京都府生まれ。写真は「あすなろ園(心身障害児通園施設)」に勤務の頃の勇姿。24歳から44歳まで交野市。この園で関わった子どもたち、母親、先生たちから、人生で大事なことのすべてを学んだ。
45歳から、同志社女子大学、児童文化研究室へ。学生たちの苦悩の深さを知る。物語が人を支えるところを日々実感。70歳、退職。下は古希の写真。若き面影がなくなる老いも良いものだと思う。
19期生 卒論要旨集
アンパンマンの「正義」とは何か
―― やなせたかしのメッセージを読み解く ――
塚本 多佳子
誰もが知っている『アンパンマン』。アンパンマンは常に子どもたちのヒーローであり、長く愛され続けている。実際、日本で一番商業的な価値が高いキャラクターとして認定されており、日本を代表する国民的なキャラクターと言っても良いだろう。本論文では、このように幅広い世代から人気を集める『アンパンマン』の原点を知るため、まず作者やなせたかしの生涯を考察した。そこから、主に戦争の経験が作品に深く関係していることを理解し、『アンパンマン』の最大のテーマが「正義」であると考えた。では、『アンパンマン』の世界で繰り広げられている「正義」とは一体どのようなものなのか。アンパンマンは「小麦」の存在抜きには成立しない。「小麦」をキーワードに、『アンパンマン』の「正義」の意味について考察した。また『アンパンマン』の主要キャラクターの分析を通し、簡単には善と悪に分けられない『アンパンマン』の世界観を探る。さらにアンパンマンと他のヒーローとを比較したところ、アンパンマンがただ悪者を倒すヒーローではないことが分かった。何故やなせたかしはこのようなヒーロー像にこだわったのか、その意図を読み解いていく。
「ミッフィー」が教えてくれること
―― シンプルな絵本を読む ――
丸山 梨恵
現在世界的に愛されているディック・ブルーナの作品、「ミッフィー」シリーズ。日本でも1964年「うさこちゃん」シリーズとして福音館書店から絵本が刊行され、長く愛され続けてきた。一人っ子であった私自身も幼少期からこの作品に親しみ、今もなお大好きな絵本、キャラクターとしても私を癒してくれている。確かにこの作品は一見すると幼い子どもがはじめて読んでもらうようなシンプルな絵本のように思える。しかし今や大人向けのグッズも多く発売されており、子どもだけではない幅広い世代に愛されていることが伺える。私はその秘密を”単なるシンプルな絵本ではない”という視点でひも解いてみた。シンプルな絵本の中で、主人公であるうさぎのミッフィーは日常的な出来事の他に、「いのち」や「人種」など深刻な問題に直面していく。このようなテーマをあえてシンプルな絵本から学ぶということはどういうことなのか。シンプルなイラスト、色使いの余白から感じとれるものとは。数多くある作品の中から必要な作品を取り上げ、大人、子ども両者にとって絵本を読むということはどのようなことであるのか、ということを考えながら研究を進めた。
ムーミンの世界
―― 「マイノリティーが自由に生きる場所 ――
中川 紗希
小説、アニメ、コミック…様々な媒体を通して世界中の人々に愛されているムーミン。そこまで人を惹きつける魅力はどこにあるのか?ムーミン達が暮らすムーミン谷はスウェーデンの幸せな谷とフィンランドの島々が素敵に混じり合って出来ていると作者トーベは語る。そこには、トロール、スノーク、ミムラ族…へんてこな少数派種族が混じり合い生きている。いがみ合うのでもなく、争うのでもなくお互いの違いを認識した上でとても自由に。こうしたムーミンの世界が出来上がった裏側に、トーベ自身が抱える2つのマイノリティーが大きく影響しているように思う。スウェーデン語系フィンランド人であったこと。また女性でありながら女性を生涯のパートナーとして選んだ同性愛者であったことである。ムーミンの聖地である北欧の歴史や文化、トーベの生き方、大切にしていたこと、価値観などを知ることで、ムーミン作品が単に明るく楽しい冒険物語ではないことがわかった。本卒論では登場人物の設定やエピソード、また死生観の面からトーベが描いたユートピア“ムーミン谷”の魅力を読み解き、現実社会で生きる私たちにとっての“ムーミン谷”とは何かを考える。
友だちになるってどういうこと?
