14期生 卒論要旨集 

 

『赤いろうそくと人魚』
     ―― 美しく、怖く、悲しい物語を読み解く ――
宮本 寛子

 幼い頃に読んだ『赤いろうそくと人魚』の物語は、恐怖を感じながらも悲しみを覚えた。そして大学に入りもう一度読み直してみると、また違った怖さと悲しさ、そして美しさが見えてきた。心奪われる物語だった。読む者の心を惹きつけ何十年も読まれ続ける魅力は何なのか。『赤いろうそくと人魚』に存在する多くの謎を解き明かしながら、考察してみた。作品全体や登場人物を分析し、作者小川未明のイメージする人魚の存在とは、ろうそくとは、赤の意味は、などを未明の経験を踏まえながら考えてみた。そして、最後の町が亡びるという恐ろしい結末について未明研究者の意見を見つつ、私なりに理由を探るとともに、町を亡ぼした犯人を割り出してみた。また、作品から見える現代社会に通じるものを考え、宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』や、尾田栄一郎の描く『ワンピース』からも『赤いろうそくと人魚』を見つめた。未明はなぜ『赤いろうそくと人魚』という、童話とは思えない怖く、そして美しい物語を作ったのか、私たちはなぜこの物語に惹かれてしまうのか。様々な視点から物語を読み解き『赤いろうそくと人魚』の魅力と秘密に迫った。
 


『墓場鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』へ
     ―― 水木しげるの不思議な世界 ―― 
喜田 暁子

 『墓場鬼太郎』で水木しげるは私たちにどのようなメッセージを投げかけているのだろうか。この『墓場鬼太郎』から「ゲゲゲの鬼太郎」への変化を研究すると、作品の時代背景・当時の水木しげるの心境・体験が漫画の中に描かれていることが分かる。特に『墓場鬼太郎』は「ゲゲゲの鬼太郎」になるまでの大切な基盤であり、水木しげるを支えた人たちなしでは現在の「ゲゲゲの鬼太郎」は誕生しなかったであろう。今回、私はその『墓場鬼太郎』について研究することにした。『墓場鬼太郎』は昭和30年代の苦しい時代に誕生した漫画だ。この当時の水木しげるは、いくら働いても決して幸福になれないという状況であった。この理不尽な思いを彼は『墓場鬼太郎』に託している。紙芝居時代の墓場鬼太郎では女の苦しみを表し、貸本時代では、恐怖を主体としたホラー漫画から徐々に怪奇漫画の姿を借りた社会風刺の漫画へと変貌させていく。この経過を遂げ、「正義の鬼太郎」も誕生していくのである。どの時代を生きた鬼太郎にも「あの世とは」「幸福とは」についての問いかけがあり、そういうものと背中合わせの「妖怪」について興味のつきない追究がある。


『白雪姫』の真相を追う
                ―― 読み解く作品の歴史 ――
西村 彩


 何百年も昔に広められた物語であるにも関わらず、現代でも世界中で愛される「白雪姫」。この物語の中に、一体いくつの謎が隠されているのだろうか。幼い頃、よく母に読み聞かせてもらったこの物語を、今もう一度読み返してみると、グリム兄弟の「白雪姫」は何度も変更を加えられていたことがわかり、研究の中でそれぞれの物語を比較することによって新しい発見があった。またその中で、小人とはどのような存在だったのか、鏡とは何なのか、なぜ『白雪姫』というタイトルなのか、白人の女の子が主人公とはどういうことかなど、子どもの頃には考えもしなかった“不思議”がそこにはあった。これこそ、この「白雪姫」が世界中で愛されている理由ではないだろうか。近年、この「白雪姫」をどこかの地域に当てはめたり、近代的な考えに縛りつけようとする試みがされているようだ。しかし、私はこの物語をそのようなものに直接結び付けることはできないと考える。この物語は現実にあった出来事を含み、常に新しい要素を入れて語られ、今では100以上もの「白雪姫」が存在するという。そんなふうに、世界中で愛される「白雪姫」の魅力について研究した。



