先史の時代に生まれたものだ。なぜなら先史の時代から「埋葬」が始まっていたからだ。「埋葬」とは「生死」をまるで「四季」の「周期の時間」として先取りできるようになり、獲得できたものだった。この時、人類は「周期する時間」を「囲み」の中に取り込んで目に見えるようにしてきた。今のカレンダーはその「囲み」の最先端のものである。私はこの「囲み」が、のちに「画用紙」になって「絵本」になってきたのではないかと考えている。その道筋を、「暦」から「絵本」へ、とここでは呼んでいる。ここでは、長い時間を掛けて、人類が「暦」の感覚を手に入れてきたことと、その「生死」を感じる感覚が、今日「絵本」という形で子どもたちに伝えられてきている軌跡を、両輪のようにととらえられたらと考えてきた。「絵本」の発生は、子ども向けにというところからではなく、人類が人類であるために必要な「時間の先読み」の試みから発生してきたのだということについてである。

Ⅰ ラチョフ絵『てぶくろ』の世界

1 ラチョフ絵『てぶくろ』


 ウクライナ民話ラチョフ絵『てぶくろ』 、は、不思議な絵本である。この絵本の魅力について解き明かすことができれば、外のたくさんな絵本の魅力も連動して見えてくるのではないか。【図1】
 絵本『てぶくろ』の展開は、次のようになっている。雪の野に、おじいさんが片方の「てぶくろ」を落とした。【図2】それを見つけたねずみが、「てぶくろ」を「家」に見立てて住みつく。そこにかえるが「入れて」とやって来る。その後、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、が次々にやってきて、もう無理ですよといわれながら、それでも順番に「中」に入れてもらう。【図3】最後に、さらにくまがやってきて、「とんでもない、まんいんです」と言われながらも強引に入れてもらうことになる。ぱんぱんに膨れあがったてぶくろ。でも、みんなは並んで仲良くてぶくろの入口から顔を出している。そうこうしているうちに、落としたてぶくろを探しにおじいさんがやってきたので、みんなはまたてぶくろから逃げ出して、いなくなってしまった。
 要約すれば、そういう絵本だ。もちろんこの「要約」自体に問題があるのだが、それはあとで考えるとして、誰もがそういうふうに要約するであろう話の展開が、なぜか心にしっかりと残る。展開というのは二つある。絵と物語と。まず心に残るは挿絵。挿絵の動物は、どれもリアルに、かつ恐ろしげに描かれている。この「恐ろしげな目つきの動物たち」が描かれなければ、その後「てぶくろ」に入ってゆくときのゾクゾク感は生じない。そして、話の展開。おちびさんの生き物から、恐ろしげな巨大な生き物までが、暖かな皮製のてぶくろの中に、なぜか次々に入り込んで、仲良く並んで顔を出している。普通に考えても、入れるわけがない「てぶくろ」に、なぜか次々に入ってゆく手品のような不思議さ。そして、なぜ、なぜ、と思っているうちに、またみんながいなくなってしまう。


 読者は、ついつい、おじいさんが、いぬをつれてもどってきたのだから、しかたがないだろうと思ってしまう。そうして絵本は終わる。納得するように終わるにもかかわらず、納得のできない奇妙な読後感が残る。
 この絵本は世界中の人に読まれ、読者の注意を引いてきた。この絵本を「奇妙だ」と思わなければ、心には止まらなかっただろう。だから、いろんな人がその理由を論じてきた。そして私も、この絵本には多くの人が論じる必要のある「秘密」があったのだと思う。

2 日本の出版者、松居直の理解   

 この絵本の代表的な理解をいくつか先に紹介しておく。最初に日本で最初にこの絵本を出版者した松居直の「説明」から見てみる。
 この絵本のロシア語の原書を古本屋で見つけた松居直は、ロシア語が分からないのに、大変引き付けられ、福音館から内田莉莎子訳で出版する間に到った経過を『絵本をみる眼』 に書いていた。編集者の直観は大当たりし、1965年初版から、1996年で第100刷となっていた。
 松居の評価は、昔話に挿絵が付くと、物語のリアリティーが失われることがあるのに、「珍しくこの絵本『てぶくろ』は、物語とさし絵に違和感がなく、よく融け合い、一体化している。このラチョフのさし絵なくして『てぶくろ』という物語は考えられないほどの見事な出来映えである。昔話絵本も数ある中で、これほどの作品はほんとうに稀れである。その秘密は何なのだろうか。」p25と問うていた。「物語のリアリティーが失われる」というのは、松居の言葉を借りるなら次のようなことである。
 「手袋の中に、七匹もの動物が入り込むなどという非現実的なおかしな話にさし絵をつけたりすると、満員になり、入り込めないことがたちどころにわかるのは目に見えている。こんな物語こそ、さし絵をつけずに、言葉だけで語り聞かせるべきであろう。言葉の世界でこそ、手袋の中へ自由に動物たちはもぐり込むことができる。」p25
 「昔話『てぶくろ』は、私が編集者としてなら、むしろ絵本化を避けたであろうと思われる作品であった。恐ろしい物語である。絵本にしではならない物語だと言ってもいいすぎではない。それがなぜこのように成功したのか。子どもたちは(そして多くの大人たちも)、どうして「手袋の中にそんなに動物は入れない。この話はウソだ」p26といわないのだろうか。結果はその反対である。おそらくさし絵の中にある何かの要素が、物語により強いリアリティーを与えているに違いない。それは何か。これが長い間、私の疑問であった。」
 この疑問は、出版した後にも松居の脳裏から離れることはなく、彼を悩まし続けたのである。一番大きな懸念は「手袋の中にそんなに動物は入れない。この話はウソだ」と子どもが言って、この絵本を投げ出してしまうことだった。しかしそういうことにはならず、逆に予想外の多くの読者を得てきたのである。その「秘密」を彼はどうしても知りたいと思っていた。
 松居直が考えた「理由」は、次のようなものである。最初は「てぶくろ」だったものに、途中から煙突や窓やベランダや床下が少しずつ書き加えられ(図3参照)、まるで「家」のように見られる工夫を挿絵画家、ラチョフがしている。ここに絵描きの「魔術」があって、読者は知らず知らずに「てぶくろ」ではなく「手袋の形をした家」に入ってゆくようにイメージを広げるので、不自然さを感じさせらずにすんでいるのではないかと。もうひとつ、動物が仲良く家に入ってゆくのが「ウソ」のようにならないのは、民話には、冬とか雪とか寒いとかいう説明はないのに、画家のラチョフが、状況を「大雪の降る冬」に設定して絵を描いたからで、この大雪の中で動物たちが順番に手袋に入り、仲良く寒さをしのぐことになるのなら、それなら「わかる」と感じたのではないか。編集者らしい理解の仕方である。
 しかし、そのように理解してもたくさんな疑問が残る。そもそも、なぜそんな「てぶくろ」のような小さなものに、大きな動物たちが入らなくてはならないのか、理由が分からない。そして松居は、状況を「冬の大雪」に設定したので、寄り添って寒さを防ぐ動物の様子が自然に感じられたのだろうと言うが、しかし少し冷静になってみれば、こんな大雪の山の中で、どうしておじいさんは手袋を片方だけ落としたりできたのだろうかと思う。こんな大雪の寒い日に、片方の手袋を失うことなどあり得ないし、仮に落としても、寒くてすぐに気がつくはずだからだ。でも、その片方を雪の上に落とさないと、この絵本は始まらないのである。そういう所を松居の理解では説明が付かない。だから彼は正直に「発端と結末だけはわからないが」と書いていた。そうなのだ。彼の説明は、この絵本の「途中」の説明にしかならないのである。