――星の王子さまの隣に座って――
今井 久実子
『星の王子さま』は語り手である飛行士の「ぼく」が砂漠で星の王子さまと出会い物語が展開する。王子さまは自分の星に偶然根付いた美しいバラとの関係に悩み、星を出る決心をした。6つの星をめぐってその先々で妙なおとなたちと会話し、最後に地球にたどり着いた。そこで一匹のキツネと友だちになり、秘密の贈り物「大切なものは目に見えない」という神秘的な言葉を受け取る。星めぐりを終え、王子さまはキツネから受け取ったメッセージの意味を飛行士に伝えて地球から去った。このとき王子さまと飛行士は確かに友だちになっていたことがわかる。私たちは友だちになる時、一緒に時を過ごし少しずつ近しくなることで、お互いにかけがえのない存在になってゆく。一緒に時を過ごすというのは、自分の生きる時間を相手のために費やすということだ。他人と関係をもつと一喜一憂することがあるが、それは自己の内面世界に変化を起こす。自分の中に他人が生きることで、これまで当り前だった景色に意味と思いが加わるのだ。大切なものとは何なのか、これから出会うものとどのように関わり、どんなふうに時間を過ごせばよいのか、星の王子さまを通して考察した。
『天空の城ラピュタ』の魅力
―― 宮崎駿の「石」を巡る冒険活劇履物の秘密を探る ――
角村 亜胡
『天空の城ラピュタ』は、スタジオジブリ作品の中でも屈指の冒険活劇であり、30年近く経った今も多くの人々に愛され続けている。私も大好きなこの作品の魅力とは何か。まず、空に浮かぶ宝島、空を飛べる石、ロボットと超科学文明、等聞くだけでワクワクする設定や個性豊かなキャラクターの魅力。そして、天空から地下坑道まで縦横無尽に繰り広げられる怒涛の展開。『天空の城ラピュタ』は、追いかけられては落下して、上昇して、を繰り返すハラハラどきどき宮崎流活劇の仕組みが存分に発揮されている作品だ。しかし、娯楽としての面白さだけが魅力ではないことが見えてきた。『天空の城ラピュタ』の地下世界は飛行石の原石や石炭が採れる、いわば物語の源であり、エネルギーの源でもあり、活力みなぎる物語を支えている場所だ。地下には私たちが生きていくために必要なエネルギー(石)の問題が秘められているのではないか。本論文では、活劇の仕組みを紐解くと共に、舞台モデルとなった産業革命期のイギリスにおける労働者問題との繋がりや、『ガリバー旅行記』に出てくる浮島「ラピュータ」との比較を通し、『天空の城ラピュタ』の奥行きを研究した。
『霧のむこうのふしぎな町』からの贈り物
―― この町がリナにもたらした「変化」とは ――
安田 恵理
本作はスタジオジブリ『千と千尋の神隠し』が誕生するきっかけとなった物語である。主人公は小学6年生の女の子リナ。彼女は父親の紹介により、夏休みを「霧の谷」で過ごすことになる。そこは魔法がかかった不思議の町だった。下宿屋を営むピコット婆さんから5軒の店で働くよう命じられたリナは、そこで思いがけない人々や出来事と出会うことになる。この物語を読み込むうち、そもそも「霧の谷」はどこにあるのか、町に「行ける人間」と「行けない人間」がいるのは何故かなど、作品の持つ魅力が次々と見えてきた。それまで学習塾と学校を往復するだけの生活を送ってきた少女が、「霧の谷」という異世界に身を置き、様々な体験をする。その中で他者や自身に対する理解を深めていく。このように「もう一つの世界」へ行くということは、自分の外側の世界を開拓している一方、それと並行して自分の内側の世界を開拓していると考えられる。新しい体験は新しい自分、すなわち今まで知らなかった自分を引き出してくれるのではないだろうか。本卒論において、「自分は何もできない」と思い込んでいたリナにどのような内的変化が生まれたのかを考察した。
『魔女の宅急便』が届けるメッセージ
――原作との比較で見えてくるもの――
鴨林 茉帆
ジブリ映画『魔女の宅急便』。黒いワンピースを着て、赤いリボンを付け、黒猫のジジと一緒にホウキで空を飛ぶキキに憧れている子供はたくさん居る。大人になっても、見返されジブリ映画『魔女の宅急便』は、公開から20年以上経つ今でも、幅広い年代の人々に愛され続けている。ところで、『魔女の宅急便』には原作があり、その原作には無い場面がアニメには描かれている。キキがジジの言葉を理解できなくな
る場面。女性画家のウルスラがキキに見せたペガサスの絵。魔法の力が弱まっているキキが、デッキブラシに乗り、飛行船から落ちそうなトンボを助けに行くラストシーンなど、これらのシーンは、ジブリ版のオリジナルである。一体なぜ宮崎駿監督はこういう場面を導入しようとしたのか。私はここに監督が映画を通して、よりたくさんの人に伝えたいメッセージが込められていると考えた。本論文では、原作版とジブリ映画、2つの『魔女の宅急便』を読み解き、比較した。そして、比較することによって見えてきた登場人物の個性や行動の違い、ジブリ版のオリジナルシーンの特徴について考察し、この作品に込められた宮崎駿監督のメッセージを探った。
「自分」を生きるということ
