12期(2007卒)


 12期生 卒論要旨集 


 
女性性の魅力を見直す
―「オニババ」からの脱却、「世界」の均衡を取り戻すために―
萩本 佳那

1960年代以降、個人主義の開放と共に女性権利拡張の波が広がりました。男性の力が圧倒的に強すぎた戦前の時代から、女性にも光が当たる時代へと変化しました。ところが、フェミニズムが求めた自由は、女性が本来もつ力の解放ではなく、女性の男性化を推し進める結果となりました。女性が女性としての能力を十分に発揮していない人のことを、三砂ちづるさんは「オニババ」と呼んでいます。私は、「オニババ」を男性化した女性、つまり、「受けとめる力」を失った女性だと考えています。女性は男性と違い、命を宿すことができます。これは、女性が生命の歴史の継続者であることを示しています。つまり、女性の身体は大自然の法則とつながっているのです。しかし、男性化する女性が増えた結果、人類は自然の法則からそれようとしています。世界中で女性性(「受けとめる力」)が減ってしまい、不均衡が生じ始めました。虐待、貧困、民族問題、戦争の中にも、お互いを「受けとめる力」の不足を感じます。このような不均衡を食い止めるためには、再び女性性を取り戻すことが大切だと考え、「オニババ」からの脱却の道筋について考察しました。



嵐を呼ぶ『クレヨンしんちゃん』の魅力
  ―― 臼井儀人さんの笑いと涙と挑戦 ―― 
安本 沙織

  『クレヨンしんちゃん』と出会って12年。世間から「子どもと一緒に見たい作品」という肯定的評価と「下品で低俗」という否定的評価という極端な賛否両論を嵐のように巻き起こした『クレヨンしんちゃん』。私は22歳になった今でも、漫画、アニメ、映画といった作品を読んだり見たりして楽しんでいる。それも、他の作品にはあまり興味を持たず、『クレヨンしんちゃん』に限ってなのである。いつも何故か、何かに引っ張られているかのように、『クレヨンしんちゃん』に惹かれてしまうのだ。このように、年々『クレヨンしんちゃん』が好きになっていく自分、『クレヨンしんちゃん』から元気をもらっている自分がいる。なぜ、私はこうも『クレヨンしんちゃん』に魅せられるのか。『クレヨンしんちゃん』を漫画、アニメ、映画とジャンルごとに分類して詳細に分析し、そして「笑い」と「涙」と「挑戦」という視点から、この謎の答えを考察し見出した。


ひとまねこざるの意外な空間
  ―― 作家H.A.レイの歴史から見えた人間と動物の関係 ――
森井 優

  絵本『ひとまねこざる』を手に取ると色々なことが思い浮かぶ・・・作者のこと、ジョージの色々なイタズラ、可愛い絵に洒落た文章。そこで、絵本の中のジョージの存在する「探求の世界」に注目した。ちょっと視点を変えると「人種差別」という現代問題が見えてきたからである。また『ひとまねこざる』の作者レイ夫妻の生涯を見ることで、『ひとまねこざる』に込めた思いを自分なりに感じ、ジョージの魅力に迫ろうと考えた。そこから、映画『キングコング』、『猿の惑星』との意外な関わり、共通点、アメリカ社会の問題に気が付いた。これらのことに気づくことによって、ジョージが猿であるということに大きな意味を感じることが出来た。そして、『ひとまねこざる』の作者H.A.レイに最も身近な存在の動物園。「見世物」という立場の動物園のこれからの役割は何であるかということを自分なりに考えてみた。そして、人間と動物はどのような関わりがあるのだろうということを思い、ジョージが猿であるということの前に動物であるということを意識して、動物であるジョージに人々は何を学び、魅力として長い間、この絵本を愛し続けたのかということを研究した。


