15期生 卒論要旨集 

 

20世紀ガンダムと21世紀ガンダムの比較
     ―― 新しい視聴者層と女性 ―― 
高橋 ひろみ

 1979年に第一作目である【機動戦士ガンダム】が放映されて以来、2009年で生誕30周年を迎え今もなお根強い人気を誇り、現在に至るまで新作のテレビシリーズが放映されている他、映画やOVA、ゲーム、小説、漫画、ガンダムを模したプラモデル、通称ガンプラが発売される等、幅広くメディア展開されているガンダムシリーズを題材に選び、20世紀最初のガンダム【機動戦士ガンダム】と21世紀最初のガンダム【機動戦士ガンダムSEED】の比較を行った。【機動戦士ガンダムSEED】は、21世紀のファーストガンダムであり、ネオスタンダードを作る目的として制作され、意図的に【機動戦士ガンダム】のオマージュとアンチテーゼが同時に行われている作品である。これにより、時代の流れから社会背景の移り変わり、アニメーション業界の地位や動きを視野に入れつつ、21世紀ガンダムにより確立された新しい視聴者層による視聴者層の世代交代、それらに影響された結末や価値観の相違、演出方法の違い、そして確かな視聴者であり顧客と変貌している女性視聴者層形成について明らかとし、ガンダムシリーズの発展と変遷にせまる。 


少年ジャンプの挑戦
     ―― 女性読者が求めるもの ―― 
山口 麻里子

 私の部屋には小さなころから少年漫画が多くあった。「ドラゴンボール」「ONEPIECE」「幽遊白書」誰もが一度はよんだことがある作品。その老若男女問わず愛され続けている作品は皆「少年ジャンプ」の作品である。なぜ少年ジャンプはみなに愛され続ける作品をうみだせるのか。その秘密はジャンプのコンセプトである「友情」「努力」「勝利」に秘密があった。この言葉は小学生が、心あたたまる言葉、大切におもう言葉、嬉しい言葉にあげた言葉である。この言葉は小学生が答えたのにも関わらず老若男女にウケた。そんなジャンプを支えてきている読者を研究していくとそのなかに「腐女子」とよばれる人たちがいた。彼女たちは、少年ジャンプのキャラクターをつかい、ホモセクシャルの漫画を二次創作していた。彼女たちの目線になってジャンプを読むとそこには違った楽しみ方があった。オタクは自分とは関係ないと非難するのではなく、実は誰もが共感できるところがあるのではないか。オタクの目線でジャンプを読んでほしいとおもい今回は研究をしてみた。そして、650万部の発行部数を誇るジャンプの偉大さに改めて気づいた。


『リボンの騎士』の女性たち
      ―― サファイアの男女二面性についての考察 ――
岡田 沙奈子

 私は今回、日本初の長編ストーリー性少女マンガとして、今日の少女マンガのルーツとして高く評価されている、手塚治虫氏の「リボンの騎士」を卒業論文で取りあげた。主人公のサファイヤは女の子でありながら男の子の心の両方の性を併せ持つキャラクターなのだが、物語を読み進めていくうちにサファイヤが男なのか女なのか混乱していき、違和感を感じた。それが逆に「リボンの騎士」という作品の奥深さを知りたくなった。男としてのサファイヤ、女としてのサファイヤの作中での描かれ方を分析、比較し、また宝塚の男役との関係性、その他の脇役女性キャラクターが作品にどのような影響を及ぼしたのかということを考察し、理解が深まったことで自分の中であやふやだったことが解決できた。また、女性であったとしても、時として、男サファイヤのように「強く、たくましい」姿に変身することはあり、身体的な変化ではない、一時的な心の変化が自分自身にもあるという共通点を見つけ、今まで考えたこともなかった「自身の二面性」に気付くことが出来た。


