24期(2019卒)


24期生 卒論要旨集 

 
サーカスの世界
      ―― 日常と非日常のバランスをみる ――
浅田 菜々恵

 非日常的かつ不思議な空間の中で多くの人々を魅了する「サーカス」。私がこのテーマに関心を持ったきっかけは『The Greatest Showman』という映画である。この映画は、P・T・バーナムという興行師が、フリークスと呼ばれた人たちを主役にし、ショーを行い「地上最大のサーカス団」を完成させるまでの物語である。サーカスでは、様々な姿の人たちが出演しており、それぞれの人がバーナムのサーカスを通して、自分の障害に対して「個性・武器」ととらえ成功している。本論文ではフリークスたちの人生を変えた場所である「サーカス」をテーマとし、研究を進めた。研究を進めるうちに「サーカス」の独特な空間は「フリークス」だけでなく、曲芸師や動物を操る人など多種多様な人たちによって生み出されていることに気が付いた。このことからサーカスには、フリークスと曲芸師、どちらも欠かせない存在であり、お互いがバランスを取り合うことで不思議な空間を作っていると考えた。またサーカスが多くの人々の心をつかむ心理的な影響に着目し、さらにバランスをとりながら歩んできた自身の人生とも結びつけ考察した。


変身によって得る「生きる強さ」
 ―― 「カワイイの鎧を纏う魔法少女たち ――
綾 美穂里

 「女の子は弱いもの」それがかつての日本での女性に対する位置付けであった。強さを手に入れると、たちまち女であることから遠ざかってしまう。そんな考え方を覆したのが「魔法少女」物語だった。彼女たちは武装するのではなく“メイクアップ”という変身で強くなる。この変身こそが、女というアイデンティティを保持したまま、カワイさと強さを両立するための仕組みなのである。卒論では、悪と戦う魔法少女の代名詞ともいえる『セーラームーン』と『ふたりはプリキュア』の2つのアニメを主に取り上げ、考察した。メイクアップの変身は自己にどのような影響を与えるのか。女性はなぜ化粧やオシャレをするのか。人に限らず生き物は、常に何かを装い小さな変身を繰り返している。人は変身によって得た幾つもの自分を使い分けることで、異なる困難や壁を乗り越える「別々の強さ」を手に入れてきたのではないか。人生の選択肢が多様な女性が、意志を持ち自由に生きる強さを生み出す。そんな変身により「いくつもの自分」を体験することで、固定化され見られてきた女性の在り方を変えることが出来る、と私は思う。卒論ではそれを「変身」として考察した。


「うさぎ」に宿されたイメージの真意
   ―― 「ギャップ」の中で生きるということ ――
比嘉 昌美

  ディズニー作品や、アニメ、日本や中国の説話中にうさぎはしばしば登場する。しかし、なぜ犬でも猿でもなく、うさぎでなければならないのか?そんな疑問をもち、本論文の題材に「うさぎ」を選択した私は、うさぎに宿されたイメージの真意を探るべく、生態系や文化史、うさぎが登場する物語を研究した結果、うさぎはある「ギャップ」を持っているという点に気が付いた。「可愛らしく愛らしい」という現代のイメージにより差異が生じたうさぎ。この「ギャップ」というのは私たち一人一人にも大きく関わることではないだろうか。144か国中114位。これは、世界経済フォーラムが発表した、経済・教育・健康・政治の4分野における男女格差を総合して割り出したものであるジェンダー・ギャップ指数の日本の順位である。先進国でありながら、男女格差が著しいこの国で、今まさに一人の女性として社会に飛び出す準備をしている私は、今一度この問題について考える必要があると感じた。私たち女性は「可愛らしく愛らしいうさぎ」になってはいけない。あらゆるギャップで作られた「見えない壁」で溢れる現代社会に、立ち向かう力を養うことが重要であると考察した。


『ぐりとぐら』から始まる家庭科
        ―― 共に食べ、共に生きる ――
今井 咲月

 「お料理すること食べること」、これが主人公である野ねずみぐりとぐらの一番好きなことである。絵本を読むと、お料理したり食べたりしたくなってくる。なぜなら子どもが「やってみたい」と思える家庭科のヒントがこの絵本には隠されているからだ。物語でぐりとぐらが料理してかき混ぜているのはたまごだけではない。物語の最後の、カステラを肉食動物と草食動物で分け合って食べている「絵」は、人に例えると人種、性別、年齢の違いを混ぜ合わせながら、多様な人々と共に生きていこうとしている様子だと読み取れる。そんな物語を「読む=食べる」ことも心の栄養源になるのではないか。今の社会では、家族の在り方、人々の生き方が多様化し、様々な人と共に生きる力が必要になっている。また、受け入れがより本格的になった外国籍の人、認知度が高まってきた障がい者、少子高齢化が進む中での子どもや高齢者、こういった人たちと支えあって生きていくための方法も考えなければならない。そんな家庭科の大きなテーマである「共生」の大切さに気づくことができる絵本『ぐりとぐら』をきっかけに、様々な人と共に生きる力を育む家庭科について考察した。