3 作者は「民衆」ー挿絵画家、E・ラチョフの「民衆への思い」

 松居の「理解」が核心を突かないのは、この絵本の作者が「ウクライナ民話」という「不特定な民衆」になっているところに「理解」が届かないからである。このことを「理解」するためには、挿絵画家エヴゲーニイ・ミハイロヴィッチ・ラチョフ(1906-1997)の思いに触れなくてはならないだろう。彼は「私が画家になったわけ」というエッセイ で、なぜ動物や鳥の絵を好んで描くのかと尋ねられ、答えるのは難しいが、母から離れ祖母のいる手つかずの田舎のシベリアで過ごした子ども時代の大自然の印象にあるかもしれないと書いていた。14歳になって、母のいる町を尋ね、いくつかの職業を経ながら美術専門学校に入学し、さらにキエフ芸術大学のデザイン学部に入り、その過程で「写実」というものをみっちりと学ぶことになった。
 そして戦争が終わり、昔話の挿絵を頼まれることになる。その中に動物の物語もあり、喜んで引き受けるのだが、しだいに動物そのものを描くことに飽き足らなくなり「服を着た動物」を描くことに興味が移ってゆく。しかし動物に「ウクライナの民族衣装」を着せて描いたことが「社会問題」になり、8ヶ月ほど職を与えられない日々もあったらしい。しかし、それでもこの擬人化された動物の描き方は、彼をますます引き付けることになり、「私はありのままの動物を描くことはほとんどやめてしまいました。」p46と書いていた。「私は昔話の本質一動物が、同時に人間の性格の特徴や人間関係に対する評価をも伝えるという本質を描きたいのです。私は何よりもこのことに惹かれています。とりわけたくさん、喜んで仕事をしたのは、ロシアの動物民話でした。そこにはどれだけたくさんの想像力や観察力、特別な物の考え方があることでしょう! ロシアの民話はすばらしい! そしてうれしいことに、私の努力もあって、それが国内外の何百万の幼い読者のもとに伝わっているのです。」p46
 こういう経過をへて名作『てぶくろ』1950が制作、出版されることになった。ここで注目すべきことは、彼の動物画が、高い写生技能から生まれてきたものであるにもかかわらず、その動物に「衣装」を着せたということ。そして何よりも大事な事は、彼が「ロシアの昔話」に特に関心を持って描いていたというところである。

4 「民族融和」なのか、「行って帰る話」なのか

 松居直の見解と違って、作品『てぶくろ』の置かれた社会情勢から、この作品の持つ意味を考えようとする考察がその後ロシアの研究者、田中友子から出てきた 。彼女は、この絵本の元の話が、大人向けのウクライナの口承文学であったことを指摘し、1940年代末にそれがロシア語に翻訳され、より多くの人に知られることになり、さらにその話を子ども向けの絵本にすることで、もっと多くの読者が世界中に広がった経緯を説明していた。1940年代と言えば、ロシアは「ソビエト社会主義共和国連邦」(1922年~1991年)の一党制国家として統治され、ウクライナもその中に組み込まれていた。ウクライナは、ソビエトの崩壊と共に1991年に悲願の独立を果たした国家である。
 そんなソビエトの時代に、ロシア語になった『てぶくろ』で、ウクライナの民族衣装を着た動物を描くと、ロシアにとっては「民族融和の寓話」のように見えて喜ばれるであろうが、ウクライナの人々にとっては、ロシアに強制的に組み込まれている自分たちの民族の自立が、軽視されているかのように見えたかも知れない。そもそも「ウクライナ」は、全人口の8割は「ウクライナ人」であると言われて、ロシア人、クリミア・タタール人、モルドヴァ人、ブルガリア人、ハンガリー人、ルーマニア人、ユダヤ人等々が住む多民族国家であるにもかかわらず、少数のロシア人に実権を握られて「国のないウクライナ」と呼ばれていた民族であった(黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』中公新書2002)。
 そんな中でラチョフが動物にウクライナの民族衣装を着せたことは「問題」視されたのである。田中は友子はそのことを指摘しつつ、ラチョフはのちにもう一つ画風の違う『てぶくろ』を1978年に描いたのはなぜなのかということを合わせて考察していた。(田中は「ラチョーフ」という表記をしている。)
 この話を進めてゆくと、『てぶくろ』1950年版と『てぶくろ』1978年版の比較に向かい、ここで問題にしたいテーマとずれてくる(というのも「てぶくろ」という作品は、この後問題にするように画風だけではなく、物語の筋立てでも問題にしなければならない部分があったからである)ので、詳しくは紹介しないが、田中によると、二つ目の『てぶくろ』1978年版が作られたのは、1956年からスターリン批判が始まり、1960年代に「雪解け」のような少し自由な時代の雰囲気が生まれ、それによってラチョフもヨーロッパの自由陣営に読まれるような配慮をしていたのかもしれないというような理解を示していた。
 この田中友子の考察の一年後に棚橋美代子の考察 が発表されている。棚橋が田中の論考を読んでいたのかはわからないが、ここでも画風の違う二つの『てぶくろ』を比較考察していた。特に棚橋が注目していたのは、松居直が指摘していたような「手袋」から「手袋の家」に画風が変わるところであるが、最後にはまた元の「手袋」に戻る展開を、「手袋」ー「手袋の家」ー「手袋」という構造と読み替え、それは現実から非現実に行って、また現実に戻る「現実」ー「非現実」ー「現実」の構造にもなっているとして、構造主義的な理解を当てはめていたところに見られる。そういう構造は、センダック『かいじゅうたちのいるところ』やエッツ『もりのなか』にも見られるとし、それは「非現実」の世界へ「行って帰る物語」として読み解けるものだと指摘していた。そういうふうに読めば、あえてウクライナの民話だとかいわなくても、子どもたちの面白がる理由を「説明」できるからである。『ピーターパン』や『不思議の国のアリス』もそうだということになる。
 しかし「非現実」の世界で遊んで帰ってくる物語という理解で、本当にこの『てぶくろ』の不思議さは説明できるだろうかと考えてみたい。なぜ人はそんな「非現実」の世界に行って帰ってくるようなことをするのか、その理解ではわからないからだ。そもそも、この「非現実」と解釈される世界が、本当に「現実」ではないのかどうか、それも問題にしなければならないはずだからである。