映画『スカイ・クロラ〜The Sky Crawlers〜』からみる生と死
    ―― 押井守が込めた我々へのメッセージとは ――

三浦 あゆみ


 「もう一度、生まれてきたいと思う?」強烈なインパクトを受けた、2008年公開の映画『スカイ・クロラ~The sky Crawlers~』。思春期の姿のまま成長を止め、寿命では死ぬことのないキルドレ。彼らが生きるのは「ショーとしての戦争」が行われる世界。戦死以外では死ねない、永遠の生を生きなければならないキルドレたちは、その繰り返される毎日に生きる気力を失う者もいる。その姿は、社会に明るい未来を見い出せない現代の若者に似ている。また、ビジネスとして戦争をつくり、顔も知らない相手と殺し合い、互いに競争する世界は、現代社会にも存在している。いまの日本には昔のような戦争はないが、各々ライバル社との競合は熱をおび、激しい旋風が巻き起こっている。それはまさに現代版の戦争といえるだろう。そのような社会では、私たちはキルドレとして戦うことを余儀なくされているのだ。押井守さんはこの作品を映画化するにあたり、いまを生きる若者に伝えたいことがあると言う。スカイクロラの世界と現代の日本、キルドレと私たち現代人との共通点をそれぞれ見つけ、押井さんが伝えようとしたメッセージを読み解く。


原作から読む『風の谷のナウシカ』
        ―― 「自然の秘密」の解明 ――
平田 綾子


 風の谷ナウシカは映画と原作とが大きく違う。映画は原作の序盤部分が編集され終わらされているのだ。そこで第1章では,この双方を分析しながら登場してくる、さまざまな存在の役割の違いや設定を比較していく。ナウシカは原作の作品の中であるきっかけから大きく成長・変化していく。というのは、映画で見せる「心の優しい少女ナウシカ」から「強く積極的な少女ナウシカ」へと成長していくのだ。そこには、「仮死と成長」も関係している。その変化の中で「ナウシカ」という人物を理解した上で,2章では作品でナウシカを手掛けるにあたって宮崎駿が影響を受けた人物を2人。「虫愛ずる姫君」「女王ナウシカア」という少女たちを紹介しながらナウシカとの共通点や相違点を探し出す。そして最後に3章では作品での自然の仕組み「腐海」や「粘菌」について紹介していき,そういった自然を理解していきながら,戦争と自然との違いを述べる。そして作品の中で,人類で唯一ナウシカしか知ることの出来なかった「自然の秘密」を解明していく。この「自然の秘密」がナウシカの変化のきっかけである。



『美女と野獣』の物語
 ―― なぜ時代を越えて『美女と野獣』が愛されるのか ――
鍵谷 悠子

 私は劇団四季の『美女と野獣』を見に行ったことがきっかけでこのテーマに決定した。私は特になぜ『美女と野獣』は時代も国も越えて様々な人々に愛されているのかを調べた。『美女と野獣』は異類婚姻譚という悦話の一つであり、その物語は日本を含め世界各地に存在している。それは古代から世界各地に存在しており、西欧にも『エロスとプシュケー』など直接『美女と野獣』の前身となった物語がある。初めて書物に記されてから、多くの作家たちが様々な形で『美女と野獣』を残していった。その中でも最も有名なものがボーモン夫人の『美女と野獣』だ。本文ではこの版を中心にその他の版や映画やアニメーション、ミュージカルとの比較を行っている。それらを調べていくうちに『美女と野獣』は時代、作家によって本筋は同じでもあらゆる設定を変えてあることが分かった。結果、『美女と野獣』が時代を超えて人々に愛されるのは物語が本筋はそのままに時代に合わせて細かな変更を加えることが可能な物語だからだということが分かった。だから私たちは『美女と野獣』を古い物語だと感じることなく新鮮な気持ちで楽しめるのである。


