17期(2012卒)


 17期生 卒論要旨集 


 
千尋から千へ、千から千尋へ
      ―― いくつもの「境界」を越えるということ ――
木村 瞳

 日常の中で「境界」を意識して生活している人はどれくらいいるだろうか。今日、境界というものはとても曖昧なものとなり、消えてなくなろうとしている。それは私たちが神さまや異界の存在を信じなくなった結果、世界はたくさんの異なる世界でできているという事実が見えなくなっているからだ。古代日本では自然崇拝や神道を信仰し、海や川、山や森、樹木や岩石などの自然物そのものを祀ってきた。それらは依り代として神が宿る場所であり、神域との境界を示す明白な指標だった。『千と千尋の神隠し』の主人公、荻野千尋は不思議の町に迷い込んだことで、はじめてそのような異世界に出会う。彼女はいくつもの境界を越え、千尋から千、そして再び千尋へと変化し、新しい場所で「生きる」ということを学んでいく。境界とは何か、境界を越えるとはどのような意味があるのか、また、人は境界を越えると変わるのか。私は、境界を意識した視点でこの物語を読み解き、千尋と千の変化をたどることによって、それらのことを考察した。私たちは皆、いくつもの境界を越えて生きている。境界が曖昧になった今こそ、改めて境界に目を向けることの必要性を考える。


おもひでぽろぽろ
      ―― ワタシとタエ子の思い出の旅 ―― 
信家 那美

 27歳のタエ子は「小学五年生のワタシ」を連れて旅へ出た。旅の途中に10歳の時に経験した様々な思い出を回想していく中で、これからの自分の歩むべき道を見つけだしていく。『おもひでぽろぽろ』を見ていると自分の昔を思い出し、懐かしさを感じる人も少なくないだろう。私もその一人で、タエ子と自分を重ねて見入ってしまう。なぜそういうことをしてしまうのか。この作品の最大の特徴はどこにあるのだろう。そもそも、タエ子が旅を共にした“思い出”とは一体何なのだろうか。私達は常に思い出と共に生活をしているが、その意味や重要性について普段はあまり考えた事がない。思い出とは確かに主観的なものではあるが、でもその人だけが有する宝物とも言えるものである。もちろん、思い出には「良い思い出」や「嫌な思い出」もあるが、そんな思い出をふまえて私達は自分の「未来」も作っている。過去と未来への開き方によって今の自分は成り立っている。そんな「思い出」の持つ不思議な力について、私自身も改めて思い出の旅をしながら考察していった。


ディズニープリンセスにかけられた魔法
            ―― 魔法にかけられたのは誰? ――
原田 佳苗

 ディズニープリンセスは誰もが一度は見た作品に登場するプリンセスである。今回11人の輝くプリンセスを取り上げる。近年ディズニー作品はプリンセスが働いている描写が多く、現代社会においてもワークライフバランスや女性の社会進出というのがメジャーとなってきている。このことからディズニープリンセスを大きく三期に分け、ウォルト生前時、主導権を握ったプリンセス、仕事を持ったプリンセスと定義した。そして、そのそれぞれの時代の中で、人々がどのようにディズニープリンセスを求めてきたのか、その時代別の魅力について考察した。また、ディズニーの性別批判や人種差別の批判がある中で、どのようにディズニーが問題をクリアにしてきたのかも三期に分け考察した。その中で、夢と魔法を取り上げ、魔法にかかったのはプリンセスであるのか、あるいは、私たちなのか、誰が魔法にかかったのかを考察した。私たちは、自分の夢を持ちそれを実現するためにたくさんの魔法を使っている。魔法にかけられようとする心があれば「夢はきっと叶う」というディズニーの魔法がある。この魔法はどこまでが魔法なのか、その魅力について考察した。


誕生日が教える「死と再生」
         ―― 月とリンゴから暦を考える ――
宮本 麻友

 私達は、自分の誕生日を知っている。では、どうやって知ったのだろうか。誕生日を祝うには、共通の暦が必要である。人々は、古代より月を眺め、月で年月を測ってきた。絵本の『ちいさいおうち』でも月を眺め、日の長さを感じ、リンゴの木とともに人生の長さを測ることが描かれている。ところで、誕生日を知るとは何を意味するのか。それは、死を迎える前に、死を意識できる機会である。絵本の『はらぺこあおむし』には、何度も、生まれ変わるあおむしが描かれている。たまごからチョウになるまでは、同じあおむしなのか。ここでは、そんな『はらぺこあおむし』にある暦らしさを、「死から誕生」するあおむしの変態を通して考えた。また、誕生日に似たものに記念日がある。2011年3月11日には東日本大震災が起こり、現在もその爪痕は深い。記念日とは、その日を忘れないためにあり、その出来事の誕生日である。誕生日が、死の意識であるなら、3月11日は、死を含んだ記念日になるだろう。『コクリコ坂から』にも誕生日を考えるシーンがある。今、誕生日を考えることは、いのちが死に向かう尊く限られた生であることを考えるきっかけになればと思う。