5 「てぶくろ」 ー手・袋・手袋・胃袋・女性性器・子宮ー

 では、今まで紹介した絵本『てぶくろ』の「理解」で、まだ指摘されないところはどこかということである。
 まず、ラチョフの絵本の表紙から見てみる。そこには革の手袋からうれしそうに顔を出しているねずみ、かえる、うさぎの三匹が描かれていた。暖かそうな革の手袋の縁にはフサフサした毛が描かれている。何らかの動物の毛と皮でできた丈夫そうな手袋である。
 絵本では、この「てぶくろ」は「家」に見立てられてゆくのだが、この「家」が、ただの「家」のように見なすだけでは無理が出てくるので、この「てぶくろ」は、「家」でもありつつ、「多民族国家」の寓話とも「解釈」されてきたのである。しかし、「多民族国家」の寓話にするにしても、不自然さが残る。ロシアという国家にしろ、ウクライナという国家にしろ、多民族を抱えている以上は、「民族融和」の寓意とするには、この絵本は理想化されすぎるように見えるし、何よりもこの話は、ロシアやウクライナやソビエトなどと区分けされるはるか以前のウクライナ地方で生まれていたものかも知れず、「国家」などとは縁の無いところで生まれていたかも知れないからだ。そこで大事になるのか、こういう物語りを作ってきた民間伝承の作り手のことである。こういう話の作りたちは、もっと違ったところに力点を置いてこの物語を作っていたかも知れない可能性を考えなくてはならないのである。
 そういう意味で考えると、最初の表紙に描かれる雪の上のてぶくろは、もう一度見直すなおす必要が出てくるだろう。表紙の絵には、確かに、入口にふさふさの毛の付いた本当に暖かそうな革の手袋が描かれている。しかし「皮」のてぶくろである限りは、この中に入ってくる動物のどれかの「皮」や「毛」を使ってできているものである。手袋と動物は一体なのだ。キツネの皮なのか、狼の皮なのか・・。そういう自分たちの仲間の皮でできたて袋に彼らは順番に入ってゆく。しかしその大きく膨らんでゆく手袋は、まるで膨らんだ「胃袋」のように見える。それだけではなく、毛のフサフサしたてぶくろの入口は、見方によっては、髭の生えたおっさんの「大口」のようにも見える。またもっと見方を変えれば、このフサフサした毛に囲まれた入口は、エロティックな「女性の性器」のようにも見えないこともないだろう。そういう意味では、「てぶくろ」全体は、「口」や「胃袋」や「性器」や「子宮」のようにも見えるのである(図2参照)。そんな口や胃袋や性器や子宮に無理矢理多くの動物が入り込むというふうな構図で見れば、決してこの絵本が、「仲良し」や「民族融和」の象徴とみなしてすますわけにはゆかないのである。もしこの「入口」を、生き物全体の「口」を象徴しているとしたら、そのなかにどんどんと「動物」が入ってきたことは確かであり、もし、この入口」が「女性器」や「子宮」を象徴しているとすれば、そこからおおくの「動物」が出てきたことを想像することも可能である。そもそも「生き物」の「口」と「性器」は、別々に存在しているように見えて、常に連動し、裏表のセットとして存在していたからである。何のために「口」があるのかというと「餌」を取るためであり、何のために「餌」をとるのかというと、子孫を「産む」ためであり、その産むために「性器」があることは自明なことだからだ。「口」と「性器」は、深く似ているのである。
 だから、この絵本『てぶくろ』に描かれた、「皮の袋」に入り込む「皮をまとった動物たち」という構図は、入り込むだけではなく、そこから出て行く「出産」や「生殖」の構図としても読み取れるところは見ておかなくてはならない。そういう「出産・生殖の構図」のように見える妙な絵柄を、どう理解すれば良いのか、ということである。
 このことを考えるためには、最後に、犬がやってきて、手袋の中の動物はみんな逃げ出すというシーンをきちんと考えてみなくてはならない。というのも、次のように問うことができるからだ。つまり、最後に走ってきた犬は、なぜてぶくろのなかに一緒に入れてもらおうとしなかったのかと。
 そのことを考えると、犬は現実の犬で、手袋の入る獣たちは、架空の動物たちだ、ということを考えなくてはならなくなる。ということは、この犬がやってきて見つける手袋は「現実」の「てぶくろ」であるが、しかし「てぶくろ」に、動物たちが順番に入る話は、「空想」の話だということになる。しかしこの絵本の奇妙さは、「空想」にしては手袋に入る動物たちが恐ろしくリアルに描かれている。リアルな動物が、民族衣装を着て二本足で歩いているからである。疑問は山ほどわき起こって、解決の糸口を見つけることができるのかということにもなる。
 こうしてみると「大きな手」や「大きな手袋」の中に、動物たちが次々と入ることが、「空想」や「融和」と見なすだけではなく、もっと現実的な要素があるのではないかと考える必要性に迫られてくる。そのことを考えるためには、この絵本ラチョフ絵『てぶくろ』の「作者」が、個人(「小さな作者」)ではなく、長い歴史(「大きな作者」)から生まれてきているものであるところをもっと見つめる必要がでてくるのである。

6 民話としての「てぶくろ」と類似した話

 ラチョフ絵『てぶくろ』の挿絵が優れていることは、多くの批評家の指摘してきたことであるが、同時にこの絵本の物語が「民話」であることの方は、あまりというか、ほとんど問題にはされてこなかった。というのも作品は「絵」としてみられたら「絵本」という分野で考察されるのが常で、「民話」として見られたら、言葉が中心の「民間伝承」や「口承文芸」の分野で考察されてしまって、「絵」と「話」の関係が問題にはされにくくなっていたからである。そして、またこのウクライナ民話「てぶくろ」には、似た話があって、そこのところを理解しないとラチョフ絵『てぶくろ』の本当の魅力はうまく理解できてゆかないのである。
 まず類似の民話を紹介する。
①『つぼのおうち』
②『動物たちの冬ごもり』
③『袋から二人出よ』
④『ふしぎな袋』
⑤『テーブルかけとヒツジとずだぶくろ』
 『つぼのおうち』は、お百姓の引く荷車から落ちた壺に、ハエ、カ、ネズミ、カエル、ウサギ、キツネ、イヌ、オオカミが順番に入れてと言いながら仲良く入ってゆく話である。でも最後にやってきたクマが「おれさまはいじわるたいしょうだ」といって壺の上にドシンと腰を下ろして、壺をつぶしてしまい、みんなを追い払ってしまったという展開になっている。『てぶくろ』とほとんどそっくりの展開であるが、入るものが硬い壺なので、柔らかな手袋に入って、それがぱんぱんに膨らんでゆく臨場感は味わえないし、『つぼのおうち』のクマは、『てぶくろ』での猟師や犬の役割を果たしていて、こちらはクマだけが悪者になっている。
 『動物たちの冬ごもり』は、冷たい冬が来る前に、暖かい夏を探しに旅をする牛、羊、豚、鵞鳥、鶏たちの話である。途中で、牛がみんなに寒さを防げる「家」を作ろうと提案するが、みんなは理屈を言って手伝わない。それで牛一人で家を作るが、冬が来て寒くなると、動物たちは「家」に入れてと順番にやってくる。牛はしかたなく、みんなを入れてあげる。そこに狐と狼と熊がやってきて、中の動物を食べる相談をする。そして狐から「家」に入ってゆくが、中にいる者たちが力を合わせて、順番にやっつけてしまうという展開の話である。
 『袋から二人出よ』『ふしぎな袋』『テーブルかけとヒツジとずだぶくろ』は同じような話で、網に掛かったツルを助けた貧しいおじいさんが、御礼に不思議な「袋」をもらう話である。その「袋」に声を掛けると中から二人の若者が出てきてて、テーブルの上にご馳走を作って並べてくれるのである。でも、家に持って帰る道中に、ダマされて「袋」を取られてしまうが、また鶴のおかげで悪い奴らに一泡吹かせて取り戻す話である。
 この話は「手袋」ではなく「袋」が舞台で、話はその中に入るのではなく、そこからご馳走が出てくるものがテーマの話である。
 こうした「民話」を総合的に見てみると、手袋は、手袋でなくても、袋や壺のようなものであっても良いのだが、その中にはハエのような小さなものから、クマのような巨大なものまでが入ろうとする話であり、その袋や壺も、中に入れる家のようなものとして見られるだけではなく、そこから、大事なものが取り出されるものとしてイメージされていたことがわかる。この二つのイメージは、長い歴史の中できっと民衆(「大きな作者」)が求めてきたものはなかったかと私は思う。事実、こういう壺や袋にまつわる物語は世界中に広がっていた。実際の古代の中国の青銅の壺にも、たくさんの動物が描かれていたし、日本の縄文土器にも、カエルやへび等の生き物が描かれつつ、その壺の中からは神聖な食べ物を取り出す器として見立てられていたこともわかっている。
 動物たちが入って大事にされる器でありつつも、そこから大事なものが取り出せる器であるようなもの、それは古代から長い歴史を通して人々が希求し、継承してきたものであり、それが何かを知ることが求められているのである。その「大きな作者」によって継承され、物語化され、絵本化されてきたものを「小さな作者」の主観による空想や想像の話にしたり、行って帰ってくるような話に見立てるだけではいけないはずなのだ。

Ⅱ 「大きな作者」はどこにいるのか

1 ラスコーの洞窟壁画 -「洞窟」と「てぶくろ」の近似 ー

 絵本や絵本作家のことを調べる人は、自然となぜ人は絵を描いてきたのか、絵とは何かという問いにも向かい合わざるを得なる。その時にぶつかるのが「ラスコーの壁画」 である。もちろん、「アルタミラの壁画」 【図4】でも「ショーベの壁画」 でもいいのだが、誰でも、何万年も前にどうしてそんな「絵」を洞窟に残す必要があったのだろうと気にならざるを得なくなるからである。
 文献を読めば、壁画の作られた理由がそう簡単には「わからない」ものになってきていることがわかる。だから、ここでわかったようなことをいうこともできないのであるが、遠方から眺めてみれば、「洞窟」は「てぶくろ」のようなもので、その中に、「うま」や「しか」や「らいおん」や「マンモス」が、入り込んでいるというか、描かれているのが見えてくるのも確かである。何かしら「洞窟」と「てぶくろ」は似ているように見えるのだ。

 