世界をつなぐ『アラビアンナイト』
       ―― アラブ世界へと通じる壮大な物語 ――
加藤 志保

 アラビアンナイトはアラブ世界で語られ、育ってきた壮大な物語集である。ヨーロッパで再発見され、好色文学として、また、児童文学として世界中の人々に愛されてきた。多くの謎に包まれ、人々を魅惑的で不思議な世界へと導いてくれる物語にはどのような魅力が詰まっているのだろうか。本論では、アラビアンナイトの謎を探り、世界での受容の違いや、物語から読み取れるアラブ世界の日常について考察した。現在のアラブ世界は、戦争やテロ、紛争などから、マイナスイメージが先行している。しかし、アラビアンナイトの核となる物語が生まれた9世紀のアラブ地域は、世界の中心であった。アラビアンナイトの物語からは、その当時の人々の生活や文化、知恵、希望…本当に様々なことが読み取れる。そこに描かれていることは、現在のアラブに暮らす人々の生活や文化にも繋がっている。アラビアンナイトを“物語”としてだけではなく、“アラブの文化を理解するための資料”として読むことで、多くのことが見えてきた。魅惑溢れるアラビアンナイトは地域や文化、時代を超えて、この先も語り継がれていく“世界をつなぐ”物語集でありつづけることだろう。


東京ディズニーランドの人気の秘密
  ―― 夢の国実現にむけてのサービスの考察 ――
木村 更紗

 現代の日本では、不況などにより各地のテーマパークが休園、倒産に追い込まれている。しかし、その中でも東京ディズニーランドは圧倒的人気を維持し続け、現在、日本のテーマパーク産業の中でも一人勝ちをしている。それは、日本で人気のテーマパークといえば、ほとんどの人が東京ディズニーランドと答えるほどであろう。これは、東京ディズニーランドが考える「すべての場所で、すべての年代の人がしあわせになる夢の国」であり続けるために力を惜しまないからだと考える。そこで、「サービス」「キャスト」「セット」の3つの点から東京ディズニーランドの魅力に迫り、長年続く人気の理由を考察する。そこでは、ゲスト第一に考えるディズニーランドがキャストも同様に重要視し、完璧なキャスト、もてなしを実現させていることや、ゲストが気づかないところまで気を配り、すべての場所に工夫を凝らしていること、徹底されたサービスマニュアルの存在と、時代によって様々に発生する問題への取り組みの姿勢などの、数え切れない様々な努力や工夫の存在が、このような東京ディズニーランド独自のサービスが開園以来続く人気を形成したのだと考える。


中川李枝子の絵本の世界
    
    ――「ちびくろサンボ」から宮崎駿へ ――
森田 紋加

 私が中川李枝子の世界をテーマにしたのは、幼い頃に彼女の絵本が大好きで何度も何度も読んでいたことがきっかけである。子どもだけでなく、大人も楽しめる彼女の世界が持つ魅力について知りたいと思い、テーマにした。中川李枝子は、札幌市出身の児童文化作家である。彼女は保母学院を卒業後、保育園に就職した。この経験が、彼女の作品に大きな影響を与えている。園児が一人も休まず、毎日保育園に来るようにするために「紙芝居」や「絵本」を用意したところ、子どもたちは紙芝居や絵本が始まると、何をやっていてもとんで来て静かに座り、目を輝かせていたようである。中でも『ちびくろサンボ』が子どもたちに人気があった。この絵本に出てくるホットケーキをヒントに誕生したのが『ぐりとぐら』である。また、宮崎駿も中川李枝子の作品のファンであり、『そらいろのたね』と『くじらとり』をアニメ化している。中川李枝子の作品は日常が題材になっているが、同時に非日常的な要素も入っている。この2つのバランスが絶妙だからこそ、子どもから大人まで彼女の世界を楽しめるのだと思う。


テディベアの世界 
    ――「移行対象」としてのぬいぐるみを考える――
鈴木 夕夏

 100年以上もの歴史があるテディベア。子どもから大人まで幅広い層の人々に人気があり、誰しもが一度は手にとって見たことのあるぬいぐるみではないだろうか。私は生まれた時と同じ重さのテディベアをプレゼントされ、今でも大切に飾っているのだが、それがきっかけとなりテディベアの歴史について調べてみると、テディベアは私たちが思っているより大変奥深いものであった。そのテディベアはぬいぐるみとしてではなく、他にもたくさんの場所で活躍している。ニューヨークでの同時多発テロの被災者を励ますために、テディベアが贈られ、“癒し”を届けた。しかしクマといえば凶暴で恐ろしい動物であり、ぬいぐるみとしての要素は全くない。その凶暴なクマをモチーフにしたぬいぐるみがなぜ人気があり、人々に“癒し”を与えることができるのかについて研究した。またそれと同時に子どもとぬいぐるみの関係性についても考える。子どもがぬいぐるみや毛布に特別の愛着をよせる姿をよく目にするだろう。このぬいぐるみや毛布のことを移行対象といい、その働きや、また移行対象の代表的な例としてあげられる『クマのプーさん』についても研究した。