豆から学ぶ「生き方」
     ―― 小さな体に秘めた生き残る力 ――
樫本 沙也

 私は幼いころ、『そらまめくん』シリーズの『そらまめくんのベット』が好きだった。このベットというのは豆のさやの事で、それぞれの豆にぴったり合ったさやがある。豆にとってさやは母体であり外界から身を守る鎧でもある。また、『ジャックと豆の木』では豆のつるは天界と地上の二つの世界を結ぶ役割を果たす。度々、絵本や童話に登場する豆はその多様性と栄養面からずっと昔から人間の生活や歴史に欠かせないものだった。人間の生活を支えてきた豆はその食文化の面だけでなく、メンデルの法則の発見に使用された事から、遺伝子というすべての地球上に存在するものの根源まで明らかにしたのである。本論文では豆に関する絵本や物語からそこの豆が象徴するものを考察し、長い歴史の中でなぜ豆が生き残ってきたのか、その小さな豆に秘められた大きな力について注目した。人が健康に強く関心を持つ現代だからこそ豆の栄養を知り活用すること、人が生きにくさを感じる現代だからこそ豆の歴史から「生き方」を学ぶことが、身近なものに改めてその必要性を感じたり自分自身の人生について考えるきっかけになると考察した。


虫と生きる
 ――『蟲師』から読み解く現代の『沈黙の春』 ――
中野 めるも
 
 私は子どもの頃父と外を探検するのが好きだった。森や野原、小川に行っては野鳥や昆虫、草花や魚を見つけて、父と共有する時間が大切だった。そういった自分の記憶と、かつて読んだ『蟲師』を通して、奇妙で不思議な虫の生態に興味を持った。『蟲師』とは漆原友紀によるファンタジー長編漫画である。本編では、"蟲"と"ヒト"をつなぐ"蟲師"である主人公ギンコが、旅の中で様々なヒトに出会い、それに関わる蟲との問題を、いかに共生へと導くかという物語である。「蟲」とは動物でも植物でもない、微生物や菌類とも違う、もっと命の原生体に近いモノ達として描かれている。私はこの物語を通して、この世界には人知れぬ生命に溢れていることを実感し、『蟲師』が伝えたい蟲と人間の共生とは何なのか知りたいと思った。本研究では、まずは虫の歴史や生態について理解することから始め、自然にある草花が虫を媒介にして生きている構造を見直し、自然の循環の仕組みに注目した。そして、ミツバチの大量死などを踏まえ自然と共生できなくなった私たちの姿を、カーソンの『沈黙の春』を通して考察した。


4つの「ピーター・パン」から見えてくるもの
――なぜ人々はこの不思議な世界観に魅せられるのか?――
竹田 京香

 「ピーター・パン」の作者であるジェームスマシューバリーは、ピーター・パンを登場させる作品を4つも書いていた。年代順にあげると、『小さな白い鳥』、『ピーター・パン』、『ケンジントン公園のピーター・パン』、『ピーター・パンとウェンディ』である。初期のピーター・パンは私たちが知っているピーター・パンとはかけ離れている。そして少しずつ改善の手が作者によって加えられ、今日多くの人々に愛されるピーター・パンが誕生した。たとえば、ミュージカルやディズニーアニメーションで良く知られている物語の基となっているのは『ピーター・パンとウェンディ』である。ディズニーのピーター・パンは、いつも明るくて元気が良く、どんな冒険にも勇敢に挑戦するイメージが強く、そんな自由に生きるピーター・パンに憧れを抱く人も少なくない。そこで本論文では、作者がなぜ、多くのピーター・パン物語を生み出したのか、生み出す度になぜ改善の手を加えたのか、そして作者のバリが人々に伝えたかったことや、現在でも多くの人々に愛される理由を考察した。 