メイのトウモロコシから見えるもの
        ―― 私が伝えたいこれからの家庭科 ――
清水 風佳

 生活に関わるいろんなことが便利になり、基本をよく知らないままでもなんとなく生きてこられる時代に育っている私たちは、自分の身の回りのことや、衣食住について、なんとなくわかっているつもりで全然わかっていないことが本当に多い。そして、こんな今の私たちに必要なのは「1つのものごとはいろんなことにつながっていると知ること」なのではないかと考えた。私たちは、ひとつのものに対して、もっと真摯に向き合うべき時代に来ているのではないだろうか。そして、その大切さをやはり家庭科が率先して伝えていかなければいけないのだと思う。この卒業論文では、私の大好きな『となりのトトロ』の中で、メイが抱きしめているトウモロコシから、「いろんなことにつながっていること」をまとめている。トウモロコシが壮大な歴史の上に成り立ち、私たちの生活のあらゆる場面で使用され、あらゆる姿で食されていること。また、4才の女の子を支える存在でもあり、古代の人々の神様であったこと。たったひとつの植物であるトウモロコシから見えてくる世界は果てしなく、そして確実に私たちとつながっているところを考察し研究した。


あなたも持っているトイ・ストーリー
    ―― ウッディは保安官?それともおもちゃ? ――
清水 香

 おもちゃが動くという事を想像したことがあるだろうか。このような想像は、バカらしくもあり子供じみた考えなのかもしれない。しかしかつての私達は、人形で遊んだり、ぬいぐるみを外出先に連れて行ったりと、おもちゃをまるで友人のように扱っていた。その時のおもちゃ達は、確かに生きているのではないだろうか。大人から見ると、ただのごっこ遊びであることが、遊んでいる子どもにとっては、自分の定めた設定の中でおもちゃと共に生きているのだ。映画『トイ・ストーリー』に出てくる、ウッディやバズのように…。本論文は、おもちゃが生きているという事をベースに、おもちゃ達の望むべき姿、加えておもちゃの持ち主であったかつての私達について考えた。自室を見渡せば見つかる、古びた鉛筆や汚れた絵本。その人にしか価値の分からないものを、誰もが大人になった今でも持っている。私達が大人になった時に、そんなおもちゃをなぜ捨ててしまうのか。その理由について、映画『トイ・ストーリー』から紐解いていく。特に『トイ・ストーリー』の中の隠されたおもちゃ達が生きる仕組みについて、本論文で改めて見直してみた。


愛するということ
     ―― あなたがもらった愛、これから与える愛 ――
朝倉 麻惟子

 この論文では、「愛するということ」について考える。「自分が親になったら、私は両親がしてくれたように子どもを愛する事ができるだろうか」という不安が、愛を考えるきっかけだった。私は、生きる上で一番大切なものは愛だと思っている。そう思うほど、愛に答えはあるのか、愛に正解はあるのかを知りたいと感じた。私はたくさんの愛の形の中で、男女の恋愛、友愛、親子愛など、相手が見える愛を考える。本論は、愛の古典として読み継がれるエーリッヒ・フロムの『愛するということ』、私が愛の絵本だと感じたものの中から、『おおきな木』『わすれられないおくりもの』『愛するということ』を中心に考えた。絵本を用いたのは、読み手に創造の余地があり、大人が絵本を読む事は、物語の解釈で自分と対峙できると感じるからだ。私の愛の答えは、「愛はつながっていくもの、伝えていくもの」「愛はふたりで創り上げていくもので、相手と自分の幸せの形を見つけていくもの」という事だ。言葉にすると目新しいものは何もないが、たくさんの過程をへて自分の言葉で出した答えである。


ライバルとは何か
    ―― 『NARUTO』から読み解く人間関係 ――
繪戸 みづ穂

 スポーツや恋、勉学において自然につくりあげられていくライバルという存在。ライバル関係には肯定的な働きと否定的な働きをもたらす面がある。そこに着目し、少年漫画『NARUTO』の主人公ナルトとそのライバル、サスケについてどのような関係が働いているのかを研究した。ライバルとは何なのか、その存在がもたらす影響とはどのようなものなのか。本研究では、他の作品、『AKIRA』などにも焦点を置き比較していくことにした。このテーマは私自身にもよく当てはまることであった。就職活動、そして将来への不安や迷い。そういったものを、他者と比べることしかできなかった私は、結局自分を苦しめることしかできなかった。ライバルが否定的なものでしかなかったのは、自分をも否定した目でしか見られなかったことが一番の理由かもしれない。ライバルを通してみることができたのは、自分自身と、本当に見つめるべき、向かい合うべき自身の姿であった。これに気付くことで、ライバルや自分に対する姿勢が大きく変わったのではないかと、私は考えている。