 洞窟画を見た人々は、その描かれる動物のリアリティの高さにも驚かされてきた。そしてさらに、なぜ描きにくい天井などに描いたものが多いのかという疑問にも悩まされてきた。動物を描きたいだけならもっと描きやすいところに描けばよかったはずなのに、まるで、星座に動物を見るように、天井に動物を描いているように見えると考える学者も出てきていた。 「星座」のように描くことで、「何らかの暦」の意識を強化させていたのではないかということはわかるとしても、それはゆきすぎた解釈だと批判されるのもわかる気がする。もちろん、だからといって古代オリエント時代から、なぜ人々は、夜空に動物を思い描いてきたのかという疑問に答えが出されてきているわけではないことも事実である。
 だから、ここではすこし想像力をたくましくして、こうした「洞窟」や「天井」に描かれたたくさんな動物の絵と、「手袋」に入り込むたくさんの動物の物語を考えてきた人々の「意識」に、何かしら共通したものがあるのではないか、ということについてここで考えてみたい。
 おそらく先史の人々にとって、洞窟の奥や洞窟の天井に絵を描くというのは、洞窟という暗闇に明かりでスクリーンのように「囲い」や「枠取り」したものが作れたからである。考えられることは、そういう「囲い」や「枠取り」の中に動物を描くことで、動物を閉じ込めることができるような意識を作ろうとしていたのではないか、ということである。なぜそのような意識を持とうとしたのか。そこを考えてみる必要があるのではないか。

2 洞窟と壁画と囲みと暦

 壁画に描かれている馬や牛といった動物(図4参照)は、一見するとヨーロッパのどこにでもいたような存在に見えるかもしれないが、実はそうではなく、そういう動物たちは、常に移動しながら人間の前に現れては、またどこかに移動していた存在なのである。その移動の理由は、四季の変化による食物の推移によるものである。動物は「四季」を読んで移動していたのである。だから人間も、この「四季」の周期を読み取り、「四季」の周期の中に現れる動物の動きを常に把握していなければならなかった。その周期としての「四季」の意識こそ「暦の意識」の発生であった。
 もちろん「四季」そのものは植物も動物も感じていたものである。しかし人類は先史の時代に、この周期として感じる「四季」の意識を、何らかの「枠組み」に閉じ込め、いつでも予期できるような、「先読みの意識」を作ってきたのである。それが「暦」の意識である。その「暦」の意識は、ただ動植物が感じる四季の感覚ではなく、体の外に外化され、目に見えるように図形化され、それを見ることによって恒常的に予期できるようになった意識である。そういう意識を人々は「暦」と呼んできた。おそらく、ラスコーなどの洞窟壁画は、そういう「暦」の意識を作り出す長い模索の跡だったのではないかと思えるところがある。
 「先読み」したのは、四季に沿って移動する動物の動きである。その動きが四季と共にあるとしたら、まさに動物は四季として意識され、四季は暦として意識されることになり、そこで動物=四季=暦の意識が形成されていったはずである。
 そのことを考えると、壁画に動物の絵を描くというのは、単に芸術としての絵を描いたものではなく、「暦の意識」そのものを視覚化するための試行錯誤として考えることもできる。問題は、先史の人類が、「囲み」や「枠取り」のなかに、周期するもの、反復するものを「配置」することで、それらを「閉じ込め」「飼い慣らす」ことをしていったというところであろう。その結果、「囲み」や「枠取り」されたものに配置された動物を見ることで、まだ見ぬ未来の時間空間を予見し、予測する「暦=先取りの意識」をつかむことができていったのではないか。
 そういう視点で「ラスコーの壁画」を見ると、その作画の作業そのものが、まず「洞窟」という「囲み」「枠」を選ぶことから始まり、さらにその洞窟の暗闇の中に「明かり」をともしてできる「囲み」「枠」を壁画に作りだし、そしてその「囲み」「枠」の中に、周期的にやってくる動物を閉じ込めていった道筋である。こういう「囲い」や「枠組み」が工夫されることで、「囲い」や「枠組み」の中に長い時間空間を予期できるようになっていったのではないか。「ラスコーの壁画」は、そういう意味で、時間を閉じ込め、ミニチュア化し、飼い慣らすための工夫をしていった歴史の跡のように見える。
 時代が下ると、こうした「囲み」や「枠取り」の意識はさらに製錬され簡略化され、たとえば中国の円形化される干支の暦のようにもなってゆく。そして暦の意識を作りだしてきた動物は、干支の中の十二支の動物として、子丑寅卯辰巳・・・として配置されてゆくことになる。
 「暦」とは、そういう意味において、周期として現れる歴史の先取り感覚であり、その周期には四季を越えた、生き物の生死(幼若壮老)の先読みの意識まで含むことになる。この先史の時代からすでに「埋葬」が行われてきたのも、「暦」の意識を「生死(幼若壮老)」の意識として持ち得てきたがためである。その結果、人々の暮らしが、生死(幼若壮老)の周期を持つ「人生」としてイメージされ、その全体が「先取り」され、「死」の意識が「埋葬」の意識を生んできたことがわかるのである。先史から始まるこの「暦」の意識が、時間の地図化を手に入れ出すのである。
 
3 「暦」ー「世界」の「先読み」の知恵
 
 「暦」という意識の存在が、従来の研究では十分に顧みられてきたとは私には思えない。「ラスコーの壁画」なども、「暦」の模索として十分に研究されたものを私はまだ見たことがないが、そもそも「暦」の起源が、時間空間の「先読み」の意識とすれば、まだ存在しない未来や過去、遠くの場所や情景を、何とかして先取りして意識の中に定着させようとする試みは、人類史にとってなくてはならない試みであったはずである。私の指摘は、世界や宇宙の持つ周期性、反復性を、「囲い」や「枠取り」の中に「閉じ込める」という作業を人類史が先史の時代からやってきたのではないかという指摘であるが、「閉じ込める」という言い方が適切でなければ、「囲み」や「枠」の中に取り込み、配置すると言いかえてもいいのだが、そういう試みは、広大な時間、空間を「飼い慣らす」作業をする事になっていたものでもある。
 「ラスコーの壁画」が、時間、空間を閉じ込め、飼い慣らす意識として形成されていったと仮定すれば、壁画の動物たちが、驚異のリアリティをもつように描かれていた理由も理解できそうな気がする。というのも、リアリティというのは、そこに描かれる動物が、まさに生死(幼若壮老)という周期を持つものとして先読みされていることを意味するからである。「ラスコーの壁画」には、子ども宿しているかのような、大きなお腹の牛や馬や死に至る姿の動物も描かれる。絵のリアリティというのは、単なる絵の描写の写実性の高さをいうのではなく、描き手がその生き物をいかに生死(幼若壮老)の周期の中において見て取っているか、その意識の度合いからもきているのである。
 こうしたことをあえて言うのは、絵本の中にはラチョフの挿絵や後に見る「ピーター・ラビット」の挿絵のように、ひどくリアリティのある絵でもって描かれてきた絵本があって、その評価をするためにも、どうしても考えなくてはならないことがここにあったからである。
 この後、先史時代に意識されてきた「囲い」「枠取り」が、のちに画用紙の白い囲みや枠取りに簡略化されてゆくのを見ることになるのだが、その前に、こうした「暦」の問題として「絵」を見るというのは、それは大人の意識であって、子どもが絵本を見ることを考える場合には、当てはまらないのではないかと思われる方のために、そうではないことをここで考えておきたいと思う。

