16期生 卒論要旨集 

 

不思議の国のアリス
  ―― そこから見えてくる絵と言葉の不思議な世界 ――
前田 絢香

 『不思議の国のアリス』は金色に輝く午後の日、リデル家の3姉妹と作者のルイス・キャロルとその友人ダックワースの5人でピクニックにでかけた時にできたお話です。このときの様子は『不思議の国のアリス』の冒頭でキャロルが詩にしています。
 たいくつな現実、気持ちの良い昼下がりから、アリスは時計を持ったうさぎを見つけ、うさぎを追いかけだします。そして、うさぎの穴に落ちていき、現実の常識は何もかもあやふやに揺さぶられ、身につけた常識がたよりないものに変えられていきます。
 ことば遊びにあふれた世界。現実の常識をひっくり返し、意味のないものにしていくことで成り立つ地下の世界。ページをめくって読んでいくととても奇妙な感覚に襲われていきます。なんだか頭の中がスッキリとしていくのです。
 それは、この物語が、現実で使っている言葉の常識をことごとくひっくり返していき、現実との折り合いをつけ生きていくための心のトレーニングを行っているからなのです。


なぜ物語に猫が登場するのか
  ―― 様々な姿に変わる猫のイメージを考える ――
中尾 麻美

 猫はアニメを始め文学作品、漫画、絵本、神話などの多くの作品に登場している。それはなぜか、ということがテーマである。それは人間との関わりから見いだせる。約5千年前の古代エジプトで人と暮らすようになった猫は現代まで人間の側にいる動物である。しかし、人間と猫は同じ世界に暮らしているようでどこか謎めいているというイメージを持たれる。その謎めいたイメージや、猫独特の習性から、猫は神、魔女の手先、化け物であるという姿も生み出されてきた。
 また、猫はネズミを捕る狩人としての姿もある。このように猫は人間も含める様々な異種と関わりがある。そんな猫は、普段は私たちの前で「猫被り」をして可愛さを見せてくれているが、私たちが知らない姿で生きている時もある。私たちが知らない猫の姿はマルチコネクターという役割を持っている猫なのだ。マルチコネクターとしての役割を持ちながら人間の近くにいること、そして人間と異種の両方に属する世界で生きていること、そのことから猫は作品に多く登場しているのだと考えその役割を考察した。



伊豆の踊子における美と醜の世界
             ―― カタルシスを求めて ――
相磯 南香

 『伊豆の踊子』は、日本文学史上初のノーベル賞受賞作家、川端康成の作品であり、私の地元である伊豆を舞台に描かれている。この物語は、清々しい青春小説として位置づけられている場合が多いが、読み返すうちに、様々なメッセージ(貧困、差別、下層階級、芸人、売春など、現代における社会的弱者の問題)を含んでいる作品であるようにも感じた。また、作者の川端康成は、わずか16歳にして天涯孤独となってしまい、心の支えとなってくれる家族の存在や、いつでも帰ることのできるふるさとがない。そんな生い立ちの不幸からくる孤児意識に彼は終世悩まされることとなり、独特の生死観、美意識を反映させた作品を作っていったことが分かる。人間は誰しも美しいものに憧れるが、人々の目に映るのはそればかりではない。真実というのは常に二面性を持つものであり、醜の存在を否定することはできない。物事の本質を捉えるとはそういうことなのだろう。川端作品にはその両方が見事に表現されている。この誰もが知っている日本文学の名作、『伊豆の踊子』がどのような人物によって書かれ、私たちに何を伝えようとしたのか。改めて考察した。