ハリー・ポッターの世界
       ―― 善と悪のヒーロー、魔界イギリスより ――
山村 朋子

  ハリー・ポッターの故郷であるイギリスは、かつて魔女裁判が行われた国である。それにもかかわらず魔法使いの物語が描かれた。その物語の1つに『ハリー・ポッター』がある。なぜ、「魔界」イギリスなのか…。イギリスの魔界性の特質は、新と旧、すなわち陰と陽が交じり合っているところにある。その魔界性とハリー・ポッターの世界に溶け込んでいるイギリスの陰の部分を、キリスト教と古代信仰から読み解いていく。結果として、作品における古代信仰とキリスト教は、それぞれヴォルデモート卿とハリー・ポッターに当てはまるということが分かった。そこからこの作品に登場する善と悪に分かれてしまった2人のヒーロー、ハリー・ポッターとヴォルデモート卿について比較した。大きなテーマはヴォルデモート卿と似たところを持ち合わせているハリー・ポッターが、なぜ悪に走らなかったのか、というところだ。そこには、ハリー・ポッターの肌に宿る母親の守護呪文、つまり愛が関係している。では、母の愛とは何なのか。これらを考察し、2人の違いを明らかにする。これらをもとに、ハリー・ポッターの世界観を読み解く。


お菓子の世界をのぞきに… 
       ―― 『しろくまちゃんのほっとけーき』から ――
田辺 恵子

 食べることは生きることであり、食べなければ生きていけない。では、栄養あるご飯があればお菓子なんて食べなくても生きていけるなんて本当なのだろうか。私たちはどうして甘いお菓子に惹かれるか、そもそもお菓子とは何なのか。『しろくまちゃんのほっとけーき』は、主人公のしろくまちゃんがお母さんと一緒にホットケーキを作り、できあがったそれを友達と食べる物語を描いた絵本である。一見、くまたちの微笑ましい絵本であり、現実の親子でも見られそうな風景であるが、この物語の中には「読んで楽しい」だけで終わらせてほしくないことが多く含まれている。例えば、お菓子を手作りするということ、また手作りされたお菓子を友達を呼んでいただくということ。お菓子作りには多くの要素が混ざり合っているが、私たちはなかなかそのことに気づけない。絵本とお菓子、異なる物同士だがお互いにその魅力を誘い合い、私たちを惹きつける。そこには両者に「甘さ」という魅力があるからではないか。私たちにとってお菓子とは何だろうか。ただ食べるだけのお菓子が溢れる現代だからこそ、お菓子作りのある生活を見つめなおしてみるべきではないかと考える。


ちいさなちいさな王様からの大きなメッセージ 
          ―― 幸福感は言葉で感じられる ――
川浦 志織里

 ドイツの絵本「ちいさなちいさな王様」。平凡な日常に飽き飽きしているサラリーマンの「僕」の部屋に、ある日、ふらりと親指くらいの王様がやってきた。王様の世界では生まれた時は身体が一番大きくて、何でも出来るし何でも知っているが、大人になるにつれて次第に身体が小さくなっていく。そして、色々なことを忘れていく。そんな王様は「生きていく上で、いちばん大切なことは想像することだ」と僕に言う。王様は、大人になるにつれて、頭の中の空間は知識で埋まり、想像する空間が狭くなっていく「僕」の世界を一蹴する。大人になるにつれて、小さくなっていく王様は、小さくなればなるほど、自由に生きることが出来る。では「僕」の世界において「小さくなる」とは一体どういうことなのだろう。どのようにすれば「僕」の息の詰まる日常から、抜け出せるのだろうか。この絵本にはいつも「言葉」がある。「言葉の持つ力」について少し違う角度から見つめるだけで、行き詰まった世界から抜け出せる道がある?そう王様は教えてくれるようだ。そして私は考えた。はたしてちいさな王様は、本当に小さいのだろうか、と。


ONE PIECE        ―― 自由に生きること ――
笠原 由賀

  日本で今最も売れている漫画『ONE PIECE』。読んだことはなくても、漫画の存在を知らない人はまずいないであろう。少年漫画でありながら年齢、性別問わず人気がある。『ONE PIECE』は主人公モンキー・D・ルフィが海賊王になることを夢に、仲間を集めながら航海する架空の冒険ファンタジーである。「自由」「信念」「仲間」の3つのキーワードはルフィの魅力であり、『ONE PIECE』の魅力でもある。今回はその中の、「自由」を中心に考察した。海賊王ゴール・D・ロジャーの言葉「これらは止めることのできないものだ “受け継がれる意志”“人の夢”“時代のうねり”――人が「自由」の答えを求める限りそれらは決して――止まらない」。この言葉を基に、海賊にとっての「自由」と、ルフィにとっての「自由」の方向を考えた。そこから導き出される「自由」と「信念」、「自由」と「仲間」との繋がりは何なのか。本論文では『ONE PIECE』の魅力のひとつであるキャラクター達の多くの名言を抜粋した。なぜ、各キャラクター達の言葉は私たちの心に響くのか。その考察を通して見えてくる、ルフィたちの「自由」への独特な思いについて研究した。