4 石井桃子の5歳の絵本体験と暦の意識

 たくさんな絵本をわかりやすい日本語に翻訳し続けてくれた石井桃子に、絵本について自分の体験を書いた印象的なエッセイ がある。注目していただきたいのはその時の絵本の体験した年齢である。石井は次のような但し書きから始めているので、よほど印象に残っている出来事だったのだと思う。
 「絵本が、小さい子どもの心に、どのくらいの感動をあたえることができるか、これは、三、四度もほかのところに書いたことがあるので、気がひけるけれど、私自身の読書経験の大きなできごとになっているので、もう一度ここに書かせていただく。
 私は五歳ぐらいで、十いくつも年上の姉に抱かれて、こたつにあたっていた。こたつのやぐらの上には、和綴じの「舌切り雀」の絵本がのっていた。」p150【図5】
そして姉に絵本を読んでもらったことを書く中で、次のように書いていた。
 「つぎのぺージでは、おばあさんがはさみをにぎって立っていた。雀は、どこかへとんでいくところだった。そのつぎのページをあけたとき、よそから帰ってきたらしい様子のおじいさんがおばあさんと向かいあって立っていた。雀はいなかった。
 姉は、そのとき、どんなことばを私の耳のぞぽで読みあげていたのだろうか。とにかく、私は、老人ふたりだけの絵が目にとびこんできた瞬間、悲しみにうちのめされた。唇のゆがんでくるのを、どうすることもできず、私の目から、涙がぼうだ(作者による強点)としてくだった。おじいさんのいないまに、家を出なけれぽならなかった雀、雀のいない家に帰ってきたおじいさん。このような、愛している者同士の別れに、私は耐えることができなかった。」p151
 五歳の子どもが、そんなところまで読み取るのかと思わされるような場面であるが、石井がくり返してこの場面を思い出している事からすれば事実なのであろう。そのことを踏まえて私が思うのは、五歳の子どもであろうが、「枠取り」としてある画用紙に描かれたものは、どこかで世界を「暦」として閉じ込めているところがあり、その「暦」に幼児でも感知できるところがあるということについてである。そしてその「暦」の意識とは、人の生死(幼若壮老)を感知し、それに伴う出会と別離を先取りして感知する体験をさせるということについてである。
 おそらく「ラスコーの壁画」で「暦の意識」を作り始めていた先史の人々も、その描かれた壁画のリアルな動物の動きに、きっと生死のリアルさを感じ取って、五才児の石井桃子のような臨場感を感じていたのではないかと思って見る。
 ちなみに石井桃子が読んでもらったという『舌切雀』は、講談社から2001年に復刻された新・講談社の絵本の中の一冊かと思われる。子ども向けの絵本にしては、重厚な中身の絵本である。でもこのような昔話絵本を、現代の絵本の批評家はめったに取り上げて批評しないような気がしている。古くさい絵本のようにしか見えない所があるからだ。石井のような「暦感覚」を持つことによってでしか味わえない絵本が、きっと世界にはたくさんあるのだろうと私は思う。

Ⅲ 「大きな作者」から世界の絵本へ

1 「ノアの方舟」ー古代の物語から現代の絵本作家へ

 ここからは、人類の歴史が「暦」の意識の発明と共に加速化されてきたという考えを踏まえて、そうした意識が絵本に及ぼしてきた経過と、そこから、近代の個人が作る絵本の底に、「大きな作者=暦の意識」がいかに継承されてきているかを見てみたいと思う。
 「ラスコーの洞窟画」は、あまりにも先史の時代過ぎて、「絵」の起源を考えるには「昔すぎる」という懸念もあるだろう。もっと現代に近い時代で、洞窟のようなところに動物が集められた話は残されていないものか。そうなると「ノアの方舟」が注目されることになる。確かに「ノアの方舟」なら、「大きなてぶくろ」のような方舟の囲いの中に、次々と動物が入り込んでくる物語になっていたからである。それはビジュアル的にも面白いので、これまでにたくさんの絵本にもされてきていた。
 しかしそれでも「ノアの方舟」と「ラスコーの壁画」を結びつけるのはさすが無理があると思う人はいるに違いない。どうやって比較をしたらそんなものがつながるのかと。そもそも「ノアの方舟」は旧約聖書に載せられてきたので有名になってきたが、元々は世界中に広がっている「洪水伝説」の中の一つである。 「洪水伝説」とは、雨期を迎えた川の氾濫に苦しめられていた人々の物語である。そこに川がある限り、どんな小さな川でも雨期が来たら水かさが増え氾濫したものである。だから世界各地で「洪水」の伝説は語り継がれてきたのである。
 そして「ノアの方舟」の話も、チグリス川とユーフラテス川にまたがるメソポタミア文明で作られていったとされているので、この二つの大河が雨期に氾濫し大洪水を起こしていた時には、人々の被害も相当なものがあったのだろう。その記憶がこの物語のベースにある。だから川と共に生きざるを得ない人々にとって、「四季」の中で「雨期」を予測することはとても大事なことであった。エジプトのナイル川でも、川の氾濫を予期することが王たちの重要な役目だった。ナイル川の船着き場には、今でも川の水位を測る物差しが刻みつけられている。そしてこの「雨期の予測」とはまさに「暦」の話でなければならなかったはずである。
 そう考えると「ノアの方舟」の根本のテーマは、雨期と暦の先読みの話であったことがわかる。そしてその暦の先読みの中に、動物が順番に方舟に入るという話が並列されているのである。ここでも「暦」と「動物」は、深く関係させられて物語化させられていたのである。しかしここで、「洪水」や「ノアの方舟」の問題を取り上げすぎると、話が横道にそれるので、この話が絵本にされたものに限定して関心を向けたい。その絵本はブルーナの『ケムエルとノアのはこぶね』松岡享子訳 福音館書店1999である。【図6】
 この絵本には、ブルーナの絵本におなじみの動物が、総動員されて登場する。いないのはうさぎのミッフィくらいかも知れない。私はこの絵本を見ながら、この絵本はいかにも「ノアの方舟」を描いているように見えて、じつはブルーナの絵本の本質をよく描いているように見えて興味深かった。
 ブルーナの絵本は、うさぎのシンプルな造型で有名になってきたものであるが、この造型をただのデザインと見なせば大事なとことを見損なってしまう。なぜなら彼は世界のすべてをシルエットにして提示するという高い理念で動いていたからである。それは世界のミニチュア化であるが、ただの世界の縮小化ではなく、シルエット化されたミニチュアなのである。シルエットとは、いわゆる「影絵」のことであるが、洞窟の側面や天井に明かりを灯すと、照らされたものが浮かび上がる造型である。それは暗闇の中で存在に光を当て浮かび上がらせるものである。だからすべての存在には、存在固有のシルエットがある。言葉で言うのは簡単だが、世界の存在物のすべてのシルエットを取り出すのは大変だ。しかしブルーナは、あらゆる動物や植物はもちろん、家や家具や日常品や衣装、乗り物や道具、太陽や月や浜辺の貝殻、職業、制服、家族、親子、兄弟、ともだち、誕生日、葬式、人種、障害者、笑い、涙、痛み、眠り・・・などなどをシルエットして取り出す。こんなものがシルエットになるのかと思われるあらゆるものが、いったん闇の中に置かれ、彼独自の光が当てられ、そしてシルエットとして抽出される。
 まるでブルーナの内部に「ラスコーの洞窟」があって、そこに出入りして、シルエットを作りだしているみたいである。一見すると、幼稚で、子ども向けの漫画のように見えるミッフィとその仲間たちであるが、それを見る子どもや大人に、不思議な哀愁を感じさせてきたのは、その多様なシルエットが、生死(幼若壮老)を先読みする暦感覚の中に配置されているところを見て取るからである。そもそもミッフィが「大のうさぎ」と「小のうさぎ」のシルエットの組み合わせで構成しようとしたところからブルーナ彼独自の暦感覚が始まっていたのだが、それを「家族」というのは見かけの印象を言っているのであって、実際には生死(幼若壮老)のシルエットとして意図的にその造型が考案されていたのである。
 そういうふうに見れば、ブルーナは、現在の一流のデザイナーで在りつつも、古代から引き継ぎされてきた「大きな作者=暦感覚」を現代に生かす努力をしてきた芸術家であることがわかる。その「大きな作者=暦感覚」の最も集約して表されたのが『ケムエルとノアのはこぶね』だったと私は思う。この中に、「洪水」と「暦」と「動物」が、「先読み」という思考の中で生き延びてゆくさまが、シンプルに力強くユーモラスに描かれているのを私たちは見ることができる。