パペットアニメーションが生み出す世界
―― なぜ、「コラライン」はパペットにこだわるのか ――

高田 佳依


 パペットアニメーションとは、古くから続く人形アニメーションの制作方法である。さまざまなアニメーションの制作方法がある中で、このパペットアニメーションが長く愛される魅力、必要性について調べた。パペットアニメーションは、古くから、低予算・少人数で作成できるアニメーションとして多くの国で親しまれてきた。しかし、3DCGアニメーション等のアニメーションの制作技術の発達により、パペットアニメーションの必要性は変化していった。現代のアニメーションの制作方法の中でも、リアリティを求めない自由な素材感や質感、パペットの身体的誇張など、世界観の中での自由な表現法がパペットアニメーションの特徴だ。そして、そこから生まれるパペットの個性、キャラクターの生き生き感は他のアニメーションには真似できないものである。そして、完成されたパペットの世界のようで、どことない不完全感は、制作方法から生じるパペットの動き方や、寄せ集め感、バラバラ感からである。その不完全感は、私達の人間の現実の世界と似ていて、親しみやリアリティ、愛着を持たせる。それこそ、パペットアニメーションの世界の魅力といえる。



オオカミは本当に悪者?
    ―― 絵本の中のオオカミが今、訴えかけること ――
近藤 三恵

 オオカミは本当に悪者なのか、実はそれは私たちの思い込みなのか。絵本『あらしのよるに』に出会い生まれたこの疑問を、絵本の中のオオカミを比較したり、オオカミと人との歴史をさかのぼり、明らかにする。そして、絵本の中のオオカミが今、私たちに訴えかけていることを読み解く。
 昔、オオカミと人はうまく共存し、近い存在であった。強くて賢いオオカミを人々は崇拝し、神と称えた。しかし、人間に餌を奪われたオオカミは、家畜を襲うようになり、残虐でずる賢い生き物として認識されるようになる。キリスト教でもオオカミの悪魔化が進められ『赤ずきん』に登場するような恐ろしいオオカミ像が作りあげられた。
 しかし、今日、絵本の中のオオカミ像は原点回帰しようとしている。強く、愛情深い本来のオオカミの姿である。そして、いじめが社会問題になり、友情に難しさを感じる今日、絵本の中のオオカミが大きな力を貸してくれているように感じる。悪者のイメージが強くなってしまったが、実は優しい、持ち味豊かなオオカミがどこか私たちに似ていて『あらしのよるに』を含め、オオカミが登場する絵本が、再び私たちの心に響くものになってきている。



シンデレラ物語と靴
   ―― 靴の持つ力と変わりゆくプリンセス像 ――
金子 友理子

 誰もが知っているであろう「シンデレラ」という物語。全く知らないという人はまずいない。ディズニーランドにはシンデレラ城があり、ガラスの靴は女性なら一度は欲しいと思ったことがあるものだと思う。これほど有名になった「シンデレラ」の魅力はどこにあるのだろうか。まず、バジーレからペロー、グリムへと続くシンデレラ物語の歴史をたどった。長い歴史の中で、この物語は映像化もされ、ディズニーのアニメや実写映画となり、さらに広く知れ渡った。苦しい生活ながらも諦めずに懸命に暮らし、真っすぐに生きたシンデレラの話はいつの時代でもどこの国でも愛される存在である。そして、そこに綺麗なガラスの靴が登場し、最後には王子様と結婚するという女心をくすぐるストーリー。それだけで、人々を惹きつけるには十分かもしれない。しかし、この物語にはもっと深い魅力があった。シンデレラと王子様を繋いだとも言えるガラスの靴。非常に重要な役割を持つアイテムである靴にも着目した。
 また、現代女性の幸せとは何なのか。新しいシンデレラ物語にも目を向けて考察した。



ファンタジーの持つ未来志向
    ―― ミヒャエル・エンデの問いかけから ――
藤田 佳奈栄

 幼い頃、私はとても本好きの子供だった。ファンタジー作品が大好きで色々読み漁ったが、中でも『はてしない物語』に衝撃を受けた。作者はドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデで、他にも『モモ』『ジム・ボタン』など多くの作品を世に送っている。エンデの置かれた環境とシュールレアリスム思想を通じて、彼がどのような思いでこれらの作品を作ったかを探ってみた。また、そこからファンタジーは夢見がちな現実逃避ではなく、未来を見据えるための通過点と定義した。他のファンタジー作品やダークファンタジーを取り上げて見てみると、それらは非常に未来志向であり、「将来」「死」というものを見越して予告してくれているものだと分かった。そして、上記で考えたことをふまえてエンデ作品に触れてみると、精神的活動の内的世界と物質主義の外的世界とを繋げる重要な役割を果たしているものがファンタジーだと考えられた。ファンタジーは空想から精神活動を上昇させ、豊かな人格形成と自己実現を叶えるものである。ファンタジーと現実世界のバランスを取りながら豊かな生活を送ることが、エンデの願いであり私たちに求められていることなのだ。



