自著 


 初期心的現象の世界   (大和書房 ・ 1981年6月10日)
 
  概要・・・ 心の発生を、類的な構造(融合の世界)と主観的な構造(区別の世界)の二重構造においてとらえ、その初期形態としての子どもの世界を、心的現象の変容と発達の過程として総体的に分析した論考。従来の乳幼児期における個人の成長の観察を中心にして得られる子どもの見方ではなく、「類としての心」と「個人としての心」の統一構造の中に見えてくる新しい子ども像を追求した。「初期とは何か」「年齢とは何か」「二語文の獲得とは何か」自己像の形成とは何か」などの主題も論じる。

理解のおくれの本質    (大和書房 ・ 1983年4月10日)

   概要・・・ 心身障害・知的障害という病理学の視点から追求されるばかりの「知恵遅れ」の主題を、心的な現象にとって、理解(知恵)が遅れるということはどういうことなのか、という普遍的な主題の中でとらえ返して追求した論考。重要な観点は、障害として「おくれ」があるわけではなく、理解という仕組みを持つことの中にすでに「おくれ」という構造を持たざるを得ない、そういう心的現象のあり方を追求するところにある。「自閉症論批判」「言葉のおくれとは何か」「山下清論」などを含む。

 子ども体験  (大和書房 ・ 1984年10月30日)

   概要・・・ 「子ども」というあり方にはいくつものレベルがある。目の前にいて成長する「他者として子ども」、自分がかつてそうであった「過去としての子ども」、昔話、童話、児童文学などにでてくる「物語としての子ども」などなど。それらの「子ども像」はそれぞれに成立基盤の違うところで形成される。私たちが何気なく「子ども」と言う場合の「子ども」とは、その成立基盤の違う子ども像を体験するということなのではないか。それを「子ども体験」と呼んで考察の対象にした。

 新しいキルケゴール   (大和書房 ・ 1986年11月30日)

 「人間失格」の発見   (大和書房 ・ 1988年2月25日)

  概要 ・・・ 幼児期の不遇な母子関係、父子関係から、対人恐怖症的に育った太宰治。その自分の姿を亡くなる直前に『人間失格』
という特異な言い方で主題化して作品にしたのだが、この特殊な個人的な体験が、日本の著者の多くの共感を呼んできた。それはなぜなのか。ここでは狭い意味の文学論としてではなく、とくに「対人恐怖的」に描かれた主人公の社会学的な状況を、日本人の置かれている状況として捉え直して、その現在的な主題を追求した。『富獄百景』や『桜桃』などの諸作品との関係にも言及。

 恐怖論ノート (冊子)   (神奈川児童医療福祉財団 ・ 1988年3月20日)

 未形の子どもへ    (大和書房 ・ 1989年2月10日)

 「銀河鉄道の夜」とは何か  (大和書房 ・ 1989年7月10日)

   概要 ・・・ 様々に解釈され得る『銀河鉄道の夜』を、少年期が終わる頃の子どもたちの物語として読み解く試み。科学に目覚める心と、まだ物語を信じている心とのせめぎ合いが、「銀河鉄道」(物語の世界)に乗って宇宙(科学の世界)を旅するという作品に結晶されているというふうに読み解く。「大人」への入り口を前にして、微妙に揺れ動く少年期の心情が、友情や恋愛感情を交えて描かれていると分析。ほかに少年期の終わりを描いた『ピーターパン』『星の王子様』『トロッコ』などの作品との比較も試みる。

 人を殺すということ (講演録)   (ボーダーインク ・ 1990年12月25日)

 「いのち」論のはじまり   (洋泉社 ・ 1991年2月1日)

 児童文学はどこまで闇を描けるか   (宝島社 ・ 1992年3月1日)

   概要 ・・・ 『赤ずきん』の主題は子どもが狼に食べられるところにある。生き物を食べないと生きられない私たちの存在のあり方は、作品として描かれていると、おぞましく、恐怖に満ちたものとなる。そういう主題はふだんは表沙汰にはされず、「闇」になっている。児童文学の分野でその「闇」と精力的に取り組んだ上野瞭の諸作品を分析し、私たちが見て見ぬ振りをしている肉や血としての存在の仕方を追求した。『ガリバー旅行記』『不思議の国のアリス』の抱える主題との共通性にも言及している。

 恐怖とは何か    (宝島社 ・ 1992年8月1日)