2 『あおくんときいろちゃん』のトリック

 次に、これまた比類の無い不思議な絵本、『あおくんときいろちゃん』 を取り上げる。【図7】作者、レオ・レオーニは、この絵本について二つのことを言ってきた。ひとつは、買い物に行った妻に孫の世話を頼まれて、帰りの電車の中でさてどうしたものかと思っていたら、偶然に手元に雑誌『ライフ・マガジン』があって、その中の広告のページから青い紙と黄色の紙があってそれをちぎって彼らにお話をつくってやったらおもしろがって・・・という説明である。この有名な絵本が、そんなたわいのない動機で、遊び半分に生まれたのかと、がっかりさせるのを狙ってか、レオ・レオーニはあちらこちらで語ってきたお気に入りの説明である。もちろんウソの話ではない。
 もうひとつは、だいぶ違った説明である。インタビューに答えてこう答えていた。

 「『あおくんときいろちゃん』は、無数の「実験」の成果なのです。その実験とは、空間にものを配置すると、どういう効果が現れるのか、その特徴をつかもうとしたものでした。配置を変えることによって物語を語ることもできるわけで、その場合、空間配置は、独自の体系を持った言語の一種となります。たとえば、ある文字を紙の真ん中に置くのと隅のほうに置くのとでは、全体のなかで持つ意味が違ってきます。
 『あおくんときいろちゃん』の登場人物たちは、何かを意味する言語記号なのではなく、そのものがその意味するものと一致しています。このこともまた『あおくんときいろちゃん』を独特なものにしています。絵本に描かれている「あおくん」は、「あおくん」の似姿なのではなく、「あおくん」そのものであると同時に紙に塗られた色なのです。子どもたちは自然にそういうふうに読み取ります。しかし大人たちは、一種の「後退」とも呼ぶべき面倒な過程をへなければ、それが見えてこないのです。」p36

 一つ目の説明に比べて、二つ目の説明は、「わかりにくい」と読者は感じると思う。むしろ、二つ目の説明などはいらないのではないかと。しかし、この二つ目の説明が大事なのだ。実は、レオ・レオーニは1980年に来日した時、彼の奇書『平行植物』を翻訳出版した工作舎に招かれて松岡正剛らと鼎談していて、その時にも似たようなことを、少し違ったニュアンスで次のように語っていた。

 この本の本当の土台になっているのは、わたしが何年も前に書いた一連の詩で、その詩を書いたときは恥ずかしくてとても公表できないとおもっていた。それはさっきの空間の問題に関する詩で、四角い空間の中に点を描き、その位置から連想するあらゆるものを詩にしていったのです。わたしが空間を意識しだしたのは、むしろこういった詩をつくる作業を通じてだった。いま、その作業について合理的にふりかえるならば一枚のシートになんらかの位置があると、それに言葉を加えるということを本能的にやっていた、ということでしょうか。 p99

 ここでレオ・レオーニは何を「説明」しようとしていたのだろうか。彼はいくつものインタビューで1ページ目が大事だと語っていて、とくに『あおくんときいろちゃん』については、「わたしのさまざまな作品の中で最高のできはこのページだと思っているんです」と言っていた。【図8】そして彼は、このページが実は「空間にものを配置すると、どういう効果が現れるのか、その特徴をつかもうとしたものでした。」などとも言っていたのである。彼は何を言おうとしていたのか。おそらく彼は、古代から人々が意識しようとしてきた「囲み」や「枠取り」のことを無意識に語っていたのではないか。それは絵本にとっては白い画用紙の枠組みと重なるのであるが、しかし同じものではない。その「囲い」「枠取り」の中に、丸い切り紙を置いて、「あおくん」と名付けてしまえば、その切り紙はもう「暦の意識」の中で動くしかなくなってしまったのである。
 この絵本を読む読み手は、その中に、「あおくん」と「きいろちゃん」との出会いや、友だちとの遊びを見て取ることになるが、画用紙という「枠取り」の中に「あおくん」を見るように1ページ目で指示されて、それを受け入れた瞬間から、そこに「生死(幼若壮老)」を感じ取る「暦感覚」を読み取らざるを得なくなっていたのである。そしてこの感覚は、レオ・レオーニがいう「空間の配置」というような近代の個人の感覚から説明されるようなものではなく、「囲い」や「枠取り」の中に「生き物」を見立てたとき、人はそこにただの「生き物」ではなく「生死という周期性をもった生き物」を先読みするように動かされてしまっていたのである。それをうながしたのが、個人の作家を越えた「大きな作者=暦の意識」だったのである。
 読者はこの絵本にさまざまな「解釈」をして、面白い筋立ての絵本として読み解くことができるが、それを可能にしてきたのは決して彼の個人のアイディアからすべてが説明できるものではなく、彼のアイディアを支える「大きな作者」の存在からも理解しなければならないのである。
 私がこの絵本の絵本を見事だと思うのところは、作者と同じように1ページのはじまり方であるが、でも関心を向けるのは彼自身が説明するような理由からではない。私はこの1ページに、「マジック」を見るからだ。というのも、「これはあおくんです」というのは「マジック」だと思うからだ。彼は、最初のこのページに「単色の青」を見るように読者に指示しているのだが、それが手品だと思うのである。というのも、そもそも「枠取り」されたものに人々が「先読み」してきたのは、「暦=四季=周期=生死(幼若壮老)」のような巡り巡るものの複数の時間感覚であり、それは決して「単一」の時間感覚ではなかったはずである。でも彼は最初のページに「青」という「単色」を見るように、読者を誘導するのである。しかし物語が進むと、この「あおくん」が「きいろちゃん」と交わって「みどり」になったことを見せられる。その色の変化が両親にわかってもらえずに、二人は悲しい思いをするが、最後には両親も分かってくれたというハッピーエンドの結末を迎える。もちろん、意表を突いたすばらしい展開の絵本になっていることは言うまでもない。
 しかしなぜこの絵本がすばらしい展開になっているのか、その理由を突き詰めることはあまりなされてこなかった。なぜなら作者の言い分を鵜呑みにするしかないような、見破れないトリックが絵本に仕掛けられていたからである。というのも、そもそもの最初の「あおくん」は「単色の青」ではあり得なかったからだ。「あおくん」は最初から「複色」というか「多色」の存在でなければならないのに、「青」という「単色の存在」として見るように誘導されるのである。そしてそういうふうに見ないと、その後の展開がおもしろく見えるようにならないのである。
 私はこのことを指摘することで、この絵本の素晴らしさにケチを付けているわけでは決してない。ただこの絵本の素晴らしさを「あおくん」を「単色」と見なすところから始まっているところに見てしまうと、この「単色」としての存在を誤解してしまうのではないかと懸念するからである。
 というのも、かれはユダヤ人として1910年にオランダで生まれ、イタリアに移り、人種差別法の交付を受けてアメリカに渡る経過をたどっていた。ナチスもそうであるが、人種を問題にしてきた国家は、「単色としてのドイツ人」のようなものが存在するかのような幻想を人々に植え付けてきたからである。しかしすべての人は混血であり、混色を生きてきていたものである。「あおくん」などといった「単色」はあり得ないはずであった。しかし人種差別で苦しんできたレオ・レオーニは、最初に「あおくん」という「単色」の存在が先にあって、「混色」は交わりの後で起こるかのように読み取られる絵本をつくっていたとしたらそれは、誤解を与えるだろうと私は思ってきたのである。もちろん、最初に「単色」をもってきたのは彼のトリックなのだと私も理解できている。本当は最初から「あおくんは」は「複色」だったにもかかわらず「単色」として読まれるように仕組まれていただけで、そこにこの絵本の凄さがあったのだという理解を、私は外の読者と共に共有しているつもりである。だからこそ彼が、最初の1ページの「あおくんです」の指示を「最高のできだ」というのを、複雑な思いで受け取ってしまうのである。