―「雪」という一少女と共に考える(『おおかみこどもの雨と雪』より―
野上 夏帆
人間は本来たくさんの要素を持ち、まぜこぜでカラフルな存在である。ところが、生きていく中で、混ざりものであることそのものが劣等感に繋がり、思い悩み、純粋な存在になることを求めて自分の中の他の要素を排除しようと葛藤することがある。例えば、少女「雪」は、ニホンオオカミの末裔とヒトの間に生まれ、「人間」として小学校で生活する中で自分の中にある「おおかみ」の要素に思い悩むことになる。〈「おおかみでも人間でもない自分」から「人間」になるために、自身の中の「おおかみ」を隠し、さらには排除する〉、という思想は非常に辛いものだ。なぜなら、自身の一要素を悪とし排除しようとする思想は、他ならぬ自分自身を否定することそのものであるからだ。自身を裁くことは他者を裁くことにも繋がる。その思想は自身にとって生きづらい世界しか生まず、抜け出さない限り永遠に苦しみ続ける他ない。雪は、作中でとある少年との交流をきっかけに、そこから抜け出すことができた。本論文では、混ざりものを生きる難しさを指摘し、雪の人生を追いながら、ありのままの自分を生きるとはどういうことか、雪と共に本題への答えを考察した。
『ナルニア国物語』の魅力
富田 温子
この物語はナルニア国の創造主であり、ライオンのアスラン、ナルニア国の危機を救いにやってくる主人公たち、悪い魔女等によって展開されている。自然豊かで、動物や木々が言葉を発すことが出来るナルニア国は人間界と一体どのような繋がりがあるのか。なぜ主人公たちは古い衣装だんすの中を通り抜けてナルニア国へ行けたのか。そしてナルニア国で様々な経験をしたことによって、主人公たちの心情や考え方にどんな変化が起こったのか考察した。4人の兄弟姉妹たちの性格は全く異なるが、特に次男のエドマンドの変化を中心に探っていった。その過程の中で、自ら何が善で何が悪かを判断する力の重要性が見えてきた。また、物語の最後で主人公たちは大人の姿で登場する。これは単なる時間軸を表しているだけでなく、ナルニアで精神的に成長したことを暗に示していると考えられる。なぜなら主人公は、親元を離れ冒険や戦いという窮地に陥ったことで、どんな場面でも「自ら考え、正しい判断を下す」ことが求められたからである。これらの経験が現実世界に戻ってから人格形成にどのような影響を及ぼしているのかを、大人と子どもの関係を軸に考察した。
シンデレラがついた嘘
―― 魔法は自分でかけるもの――
嶋﨑 智美
「シンデレラ」と聞くと、多くの人が“ハッピーエンドの物語”という認識をもち、キラキラしたお姫様の世界を想像するだろう。また、いつも愛に満ちあふれている器量の良さや舞踏会の華やかな世界、素敵な魔法に魅力を感じ憧れる女の子も少なくないだろう。そしてこの物語に登場するガラスの靴やきらびやかなドレス、夢のような王宮などは、どれをとってもプリンセスストーリーを象徴するものと言える。しかし本卒論では、そのような印象に反して映像化された3つの“現代版シンデレラ”の比較をもとに、作中の人間関係や社会的要素に重きを置いて物語を紐解き、考察した。特に歴史的背景や格差社会が大きく影響し生み出されたそれぞれのシンデレラの“性格”に焦点を合わせた。その考察の中で、理想の自分に近づく為の自己暗示や自己啓発として自分に嘘をつく、つまり自分で自分に魔法をかける行動が、人生の可能性を広げるということに着目した。「新しいシンデレラの物語」という意味での視点で作品の解釈を深めながら、シンデレラコンプレックスやジェンダーの問題をかかえる、現代に生きる女性のあり方について考察した。
アンデルセン童話『人魚姫』
―― 人魚姫にとって幸せとは何だったのか――
武田 華奈
アンデルセン童話の中でも、代表作とされている『人魚姫』は美しく哀しいラブストーリーだと考えている方が多いと思う。アンデルセンはこの童話について、「書いている間に私自身を感動させた唯一の作品」と述べ、また子どものための童話というよりは、むしろ大人のための物語である。私は悲しく切ない、しかし不幸とは思わせない、不思議な気持ちにさせる『人魚姫』に心惹かれたのである。『人魚姫』は私にとって、可哀想な悲劇の主人公ではなかった。人間の姿となり思い焦がれる人の傍に居たいという望みを叶えるため、声を失うという大きな代償を払い、命を賭けてひとりの人を愛し、その愛する人の幸福を願い、ひっそりと泡となり退いたのだ。その姿は、あまりに悲しい、しかし人魚姫は永遠の魂を得られる可能性が示された結末であるため、
良い行いをすれば望みは叶うという希望がある物語だといえる。本論文では、彼自身の人生体験を通して、得られた人生の真実を記した童話作品の一つである『人魚姫』が作者ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生涯にどのように反映しているのか、彼自身の失恋や独自の宗教観、社会的背景等を通して考察した。
どうして子どもは良い子にならなくちゃいけないの?