映画『ゲド戦記』を読み解く
     ―― 少年の心の闇と犯罪を考えながら ――
井下 真里

  2006年に話題になった、スタジオジブリ最新作「ゲド戦記」は観た人々から賛否両論が飛び交っている。確かに原作の第3巻「さいはての島へ」という全6部作の中の一部分を取り上げているので、話の流れが掴みにくかったと言う印象はある。しかし、私自身は観て何とも言えない感情に囚われた。あの映画は今を生きる私たちに多くのメッセージを投げかけているのではないだろうか。「生きているということの大切さ」、「世界の不均衡により囚われた心の闇から開放されること」、「まわりにいる人の存在」、「子どもが親に手を下してしまう現代における社会問題」など。本卒論においては、この映画が何故作られたのか、原作の中で第3巻が取り上げられたかのきっかけ、登場人物の個々の重要性、アレン王子の心の闇についての分析をメインに、現代の少年犯罪との共通点を奈良県で起きた少年による放火殺人事件を例にとり、この映画が私たちに伝えたいメッセージについて深く考察した。


トーベ・ヤンソンとムーミン
  ―― フィンランドで生まれたムーミンの物語と歴史 ――
宮川 茉莉子

  フィンランドで生まれたムーミンは日本でもよく知られ、愛されているキャラクターである。ではムーミンとは何者なのか?ムーミンはカバではない、「ムーミントロール」という、作者トーベ・ヤンソンが作り出した種族である。トーベは戦争で混沌としていた当時の社会の中で、そこから現実逃避するためにムーミン作品を書き始めた。しかし単なる現実逃避ではなく、トーベはこのムーミン作品の中に多くのメッセージをこめた。例えば、平和の大切さ、違いを認め合い尊重する大切さ、親と子の絶対的な信頼関係と周りに対する思いやりの心などがあげられる。トーベはそれらを大人だけがわかる言葉で伝えるのではなく、絵本など子どもたちにもわかるものを通して伝えた。では、トーベ自身はどういう人物だったのか、トーベとムーミンが生まれたフィンランドという小さな国はどのような歴史を持ち、風土を作り上げてきたのか。作者と作者の国の成り立ちをふまえ、そこからムーミン作品に触れていく中で、改めて自分自身のあり方や考え方を見つめなおすことができたように思う。



日本人と鬼 ―― 国の歴史と鬼の造形の軌跡 ――
東 和可子
 
鬼は、日本に古くから伝わる代表的な怪物のひとつであり、日本文化にも深く根ざしたところがあるため、現代の日本人にとってさえ身近な存在であるといえる。今回、長い日本の歴史のなかで、日本人にとって鬼がどのような役割を果たす存在であったか、歴史的視点と地理的視点にたって調べてみた。鬼は、動乱の世では、おどろおどろしく、生き生きとその姿がえがかれていたが、太平の世ではその存在感は薄れ、人々の娯楽の中でのみその精彩を細々と保っていく形となった。それでも、複雑な地形、不安定な気候の中で農耕社会を営んできた、とてもセキュリティ感覚に富んだ日本人の間では、飢饉や災害の際には、一時的にでも場所と時を問わず鬼は姿を見せた。これらのことから、鬼は時代の犠牲者を反映させている場合も多いものの、多くはセキュリティ感覚に富んだ日本人の間で、不安要素のイメージ像として扱われ、人々の警戒を促す役割を持っていたのだということがわかった。また、近代的な経済・科学技術の発達で、鬼の神秘性は失われたものの、人々の不安要素を反映させるその伝承スタイルは、現代の都市伝説や学校の怪談の一部に受け継がれている。


ごっこ遊びとミニチュアの世界
 ―― 小さな模倣の世界を生きることから見えてくるもの ――
大福 淑恵

 子どもの頃によく遊んだ遊びといえば、何を思い浮かべるだろうか。かくれんぼ、鬼ごっこ、ままごと、人形遊び…と、様々な遊びを思い出すだろう。そんな中、子どもの遊びを思い返してみると、子どもの頃の遊びには、人形ごっこやままごとを始めとした、大人の世界の真似を基本とした遊びが多いことに気づく。子どもは、身近な大人の姿を真似ることで、様々な事を知り、学び、少しずつ成長していく。その真似は、真似から遊びへと、成長と共に「ごっこ遊び」に変化していくのである。真似から始まる「ごっこ」の世界は子ども達の想像の世界であり、そこからたくさんの小さな世界を創造していく。しかし、「ごっこ」の世界を基盤とした小さくされたミニチュアの世界は、子どものみならず、大人の世界にも存在している。そこで今回、ごっこ遊びと小さくする世界観について、ごっこ遊びとは何か、そして小さくする事の意味とは、ということについて、ごっこ遊びやミニチュアの歴史や文化、そして自分自身が子どもの頃よく遊んだ人形遊びを例として、双方の共通点について探求し、子どもと大人の小さくする世界観についても考えていった。