3 『はらぺこあおむし』の色を食べる話

 『はらぺこあおむし』 の作者エリック・カールはレオ・レオーニの弟子といわれている。ともにデザイナーとして出発していた。【図9】『はらぺこあおむし』は、表向きは「腹ぺこ青虫」の生涯という設定なのであるから、まさに「暦=生死(幼若壮老)」の意識にそって絵本が作られていると見ることができる。しかしこの絵本の「あおむし」の設定は、『あおくんときいろちゃん』の「あおくん」の設定とは、ずいぶん違っている。というのも、この「あおむし」は、最初から「単色」ではなく「複色」として設定されていたからである。その「あおむし」が、いかにも「青(緑)」のように見えているのは、作者の言葉の誘導ではなく、読者が勝手に「あおむし」は「青(緑)」だと思い込んでいるにすぎない。というのも、よく見るとこの「あおむし」は複雑な色をしているからである。その複雑な色を持った「あおむし」が、さらに貪欲に多くの「色」を順番に食べていって、最後のもっとも鮮やかな混色のチョウに変身するという話である。
 物語の展開はここでも「暦=生死(幼若壮老)」を踏まえているので、子どもでも「先読み」ができる楽しい展開になっている。ただ絵本の考え方として、エリック・カールは「印象派」の技法に深い関心を寄せていて、複雑に塗り重ねられた色を出発点にしようとしている。事実彼は、自分で幾重にも塗ったアクリルの色紙を作って、それを事物の形に切り抜いて絵本を作っていた。『はらぺこあおむし』はそうやってできた作品である。
 そして読者がそこに見るのは、四季の色でできた世界の色の変化である。主人公の「あおむし」ももちろん変化するが、描かれた太陽も月も葉も、たくさんな果物やお菓子も、すべて複色として存在している。それでもその複色は固定化されずに、今にも別な色に変わってゆきそうである。そんな中で主人公の「あおむし」は世界の色の動きを代表するかのように、世界の色を食べ尽くしていって、画面いっぱいに丸々と太り、そして最後に極彩色の蝶に大変身する。しかしこの絵本を見る読者は、この変身が決して「あおむし」だけのものではないのだという予感を持って読み終える。まさに世界が色でできており、「暦=四季=生死」の中で、世界が色として変化しているものであることを感じてゆくからである。
 ちなみに言うと、『はらぺこあおむし』には二つの版がある。日本語版では 1976年版と1989年改訂版である。絵本の構図は変わっていないものの、改訂版の方は全体の色調が全くカラフルな色に作りかえられている。もちろん初版の全体にくすんだ色の『はらぺこあおむし』の方が重厚で品があり、1989年版はカラフルだが軽率な色合いだと感じる人がいるかもしれない。しかし、世界は色でできていると考えるエリック・カールからしたら、初版のくすんだ色は、まさに『はらぺこあおむし』のテーマのように変化・変身させたかったものだったと私には思われる。

4 『ピーターラビット』の読み方

 ブルーナの「うさぎ」を取り上げたなら、ポター(1866ー1943)の「うさぎ」とはどうしても比較をしておかなくてはならないだろう。ポターの絵本について、深い理解を示していたのはセンダックである。彼は、ある討論会で、一人の紳士が手を上げていった言葉を次のように書きとめていた。 「『ピーター・ラビット』などという単純でつまらない本がどういてあんなにもてはやされるのか、壇上のだれ一人として説明してくれないではないか」「もっと悪いのはあれが<事実でないばかりか、空想でさえない>ことだ」p74。そしてこうも言った。「この絵本は「児童書業界」によって一般大衆に押しつけられたのだ」と。センダックは腹立ちのあまり、口がきけなかったと書いていた。そして「悲しいかな、私はその紳士を向こうにまわしてピーターを弁護するうまい言葉をみつけることができませんでした」と。もちろんブルーナも、そういわれてきたところがあるものだから、そういう批判にはどうしてもきちんと答えなくてはならないだろう。
 センダックは、ポターが一流の博物学者 であったことを、彼女の「野帳」や「スケッチブック」をとりあげて説明し、その野外の観察眼があってこそ、彼女の絵本は成り立っていることを強調していた。この指摘は大事である。ポターの伝記に通じている人なら、そんなことは誰もが知っていることだというかもしれないが、野外の観察者の誰もが、「ピーターラビット」のような絵本を書かなかったことを考えると、そこには何かした特別な思考が働いていたに違いないのである。センダックは次のように言っていた。
 「まず一番に言えるのは、このちっぽけな本が人生の実感を鮮やかに伝えているということです」「事実の要素と空想の要素とを想像力によって統合したからこそできたことです。驚くべきことに、ピーターはかわいらしい男の子であると同時に、専門家の技術で描かれたウサギでもあります。一枚の絵では彼はおよそウサギらしくない姿勢でたたずみ、窮地から抜け出せないみじめさに涙にくれています。ところが別の絵では、彼は上着を脱ぎ捨てて、男の子の動作とは全然違う元気のいいウサギ跳びをしており、それを見ればすでに出版されたポターのスケッチブックによって明らかなこと、すなわち、ビアトリクス・ポターは題材に選んだものを注意深く観察して描いているのだということがよくわかります。しかも、なんと見事に描けることか!ーイラストレーターのだれもがこんな才能を授かっているわけではありません。」p78
 事実を観察して絵本に使うというところは、あの『てぶくろ』の作者ラチョフにとてもよく似ている。それも、ただリアルな写生画にとどまるのではなく、リアルな動物に「服」を着せて描こうとしていたところも、とてもよく似ているのである。そういう技法がなぜ注目されなくてはならないのか。
 私はセンダックによるポターの評価に同意をしつつ、少し違ったところに興味を持ってきた。それは『ピーターラビットのおはなし』の最初に出てくる「おかあさん」の次のような説明である。「マグレガーさんとこの、はたけにだけはいっちゃいけませんよ。おまえたちの、おとうさんは、あそこで、じこにあって、マグレガーのおくさんに、にくのパイにされてしまったんです」。【図10】
 おそろしい「説明」であるが、この「説明」が『ピーターラビット』の絵本集の第一巻目 でなされるのである。子どもたちは、この話を聞いて、ピーターラビットの世界に入ってゆく。そのことではっきりと分かることは、この絵本集は、マクレガーさんに代表される人間の世界と、ピーターラビットに代表される動物の世界の、その果てしないせめぎ合いが描かれているというところである。一見すると「可愛いうさぎ」の冒険が絵本になっているように見えるが、よく見るとマグレガーさんが精魂込めて作った畑の作物を、むしゃくしゃと食べて回るひどいうさぎの「冒険」にもなっているのである。ピーターの父親は、そんな畑荒らしの途中で捕まって、マグレガーさんに食べられてしまったのだ。
 ポターは、そんな人間の世界と動物の世界を、冷静に描き分けている。人間の肩を持つことも無く、動物の肩を持つこともなく。もちろん絵本なので、子どもたちには、動物に肩入れをしているように見せかけてはいるが、決して、動物がいいと思わせているわけではない。うさぎはそうやってマクレガーさんの作物を食べるしか生きてゆけないわけで、それを見つけたマクレガーさんは、そんなうさぎを捕まえて食べるしかないのである。その両方の事実をポターは絵本にしているのである。
 その二つの境目は、どうやって描き分けられているのか。それが「服」の存在の有無によってなのである。ピーターたちは普段は「服」を着ている。しかしマクレガーさんに見つかった時は、服を脱ぎ、四つ足で飛び跳ねながら逃げまわる。まるで人間のように「愛情いっぱいの家族を生きる動物」の世界と、人間との接点で見せる「害獣としての動物」の世界、その両方をポターが描いており、センダックが言うように、そういうことをやってのけた絵本作家は、外にいないのである。そして見てきたように、挿絵画家ラチョフの向き合ったのも、その構図であった。
 その構図とは、生き物には生き物の「四季」を読む力があり、「四季」を読んで食物を求め、子どもを産み、子育てをするという現実があり、人間もまた、同じように「暦」を読んで畑に作物を植え、季節が来たら収穫し、それを元に家族の営みをしている現実がある。そこに共通するのは「四季」を読んで生きるという生き物の姿である。
 その生きかたを「暦」として取りだし意識してきたのが人類であり、それを物語にしてきたのが「大きな作者」たちであった。ポターは、この「大きな作者」の創りだしてきた「暦=生死(幼若壮老)」の感覚を引き継ぎ、絵本の中に、動物の「四季」読みと、人間の「暦」の先読みの、両方の世界を同時に描こうとしてきたのである。そうするためには、動物の世界は、本当に動物らしく描かれなければならなかった。そうでないと、動物と人間の対比ができなかったからである。センダックが注目したのも、人間と動物をどこまでもリアルに描きつつ、その接点の問題を読者に考えてもらおうとしていたポターの「作家性」であった。
 その問題意識は「ラスコーの壁画」の描き手からはじまり、ラチョフ絵『てぶくろ』までつながっているのではないかと私は感じているのである。