―― 『ピノッキオの冒険』から学ぶ良心とは ――
大林 真紀子
中学や高校の時に「道を踏み外して」苦しい思いをした人はいるのではないだろうか。思春期が「激動の時代」といわれるのもそのためだろう。飲酒、結婚、選挙権など年齢や法律で子どもと大人を区分するのは容易である。しかし精神面から考えると、主に思春期の若者たちは子どもにも大人にも属すことができない不安定な期間を過ごさなければならない。そんな子どもから大人になる事の難しさを比喩的に描いている作品が「ピノッキオの冒険」である。これでもかという程「失敗」を繰り返し、成長していくピノッキオの姿は、幼い読者には勇気と希望を与え、大人の読者は若かりし頃の自分の姿を投影し、どこか胸が苦しくなる。「大人の言う事を聞かず遊んでばかりでは、恐ろしい結末が待っているぞ、いつか後悔する」という物言うコオロギ(ジミニークリケット)の言葉は、思春期の若者たちにとって痛いほど胸に突き刺さる。果たして大人の言う事を素直に聞き入れる子どもだけが良い子なのだろうか?道に外れてしまった問題児を悪い子とレッテルを貼るのはどうなのだろうか?ピノッキオの冒険の物語をなぞりながら「良心」の根幹は何かを本論文で探っていった。
不思議の国のアリス
―― アリスのドレスに秘められたもの ――
松尾 祐希
誰もが知っている『不思議の国のアリス』。長くてふわふわの髪の毛に、フリルがついた水色のかわいいワンピース姿のアリスに幼少期の女の子たちは一度は憧れたのではないだろうか。私自身、幼少期からそういった物語の可愛い主人公に憧れを抱いていた部分が気付かないうちにあったように思う。現実とは異なる、摩訶不思議なことばかりが起こる物語も合わさって余計にその特別な世界に引き込まれた。不思議の国のアリスと言われてイメージするもの、それはアリスが着ているあの可愛らしいワンピース。今やハロウィンのコスプレに用いられるキャラクターの一つに代表される。しかし、世の中の皆が思っているアリスのワンピースは初めからあのワンピースではなかった。あの可愛らしい見た目とはまた異なった実に簡素な装いだったのである。それがどのような過程を経て『不思議の国のアリス』に仕上がったのか。当卒論ではアリスの作品が出来上がるまでの過程を作者キャロルや画家テニエルの挿絵の資料で比較したり、世界中の子どもたちを惹きつけ今でも愛されている秘密について、装いや当時の英国の社会背景を通して考察する。
暮らしのそばにお地蔵さま
―― 物語から見る地蔵信仰 ――
増馬 遥菜
現代において、多くの日本人は「宗教」というものに拒否反応を示しがちである。しかし神や仏を超越的な存在として崇拝しているわけではないが、困ったときの神頼みというように、どこかで拠り所としている。そしてお盆などの宗教的な年中行事や神社や寺への参拝を、習慣的なものとして当たり前のように行っている。そんな日本人にとって、路傍に佇む地蔵は最も身近な信仰対象といえるのではないだろうか。京の六地蔵や身代わり地蔵のような、名を持ち寺院の片隅に置かれ、多くの人々に親しまれている地蔵はもちろん、道端に、山の入り口に、私たちの暮らしのそばに、数多くの名もなき地蔵が鎮座している。地蔵への参拝には何の決まりも壁もない。毎日拝みにやってくる人もいれば、普段は存在を忘れていてもふと思いついたときに手をあわせる人もいる。なぜ地蔵はこうやって人々に自然と親しまれ、暮らしにとけこんでいるのか。地蔵へ心を寄せる人々の心情はどんなものか。地蔵信仰の形を、笠地蔵などの民話や、子どもができない夫婦間の軋轢と葛藤を綴った文学作品・田村俊子全集より『子育て地蔵』など、地蔵の登場する「物語」を中心として探った。