『聲の形』から学ぶコミュニケーションの形
         ――心の凸凹を考える ――
杉 有生

 『聲の形』の主人公・石田将也は、聴覚障害をもつ転校生の西宮硝子を執拗にいじめる。のちに将也は罰としてクラスメイトからいじめを受け孤立して過ごすが、数年後手話を会得し硝子や旧友と再会する。作品には、その後の硝子との出会いにより、失った当たり前の日常、人間関係の再構築、そして人としての内面的な成長が描かれている。一見この物語は「聴覚障害」「いじめ」がテーマのように思えるが、ストーリーが進むにつれ顕わになる話の核は「コミュニケーション」そのものである。作品中で主人公をはじめとする登場人物がうまくコミュニケーションを取ることができないのは何故なのか?全ての人間がうまく生きられるわけではない。人は各々の性格・長所短所、いわば自己の特性の凸凹をもって生きている。皆が異なる心の凸凹の形をしているからこそ人々は衝突し、そこを修復し合うことでまたうまく付き合うこともできてゆくのではないだろうか。本論文では、作品に登場する人物の“心の凸凹”に着目し、著者・大今良時が「聴覚障害」「いじめ」の問題を「コミュニケーション」の形として描いた理由を考察し読み解いた。


ブルーナ作品におけるシンプルの正体
―― 1オランダの価値観が作品に与えてきたもの ――
岡野 亜紀

 国や世代を問わず、60年以上経った今でも愛され続ける「ミッフィー」。本論文は、その作者であるディック・ブルーナが描くシンプルなデザインに着目した。日常を描くブルーナ作品の中には差別や犯罪など社会的な問題を取り上げているものも多くある。彼が描くシンプルな作品にはブルーナ自身の経験が大きく反映されていると同時に、彼の出身国であるオランダという国の価値観もまた大きく反映されていることがわかる。オランダは数多くの移民を受け入れ、大麻の使用や売春、同性婚等他国で受け入れられていないことが受け入れられる「寛容な国」として知られている。ブルーナが通常の子ども向けの絵本では描かれることの少ない差別や犯罪のテーマを取り扱うのは、たとえネガティブな要素であっても私たちの生活に根差した事象を広く伝えたいというブルーナ自身の思いと、オランダの価値観が根底に根付いているからではないか。そして彼が、これらの複雑なテーマを研ぎ澄まされたシンプルな造形で表現したところに注目し、「ミッフィー」というキャラクターが担う役割と、オランダの価値観が作品にもたらす影響を考察した。


エリック・カールと色彩    ――“色を食べる ――
佐藤 礼奈

 エリック・カールの絵本は、世界中で1億1800万冊以上が子供たちの手に渡り、40年以上にわたり子供たちの好奇心を育てている。彼の絵本が長きに渡り世界中の人々に愛されている理由は一体何なのか。そして、エリック・カールの絵本の特徴である豊かな色彩とコラージュという手法にはどんな意味があるのかということをテーマにした。エリック・カールの絵が色鮮やかである理由は、彼の子ども時代が影響している。第二次世界大戦下のドイツでの色の無い生活から、現在はその時の色の飢えを取り戻すかのように色鮮やかな絵を描いていると本人は公言しており、そこから彼にとって色とはどのようなものなのかということを作品の内容から考察し、色は身体と心の栄養であるという見解にたどり着いた。心の面では、色が人の心理や生理的に与える影響について、身体の面では食材の色素、その栄養と効能について調べた。特に「食べること」に焦点を当て、「はらぺこ」なあおむしが色とりどりのものを食べることと、あおむしからさなぎへと変態し、やがて蝶になる意味について考察した。 


『インサイド・ヘッド』から読み解く感情と記憶の世界
    ―― ヨロコビとカナシミの表裏一体の関係性 ――
畑中 春菜

 映画『インサイド・ヘッド』では、ヨロコビ・ビビリ・イカリ・ムカムカという5つの感情がそれぞれライリーという11歳の少女の頭の中でキャラクター化されて存在し、彼女の人生を幸せにするために日々奮闘している。私たちはいつもヨロコビの感情で溢れていたいものだ。では、ヨロコビ以外は不要な感情なのか。ここでは、ヨロコビとそれとは真逆のカナシミの関係性に注目してみた。人の感情はヨロコビの裏にカナシミがあって、カナシミがあるからこそ他者の優しさや温かさを感じることができる。そのように考えると、ヨロコビを生み出すためにはカナシミが必要不可欠でありヨロコビとカナシミは表裏一体の関係性であることに気づかされた。また、人生を支える多くの思い出の中には、記憶に留まるものもあれば消滅してしまうものもある。人は成長し新たな世界を構築するためには、大事にしていた空想や思い出を糧とすることが必要ではないか。本卒論では、原題である『Inside Out』に隠されたメッセージとは何か、遊び心を大切にしたピクサーの社風が映画を制作する上でどのような影響を与えたかについて探求しながら、記憶と感情の世界を考察した。