5 長新太と荒井良二の絵本へ

 長新太の絵本は「ナンセンス絵本」として長い間位置づけられてきた。絵本の特徴を言い当てようとして好意的に言われてきた言い方なのなか、通常の理解を拒むものがあるので、その理解のできなさにつけられた蔑称なのか。前の長新太は、後者の方を意識していて、ずっと自分の絵本は理解されないと悩んでいた。
 わけがわからないとされてきた絵本をとりあえず『ごろごろにゃーん』 と『へんてこライオン』 に代表させてみる。【図11、図12】後者は幼稚園などで読ませたくないばかばかしい絵本の代表にされてきたところもあるが、なぜか大小のシリーズ絵本として長く出版されてきている。保育士さんたちの求める絵本と、子ども求める絵本のずれがよく分かる現象だと私は興味深く思ってきた。
 『ごろごろにゃーん』と『へんてこライオン』の特徴を一言で言えば「変身」である。魚が飛行機に変身し、猫が空を飛ぶ。ライオンが飛行機になり、花になったりする。主人公や情景が、何の理由もなくとんでもないものに変身するのである。そのへんてこな変身の仕方が、全く非理性的というか、非教養的というか、でたらめというか、おふざけすぎるというか、要するにどこからみても教育的には見えないものだから、少しでも人生に役立つものを絵本に求めておられる先生方には、何でこんな絵本が絵本として流通するのか不愉快かつ、不可解に見えてきた。
 たしかに、起承転結のはっきりした絵本は、大人にはわかりやすくて教育的に見えるのだが、子どもが求めているのはそれだけでもないところが、教育熱心な先生たちにうまく感じてもらえない。それはどういう感覚なのか。先に示した、5歳だった石井桃子の『舌切り雀』の感想を思い出してもらえるといいのだが、子どもは絵本の情景に、大人の気がつかないものを勝手に感じ取って見ているのである。それは世界が今までと違ったようにごろりと変わってしまうことを感じるページだった。世界が前のページと同じように続かないということを感じる不安。例えば親が居なくなることなどへの予期不安。それは子どもながらにでも感じる、深い人間固有の感覚である。
 私は、そういう感覚が「暦=生死」の感覚から生じるものであることを見てきた。そして、その「暦=生死」の感覚が、「生死(幼若壮老)」の先読みの感覚から生まれることも指摘してきた。その感覚は、世界の変化、変身を先読みする感覚である。世界がいつまでも同じ状態であるのではなく、変わってゆくのだということ、その感覚は人間である以上は子どもの時代から感知されているのである。
 そのことを踏まえて長新太の絵本を見ると、彼の絵本はまさに世界が、変化、変身することを、これでもかというほど絵にしようとしてきたものだった。訳もなく、変化、変身する世界に大人はついてゆけなかったかもしれないが、子どもたちはそこに、人生を知るための大事な感覚を学んでいたはずなのである。
 「ラスコーの壁画」には、それこそ馬が空を飛ぶような、鹿が川を泳ぐような、人なのか鳥なのかトナカイなのか、踊っているのか、怒っているのか、仮装なのか、変身なのか、おふざけなのか、まじめなのか、落書きなのか、下書きなのか、本絵なのか、「わけのわからない」絵がいっぱい描かれていた。「ナンセンス」といえばナンセンスにしか見えないかもしれない動物の連作であるが、そこにさまざまな「生き物の変化が描かれている」と見れば、それに「生き物の生涯の先読みの視線」によって描かれているところが見て取れるはずなのである。その視線が、私のいう「暦」の意識なのである。そして、私はそういう「変化、変身」を描いてきた長新太の絵本には、こういう長い歴史の中で感じ取ってきた「暦」の感覚が、彼なりの感受性で継承され、絵本化されてきたのだと思っている。
 長新太に続く優れた絵本作家はもちろんたくさんいるので、誰か一人を取り上げるのは無茶なのであるが、ここで最後に荒井良二の絵本『たいようオルガン』 を取り上げておきたい。【図13】なぜ荒井良二なのかというと、彼の幼稚ででたらめにみえる画風は、どこか長新太に似ているところがあるし、多色の下地から絵本を展開する画風は、カール・エリックに似ているところがあったからである。彼の画風は、長新太のように、登場人物の「変化、変身」にしっかりと狙いを定めて描くというのではなく、画用紙の色そのものを多色にして変化させるところを特徴にしている。だから同じように「多色」をベースにしていても、荒井良二の絵本には「あおむし」のようなどでかい主人公は描かれない。むしろ正反対に荒井の『たいようオルガン』に描かれる主人公の「ゾウバス」は、あまりにも小さくて、全然主人公らしくもないのである。むしろ主人公は「色の海」の方で、その色の海の中を「ゾウバス」が走ると考える方がいい。
 では子どもたちはこういう絵本になにを見ているのだろうか。先生方からすれば、絵は幼稚で、文の中身も少しも教育的な要素がない。まるで長新太の絵本のようだ・・。しかし絵本を開いた子ども前に現れるのは、まばゆく明るい色の海である。それも見たこともない複雑な混色の世界がページをめくるごとに現れるのである。おそらくここまで激しい混色のページの絵本を作ったのは荒井良二意外にはないのではないか。そして、この「混色」のページを追ってゆくと、さらに見たこともないような混色の世界に入り込む。そんな変化するページに子どもたちは次々に直面する。主人公は、まるでこの「混色」そのものであるかのようである。つまりだから、この絵本は、混色という主人公が、ページを追う事にさらにパワーアップした混色を見せつけるというふうにできている感じがするのである。
 それならその色の変化、変身だけを見せれば良いでは無いかと思われるかも知れない、クレーにそういうグラデーションの絵やそれを元に絵本が編集されたことがあるが 、それを子ども向きの絵本とすることにはやはり無理があるだろう。しかし荒井良二の絵本はそういう混色の海を繋ぐように、バスに変身したゾウ(ゾウに変身したバス?)がページを繋ぐようにして走るのである。それを追いかけるようにして子どもたちも混色の海を走る。だからその案内役の「ゾウバス」は目立たなく小さくてもいいのだ。混色の海のじゃまをしないようにしていれば。こういう主人公の作り方も新しい試みである。
 こんな風に混色の変化、変身を見るというのも、子どもたちには世界を変化、変身としてとらえるための大事な経験をさせることになっているのだと私は感じている。

あとがき

 イエラ・マリ『木のうた』 、ブルーノ・ムナーリ『木をかこう』 、姉﨑一馬『はるにれ』 のような、絵本なのか、スケッチブックなのか、写真集なのか、よくわからないような本が「絵本」の体裁を取って流通している。それらを「絵本」とみなすべきかどうか、というようなことになるとたくさんな議論がでてくるのだろう。しかし、これらの本に共通しているとこ
ろを見れば、それらが「絵本」と呼ばれてもいいことはわかる。それは「四季」というか「春夏秋冬」を見つめるという視点があるところである。つまり「暦の視点があるという事だ。
 もちろん、桂雄三『石ころ地球のかけら (たくさんのふしぎ傑作集)』福音館書店1991のような「絵本」もある。これも「絵本」と呼んでいいのかわからないどころか、「絵本」の特質と呼んでいる「四季」「初夏秋冬」「暦」がないではないかと言われそうであるが、こうした「石」の持つ形、文様は、地球の地殻変動から生まれてきていたものである。地球の地殻変動というのは、地球が太陽の周りを回る惑星としての位置を持つ過程で生まれてきたもので、そこには太陽系の持つ周期性とそれに伴う変動性が深く刻印されている。そういう意味での「石」に地球の周期性を見るということは、地球を惑星誕生の大きな暦の中で見つめるということなのだ。カイヨワが『石が書く』 という本で注目していたのも、地球を製作者と見立てて「絵」を描いたのが「石」の文様だというのである。

 あと「てぶくろ」は「生命ポケット」であり、そのポケットには多くの生き物が生まれ育ち、旅立っていったことも、合わせて考えなくてはならない。

『子ども学 第5号 2017』萌文書林2017.5.26発行に掲載