レゴブロックの魅力
      ―― イメージの「組み立て」と「崩し」――

月ヶ洞 千絵


 私が小さい頃に夢中で遊んだレゴブロックは現在も広く親しまれ、玩具としてだけでなくアートにまで発展している。子どもだけでなく大人をも夢中にさせるレゴにはどんな魅力が詰まっているのだろうか。ブロック遊びとは木やプラスチックで出来た棒、板、車などを組み合わせて自由に色々な形を作って楽しむ遊びであり、積み木もそれに含まれる。そもそも玩具とは何か、その定義を踏まえて、レゴの原点となる積み木やその他の組み立て玩具と比較しながらその魅力について追究した。パーツの組合せ方、遊び方、教育性、安全性などを知り、レゴブロックが玩具の定義にどれだけあてはまるのか、積み木からどのような進化を経て来たのか、他の玩具にはない魅力とは何か、などについて私なりの結論を出した。そこには「組み立て」と「崩し」の繰り返しによる無限の可能性が見えてきた。子どもにとってのレゴ、大人にとってのレゴ、そしてこれからのレゴはどのような発展を見せていくのだろうか。



女流漫画家長谷川町子とサザエさんの挑戦
        ―― 時代を超えた人気の秘密 ――
松井 香里


 時代を超えて愛されてきた『サザエさん』。『サザエさん』を知らない国民はいないと言っても過言ではないだろう。では、なぜほのぼのとした日常生活を描く家庭漫画である『サザエさん』がこんなにも愛されてきたのだろうか。みなさんにも馴染みがあるのは、現在も放送されているアニメ『サザエさん』であろう。アニメにも面白さがあるのだが、4コマ漫画である原作にも、作者:長谷川町子なりの大きな魅力がある。私は、原作にこそ本当の『サザエさん』の魅力が詰まっていると思う。長谷川町子という女性からの目で捉えた、独特な面白さがあるのだ。本論では、原作の魅力を中心に考えた。おっちょこちょいな性格であるが、様々な境界線を行き来するトリックスターのような一面も持つサザエさん。そんなサザエさんによって繰り広げられる日常生活の中に、家庭漫画の面白さ・笑いが生じる。その他にも、家族構成やサザエさんが果たす役割、『サザエさん』というタイトル等に面白さが詰まっている。長谷川町子の生い立ちや、どんな人物だったのかについて触れながら、『サザエさん』が時代を超えて人気を得てきた秘密について研究した。



ジブリが描く魔法とは何か?
      ―― 日常に溢れる魔法を考える ――
白尾 佳奈子

 物心付いた頃から、私の周りにはアニメーションを初め、様々な映像作品が溢れていた。多くの作品から影響を受けた私だが、繰り返し、繰り返し何度も見た作品がどれも宮崎駿監督の作品だと知った時の衝撃は今でも忘れられない。作品毎にテーマや舞台は違っても、ジブリ独特の世界観や雰囲気はどこか統一感があるように感じる。ジブリ作品に対する依存度が激しかった私は、大学入学当初から、ジブリ作品のそんな不思議な魅力や力などジブリ作品に纏わる何かを卒論として取り扱いたいと思っていた。試行錯誤の末たどり着いたものが「魔法」だった。ファンタジー作品の要素をふんだんに取り入れながら、他の多くのアニメーション作品とは違う匂いを放つジブリ作品。それは描かれている魔法に秘密があるのではないか?この疑問を元に、ジブリが描く独特の魔法のエッセンスを、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」の五作品を中心に読み解いていった。



『なめとこ山の熊』の食と死
         ―― 熊と人との境界線を考える ――
淀谷 真弓

 『なめとこ山の熊』は宮沢賢治が書いた、人間が生活のために熊を撃つ物語である。数ある賢治の作品の中でも、「食」と「死」に同時に向き合ったものは、『なめとこ山の熊』のみであると言われている。童話とされながら、子どもに読まれることが少ないこの作品を通し「食」と「死」の循環について考えた。本来、熊と人間は「食べる」「食べられる」の関係であるため、分かり合えるとは言い難い。しかし、この物語では想像力と会話の力を通し、お互いの思いを理解し合っている。本来理解し合えない者同士が「理解し合う」不思議な関係で成り立つ『なめとこ山の熊』の全体像と登場人物の関係を分析し、物語と現実それぞれの世界と、物語と現実が融合されてできる賢治独特の世界観について迫った。そして、なぜ、賢治が熊の肉を食べるシーンを書かなかったのかについて、理由と賢治の苦悩を探った。賢治が何を思いこの物語を作ったかを追究し、また、現代社会における人間の「食」が持つ不思議、抱える問題・矛盾について考えた。そしてそこから、生き物の「死」を取り込んで生きている私たちの生活で、お互いさまとして正当化している関係を見つめ直した。



続け!江戸の心、再認識!!
         