テレビCMとキャラクター 
      ―― メディアミックスの世界を考える ――
久保 知子

テレビCMは、商品に音楽、キャラクターなどいろいろなものが「プラス」されてできているものです。テレビCMに使われるキャラクターを目当てに商品を購入したことはありませんか?お菓子が食べたいのではなくて、おまけのおもちゃが欲しい。商品本来ではなく、キャラクターが欲しくて購入してしまう…これもCMを注目するための一つの手段でもあり、「プラス」なのです。ところで、「続きはwebで」の続きを見たことはありませんか?最近、webをプラスしたテレビCMが増えてきています。これも「プラス」の一つです。このような新聞、テレビなどその他の広告媒体を組み合わせる宣伝方法を「メディアミックス」といい、モバイルやインターネットを組み合わせる宣伝方法を「クロスメディア」といいます。こうして、様々なものがテレビCMに取り込まれる状況は、あるところでは良くても一方では視聴者に不都合を起こすことがあります。「続きはwebで」であれば、webを使わない人にとったら次の情報がわからないので知りたいものです。私はこうした現代のテレビCMの変化、メディアミックスの新しい世界を考察しました。


スヌーピーの魅力に迫る! 
―スヌーピーはなぜ、長年愛されるキャラクターになれたのか?―
小河原 貴美子

  日本にはたくさんのキャラクターが存在し、子どもから大人まで、何かしらのキャラクターと接点を持って生活している。その中でも、1950年10月4日に『PEANUTS』というアメリカンコミックで初めて登場したスヌーピーは、50年以上経った現在も世界中の人気者である。特に日本では、スヌーピーや『PEANUTS』の仲間の絵が入った、ありとあらゆるグッズが市場に出回っており、スヌーピーを利用した心理学関係の本なども出版されている。私は、アメリカ生まれのスヌーピーが、長い間、なぜこれほどまでに愛されているのかと不思議に思い、多方面から独自の視点で考察し、人気の秘密を探った。その結果、大きく分けて、「コミック作品の登場人物としての魅力」「キャラクターグッズとしての魅力」「展覧会や企業のイメージアップとして活躍するスヌーピーの魅力」の3点が、スヌーピーが長年愛されてきた理由と深く関わっているということが分かってきた。中でも、コミック作品中でのスヌーピーの言動や生活スタイルが、私達読者にも身に覚えのあることが多く共感を得やすい、という点に、今回特に注目して考慮した。 


キレイになりたい子供たち 
    ―― 低年齢化する子供たちのファッション ――
杉田 早希
渡部  愛 
「キレイになりたい。」は女性の永遠のテーマである。しかし、近年、キレイになりたいのは大人の女性だけではない。巷では小中学生向けのジュニアコスメや、カラフルでファッショナブルな子供服が大流行しており、キレイになりたい子供たちが増加している。デパートの玩具売り場やコンビニエンスストア、雑貨店には大人用化粧品と変わらないようなキッズコスメが並べられ、大人顔負けのファッションに身を包んだ小中学生たちが街を闊歩する。「モーニング娘。」などのアイドルや、雑誌モデルの姿などに刺激され、「プチ整形」と呼ばれる美容整形手術を受ける女子小中学生までもが増えている。なぜこのような現象が起きているのだろうか。今回、私たちが研究対象とするのは、ローティーンと呼ばれる主に9歳から14歳までの年齢の少女たちである。このローティーン世代に位置づけられる小学校高学年から中学生の少女たちのファッション意識が、今劇的に変化している。こうした若年層の美容への関心の高まりや、大人顔負けの美意識を持ち、キレイになりたい子供たちが増えていることの現状について調べ考察した。