   概要 ・・・ 恐怖の源は死である。死といっても三つの死がある。生理の死、倫理の死、論理の死。病気や障害は生理の死、罪人の烙印は倫理の死、考え方の行き詰まりは論理の死を招く。そして次元の違うそれぞれの死に、性質の異なる恐怖が発生する。この三つの死は「共同体」から閉め出される時に集中的に現れる。古今の民間習俗や物語に現れた鬼や魔物の恐怖は、共同体に帰属できなかった人々の恨みと関係する。人間と共同体の関係を恐怖という主題を基に、宗教の観念も含めて考察し直す。ポーの恐怖小説も分析。

 「怒り」の構造    (宝島社 ・ 1993年11月20日)

   概念 ・・・ 暴君の見せる理不尽な怒りとそれを相手にいつもびくびくして生きなければならない人々の悲劇。それを最初に主題化したのはセネカの『怒りについて』だった。暴君はいつの世にもいる。会社にも家庭にも学校にも。反撃としての正当な怒りも必要だ。怒れない人に治療としての怒りを教授する人もいる。しかし怒りは相手をあまりにも簡単に「敵」にしてしまう。現代社会は人間関係を疎遠にし、その分相手を見えにくくさせ、怒りを誘発しやすくしている。アランの『幸福論』が怒り論であることの見直し。

 「いのち」論のひろげ   (洋泉社 ・ 1995年10月5日)

 子どもの笑いは変わったのか   (岩波書店 ・ 1997年11月7日)

 ことわざの力    (洋泉社 ・ 1997年3月26日)

   概要 ・・・ 「石に花咲く」。相容れない共同体の慣習を越えて、いつか行き来できる道が見い出された時にこういうことわざが作られた。ことわざは、個人の行動の戒めといったものではなく、常に異質な社会の間の相互関係を探る、「共生の作法」として追求されてきたものである。「隣の花は赤い」。この「隣」との価値観のずれ。そんな価値観の異なるシステム同士が、どうしたら接点を持ち、異なる価値の変換ができるのか。その知恵を私はことわざの発想の中で発見した。今までにない新しいことわざ観の創出。

 13歳論      (洋泉社 ・ 1999年2月26日)

   概要 ・・・ 中学生による凶悪犯罪が社会問題になる中で、少年法や命の教育の見直しが主張され出してきている。しかし、そういうことが問題なのかを問い直す論考。世界の文豪は13歳で大人のように活動する主人公をたくさん描いてきた。古代や中世の歴史の中でも、13歳に成人式を設定し、大人になることを共同体の大きな事業にしてきた。しかし今日大人になることは、あまりに後ろに設定されすぎているのではないか。13歳の力をもっと見直してもいいのではないか。来るべき21世紀の大人と子どもの境界を問い直す。

 なぜ大人になれないのか―「狼になる」ことと「人間になる」こと―  (洋泉社 ・ 2000年9月21日)



― 詩集 ―

夕暮れとみちの断章  (私家版 ・ 1973年)

空のように (私家版 ・ 1975年)

小さくなあれ   (大和書房 ・ 1977年)

   (私家版 ・ 1980年)



 ― 絵本
夢ってなんだろう    (福音館書店 ・ 1986年2月1日)


     共著

 家族の現在    (大和書房 ・ 1986年5月30日)

 吉本隆明[太宰治]を語る   (大和書房 ・ 1988年)

 家族の解体と再生    (岩波書店 ・ 1991年12月6日)

 試されることば@ −21世紀を生きはじめるために−   (宝島社 ・ 1991年8月5日)

 照らしあう意識A     (宝島社 ・ 1992年4月1日)

 身体の深みへB     (宝島社 ・ 1993年2月1日)

 喩としての生活C     (宝島社 ・ 1994年12月1日)

 新文芸読本『宮沢賢治』   (河出書房 ・ 1990年9月10日)

  書『エチカ』第3巻『自己と他者』   (昭和堂 ・ 1993年2月15日)

 徹底比較 賢治と南吉    (文渓堂 ・ 1994年6月1日)

 規範と逸脱をめぐって    (地球の子ども ・ 1995年1月31日)

 児童文学の魅力 海外編   (ぶんけい ・ 1995年5月10日)

 児童文学の魅力 日本編   (ぶんけい ・ 1995年5月1日)

 差別の社会理論    (弘文堂 ・ 1996年11月15日)

 児童文学の思想史・社会史    (東京書籍 ・ 1997年4月21日)

 教育をどうする        (岩波書店 ・ 1997年10月20日)

 AERA MOOK 天文学がわかる   (朝日新聞社 ・ 1999年8月)

 太宰治を読む      (笠間ライブラリー ・ 1999年11月)


        事典

 社会学事典   (「いじめ」「幼児期」の項目)      弘文堂 ・ 1998年2月10日

 コンサイス20世紀の思想事典  (「子ども」の項目)   三省堂 ・ 1989年4月20日


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