「いのち」に出会う絵本
     ―― 絵本が伝える死と再生のおくりもの ――
安積 真理

 死の理解は、宗教・哲学・文化によって様々に考えられているが、人はずっと魂の永遠性を求めており、絵本でも死はいのちの繋がりを感じさせるように描かれている。生きているものならどんなものでも死が存在するが、人だけは植物や動物と違って心を持っているので、自分の意思で死後も何かを残すことができる。それは残された人にとって生きる力になるおくりものとなるのだ。このおくりものは後の生活のために残す物や、形のない知恵・生き様・誇り・思い出など、人によって様々あるだろう。そのおくりものに加え、時間や新たな出会いが、人を悲しみから再生させてくれる。しかし悲しみに留まっている時期も必要な時間である。故人の面影にとらわれないように自分の中の故人をストップさせ、死を受け入れることができれば、また自分自身の人生を生きていける。
 現代社会では、核家族化や管理社会、ネット社会の影響で、死が身近でなくなり、いのちの重みや、別れのあり方の理解が変化してきている。そんな現代人にとって「いのち」を描いた絵本は、死を疑似体験させてくれるものであり、人と人との繋がりや今という時間の大切さにも気付かせてくれる。



不思議の町が教えること
    
  ―― 「千と千尋の神隠し」の仕組みを通して ――
藤吉 夏来

 私は初めて「千と千尋の神隠し」を見たとき、個性豊かなキャラクターや色彩、テンポの良いストーリー展開に吸い込まれ、心を躍らされた。このように、私が魅了された「千と千尋の神隠し」について研究し、作品の仕組みを探り、作品が持つメッセージ性を明らかにした。そして印象に残った八百万の神様、「赤」の効果、世間に出ること、働くことについて考えを深めていった。作品には、ファンタジーではあるが、あり得なくはない異世界が持つ不思議なリアリティーがあった。確かにトンネルの向こうはファンタジーの世界ではあったが、千尋が千となって体験する出来事は、物理的・心理的な体験としてリアリティーに溢れていた。ファンタジーとして異世界を描いているが、あの世界はまさに「現実」そのものなのであった。不思議の町は、異世界を通して日本の民俗的空間の豊かさを再認識させてくれた。また、10歳の女の子が初めて親の離れたところで世間に出て、周囲の状況に対応する力、すなわち生きる力を自らの中に見つける物語にもなっていた。



パンチャタントラ物語 
インド 世界最古の子どものための寓話集から伝えられてきた知恵
伊奈 遥香

 『パンチャタントラ』とは、インドに伝わる世界最古の動物が出てくる、子どものための寓話集であり、その中から読み取れる、子どもに伝えたい知恵を研究した。1章では『パンチャタントラ』の誕生から、世界への広がりを紹介し、2章では『パンチャタントラ』の紹介と解説として、3つの物語を例に挙げた。そして3章では、それらの知恵をもう一度振り返り、『パンチャタントラ』が子どもに伝えていきたい知恵の根本は何かを探った。そこから見えてきたものは「異種との交わり」である。生きていく中で、さまざまな人と関わっていかなければ私たちは生きていけないが、その関わりの中で、うまくいく面もうまくいかない面も両方がある。いくら全てがうまくいっているかのように思えても、一人一人の本質や生き方はさまざまなのだから、100%うまくゆくことはない。そんな、うまくゆく面とうまくゆかない面を自分の中で理解することで、たくましく生きていく知恵を、『パンチャタントラ』は動物とのやりとりを通じて教えてくれている。