京都府生まれ。写真は「あすなろ園(心身障害児通園施設)」に勤務の頃の勇姿。24歳から44歳まで交野市。この園で関わった子どもたち、母親、先生たちから、人生で大事なことのすべてを学んだ。
45歳から、同志社女子大学、児童文化研究室へ。学生たちの苦悩の深さを知る。物語が人を支えるところを日々実感。70歳、退職。下は古希の写真。若き面影がなくなる老いも良いものだと思う。
3期生 卒論要旨集
家族って何だろう?
●家庭教育と母親
●コミュニケーションができる家庭を考える
●ホームエデュケーションを考える
林 恭代
野中 利佐子
佐野 典子
核家族化が進む現在、外出・食事・起きること・寝ることなど家族の生活時間がバラバラで、自分の部屋を持ち、顔を合わせる機会の少ない家庭が増加してきている。このような家庭で、そのような問題が生じているのか考えた。結果、コミュニケーション不測の家庭で、感情を抑圧された子どもが親の愛情、評価を得ようとして自分らしく生きられないし、家庭不在の父親や過保護の母親、学校教育の任せきりの両親に育てられ自立できないままの大人になってしまう。つまり自立した子どもを育てるためには、子供を産んで良かったと思える親たちの教育、学校任せではなく家庭を拠点とした教育、コミュニケーションが取れる家族が必要である。今、家庭の役割を見直し,私達にとって理想の家庭を追追究する。
子供はどこにいるの?
●「子供部屋」を考える
●「普通」って何だろう?
●「女子高生」という幻想
村上 麻紀
杉浦 史織
吉田 朋美
少年少女達は社会や学校,家族においていったいどこに存在するのだろうか。近年、犯罪の低年齢化が吸う進み性犯罪や家庭暴力など子供を取り巻く問題が多発している。それは児童や青少年に対する愛情や保護を今日の社会は失ってきているからではないだろうか。心を割って悩みを打ち明ける火とが家の中にも外にもいない。心のよりどころがなく、胸のそこにすみついている不安と寂しさを取り除くため、子供達は今、自分の居場所を探している。家の中での子供の居場所であるはずの子供部屋も、登校拒否児がとじこもったりなど社会から逸脱し、自分を認めてもらえる誰かを、居場所を求めている。果たしてこれが現代の子供の「普通」と呼ばれる姿なのだろうか。様々な角度から現代の子供達の置かれている状況を察してみたい。
「自然」と生きる
●「子供部屋」を考える
●宮崎 駿とアニミズム
●手塚 治虫の世界 -異形のものを手がかりに-
安藤 靖恵
櫛部 純子
山本 陽子
私たちは、「自然」と生きるというテーマのもとに、それぞれ宮崎 駿氏のアニメからアニミズムの思想、動物(ペット)との関係や共存、手塚 治虫氏の漫画から読みとれる生命観について研究を進めてきた。核家族化がすすみ、人間関係が希薄になっている現代社会で、無意識かも知れないが、人間が自然の一部であることに気付き、自然と動物との共存を求め始めた。その中で、人間が動物を側に置いておこうとするのは自然本来のリズムや感覚を思い出そうとしているからではないか。また、自然と共存して行くには、アニミズムの思想、つまり人間も他生物同様の立場にあるという考えが必要となってくるのではないか。そして地球全体を生命体としてみる「宇宙からの眼差し」で生命を見つめ直したとき我々が忘れかけているものが何か見つかるのではないか。人間が「自然」に生き、「自然」と生きることを、動物、アニメ、漫画という違った切り口から考察する。
「人並」にできなくなった「あなた」への手紙
-「私」の居場所を探して-
三浦 小百合
最近の風潮として、「個性」という言葉で今の時代を表していることがよく見受けられる。個性とは何であるのか。自分の個性とはどのようなものなのか、そもそも、本当の自分とは、どのような人間なのであろうか。「個性」の時代と言われ、個人個人が切り離されて考えられるからこそ、かえって、本当の自分像をつかみにくくなっていると考えるのである。社会の中で、自分はどこにいるのか、まわりにいる多くの人間たちの中で、自分の存在する場所とは、そして、その自分とはどのような人間であるのか、私自身は、これから先、その答を探し続けていくだろう。その前段階として、本当の自分を探してきた人たちが書いた文章を参考にして、個人のあり方とはどのようなもので、個人と個人が関わるということは、それがどのようになることであるのか、そして、その個人の本当の人間像はどこにあるのか、考えていきたい。
現代社会の自分探し
●自分らしさはどこへ? -現代社会と流行が与えた影響-
●何と共に生きるか -モンゴルと日本の暮らしを比較して-
赤松 美希
中村 智子
街を歩いてみる。溢れるファッション、溢れる音楽、溢れる情報に私たちは囲まれている。そして意味もなく地面に座る若者がいる。そこにいる十代の若者は、皆一様に同じ格好をしている。ファッションに限らず、同じモノを持ち、同じ音楽を歌い聞き、そして同じ情報を消費する若者たち・・・。内面の個性はそれぞれ違うはずなのに、なぜ彼らは同じモノに身を包むのか?それは現代社会と流行に自分らしさを奪われているだけなのだろうか?それとも、人と同じ生き方をすることで自分の存在を確認し、安心を得ているのだろうか?溢れるモノの中で“自分”を見失う若者たち、自分らしさはどこへ行ったのだろうか。何と共に生きることで自分らしさを感じ、実感を持って生きていけるのだろうか?私たちは、現代社会と流行が与えた影響を考察すると共に、大自然の中で“生きる”という実感を持って暮らす民族の生活を紹介し、現代社会における自分らしさの行方について考察する。
大人のイメージ・子どものイメージ
●現代の父性を考える
●いじめと子どもたち -子どもの心の世界を探る-
●「大人になる」とはどういうことか -大人のイメージを考える-
河本 英恵
松浦 亜紀
中島 理恵
私たちは「子どもと大人」について研究を進めてきた。そこから今の子どもたちに関して見逃すことのできない「いじめ」の問題について考え、子どもと大人とが相互に関係の持てる場である家庭の中で、子どもにとって何が必要なのかを探り、その要素を現代社会では欠けていると言われる「父性」の中に見いだした。そして、子どもにとっても大人にとっても関係のある「大人になること」とは一体どういうことなのか?を考えることによって、自分自身を見つめ直し、一個の人間としてこれから自分に自信と信頼を持って生きていくために必要な人間同士の関わり方はどうあればよいのかを考察した。