――江戸流・無駄のない循環型社会 ――
水沼 亮子

 卒業論文では、人間として生きることの真の「豊かさ」について考えた。方法としては、現代日本人の原点で有り得る江戸時代を振り返り、江戸時代に生きた人々の暮らしの技と精神をみつめ、そこにヒントを探ろうとした。現代日本を象徴するキーワードを挙げれば、第一に、輸入輸出依存国。第二に里山の崩壊。第三に「ほど」を知らない暮らしだ。一方、江戸時代について、現代日本に対立する3つのキーワードを挙げるとすれば、第一が鎖国、第二に日本の農村風景、第三は「足ることを知る」庶民の暮らしだろう。卒論ではこの現代と江戸の3つのキーワードを軸に、章立てをし、比較した。江戸時代を取り扱う上での留意点は、「暗く、停滞した時代」ではなく、「躍動感にあふれる明るい時代」であったとし、固定的な歴史の見方にこだわるのではなく、国内が大きく循環する「江戸」というものを捉え、考察することだった。このように江戸時代を位置づけて、そこから江戸時代の循環型社会と言われる仕組みに注目し、自国に息吹く自然の恵みの中で営まれた人々の暮らしに対する意識を再認識することで、江戸流の「豊かさ」とは何かを導き出すことに力をそそいだ。



『犬夜叉』の世界
    
     ―― 高橋留美子さんの描く「半妖」――
小竹 晴奈


 私は週刊少年サンデーにて連載していた高橋留美子さんの作品『犬夜叉』に登場する“半妖”の存在に興味を持ち、卒業論文を作成した。半妖とは人間と妖怪のあいの子(間の子)のことである。“半妖”は妖怪からは下等に、人間からは妖怪の仲間として見られるため、非常に生きにくい立場にあり、物語の中でも度々その苦しみが描かれている。“半妖”とは何か、そして半分の状態は何を意味するのか。また、半妖を物語の中だけの存在ではなく、現代において考えた時に、半分という状態はどのような影響をもたらすのかを考えた。私たちは過去から現在へ、そして現在から未来へ、一日の中で、人生の中で、様々に変化しながら生きている。自身で実感する変身もあれば、いつの間にか変身していたということもあるかもしれない。特に女性はあらゆる点から、男性以上に“半妖化”を迫られたのではないかと思い、変身せざるを得なかった女性が身につけた術についても考えた。私が『犬夜叉』を読んで“半妖”という存在に引かれたのは、私自身が“半妖”に何か近いものを感じたからなのかもしれない。考察することで、私自身の発見にも繋げていくことができた。



アンデルセンの『人魚姫』・悲しい恋の物語
       
――人魚姫はほんとうに不幸だったのか ――
東 由依

 人魚姫はほんとうに不幸だったのか?私はそうは思わない。アンデルセンの不朽の名作、『人魚姫』は人魚の儚い恋と犠牲愛を描いた切ない恋の物語である。自分の命を顧みず王子の命を優先し、誰にも気付かれることなく海の底へと沈み、泡になった人魚姫を周囲は不幸だったと言うだろう。しかし人魚姫が泡になった後、空気の精と共に300年のつとめを果たす旅に出たことはあまり知られていない事実である。そしてそのつとめを無事終えれば、不死の魂が得られるというのである。実は彼女には王子の愛とは別に、もうひとつの欲望があった。不死の魂を得るという欲望である。人魚姫は悲しい恋をした。たった一人、日が沈む海へと飛び込んだ。魔女との約束を果たせなかったことで、人魚姫は肉体的な死を迎えたのである。肉体を失い、王子の愛を手に入れられなかったが、人魚姫の願いはほんとうに叶わなかったのだろうか?彼女に与えられた結末はほんとうに悲しいものだったのか追究してみた。また、ディズニーアニメ『リトルマーメイド』と比較し、アンデルセンとディズニー、それぞれが描く『人魚姫』について考えてみた。