『ジャングル大帝レオ』に学ぶ「共存」と「共存のしにくさ」
       ――現代に生きる者との関係性――

市川 祐莉子

 『ジャングル大帝』は60年も前に描かれた手塚治虫の初期の最も有名な作品である。ディズニー映画『ライオンキング』の元ともされている。ジャングルを舞台に数々の動物が出てくる子ども向けのストーリーのように現在では語られているが、作品の持つテーマには現代にも通じる深刻な問題が描かれていた。60年の間に幾度と書き直され、その都度批評されてきた。書き直された理由の1つに黒人描写問題があった。そこから二次元世界と現実世界は違うものかについて考え、異質なもの同士の共存の難しさを感じた。私たちが生きる現代社会は争いと競争ばかりの、まさに多種多様のものが集まるジャングルであると感じる。異質なもの同士はわかり合えないのか?異質はジャングルでは生きていけないのか?動物と人間、動物同士、人間同士の間には絶えず衝突がつき物である。異質なものが互いに理解し、想像し、認め合える関係性を、レオが実践した自らの肉や皮を人間に提供することや食堂づくり、人工肉造りなどのお手本を元に、二次元世界と現実世界のいのちも考えながら手塚治虫生誕80周年の今年『ジャングル大帝レオ』から『共存』を考察した。


『クレヨンしんちゃん』の存在
    ――批判から国民的キャラクターへの変化――
嶋田 衣里

 生意気でいたずら好きな5歳の幼稚園児、野原しんのすけを主人公にした漫画『クレヨンしんちゃん』。何気ない日常生活をテーマにしながらもそこから発見できる面白さと感動に私は見るたびに温かい気持ちや元気をもらえる。しかし、世間的には「子どもに見せたくない」「教育に悪い」という批判的な意見が多くあり、漫画もアニメも長年続き人気アニメの1つとなってはいるもののあまり評価は高くはない。だが近年、少しずつではあるが評価が上がってきている。それは大人も魅了した映画や、アニメ・漫画を見るたびに感じることができる野原一家の家族愛、そして主人公しんのすけの純粋で自由な性格のゆえに人々の心の中にある本質に気づかせることができる存在に世間が共感する部分がでてきてからではないだろうか。本論では、『クレヨンしんちゃん』の存在を明確にし、また一人ひとりのキャラクターに焦点を当て役割や関係性の中で「笑い」だけでは表現しきれない野原一家の本当の家族愛を基盤にし、批判を浴びながらも高視聴率番組で今も人気番組になっているのかを映画作品などから研究した。


『じゃりン子チエ』のユーモア 
     ――高度経済成長期の世相から振り返る――
高山 千恵

 私が中川李枝子の世界をテーマにしたのは、幼い頃に彼女の絵本が大好きで何度も何度も読んでいたことがきっかけである。子どもだけでなく、大人も楽しめる彼女の世界が持つ魅力について知りたいと思い、テーマにした。中川李枝子は、札幌市出身の児童文化作家である。彼女は保母学院を卒業後、保育園に就職した。この経験が、彼女の作品に大きな影響を与えている。園児が一人も休まず、毎日保育園に来るようにするために「紙芝居」や「絵本」を用意したところ、子どもたちは紙芝居や絵本が始まると、何をやっていてもとんで来て静かに座り、目を輝かせていたようである。中でも『ちびくろサンボ』が子どもたちに人気があった。この絵本に出てくるホットケーキをヒントに誕生したのが『ぐりとぐら』である。また、宮崎駿も中川李枝子の作品のファンであり、『そらいろのたね』と『くじらとり』をアニメ化している。中川李枝子の作品は日常が題材になっているが、同時に非日常的な要素も入っている。この2つのバランスが絶妙だからこそ、子どもから大人まで彼女の世界を楽しめるのだと思う。