高校生詩集  それから  (高校三年生)

  (詩としてではなくαへの試みとして)
                  者刈 咬(はがい こう)ペンネーム

もくじ


もくじ


巨人ー空ー

竹藪と水面
ミルこと (『潮』1967.4.5)
不安
(Dの連続)
DーA (『潮』1967.4.5)
DーB (『潮』1967.4.5)
DーC   (『潮』1967.4.5)
DーD (『潮』1967.4.5)
落としたりしないで (『潮』1967.4.5)
いくつもの夕暮れ (『潮』1967.4.5)
関係が三つ
若者の日




詩集 それから (高校三年生)



 巨人ー空ー

かつてからなおざりにされてきたため
成長に成長を重ねて
そして今では「あのように」と呼ばれて
まるで他人行儀だ

ぼくらは知らない
役所へ行っても教えてくれない

背中は覆い隠されて
そのまなざしは氷だ
語りかける言葉はシーンとしているが
彼の手は激しい音を立てて
どこからか
どこからか迫りつつある

そんな僕の叫び声をここの人々は知らないふりをする
またそんな力持ちはここにはいない
そしてここに在る限り 人々を彼は彼の正客とはしない
彼が我々に本当の姿を見せるのは
個々が「僕」を彼の前で「僕」だと打ち明ける時



 空


それは宇宙でもなく無限でもない
そう考えるより他に空は空となりはしない

古い迷信に浸っていると
木々や水面や山は 並べられた洋菓子のようだけれど
一旦その風習をパタン閉じると
そこにはそれぞれが全く不整合に浮かび上がる

それぞれというように分けられたそれをそれとして理解することは不可解だ
しかしそれぞれを関係づけてみるということは
もっと不可解なことだ
なあ空よ
お前がいけない
お前を見つめているものが 何のためにそうしなければならないのかを
そしてなぜ木々や水面や山が
僕が見ているという事実の中からはみ出そうとするのかを



 竹薮と水面

竹薮が風に鳴っていたし
池の水面はチャプンチャプンと
しかしそれは何でもないことだ
竹薮と僕と何の関係もないし
水面と僕と何のかかわり合いもないし
竹薮と水面とは・・・
そうさいつも海の向こうの話なのだ



 不安

教室を

教壇
黒板
これらを並びかえると
「不安」になる
ぼくらがいくらそれらを無視して
騒がしくしても静かにしても
それらが人生の象徴である事実からは
決してまぬがれられない
それらはこの世の全てのものの
平均水準であり妥協そのものなのだ
そこは小さな世界でもなく
小さな社会でもなく
「不安」そのものなのだ
世界や社会は
実はこの並び替えに過ぎないのです

教室

教壇
黒板
の発する匂いは
時間の間を縫って未来家と洩れいって
将来として考えられるあらゆることに
この匂いはこびりついて
現実以上の効果を上げています
将来も実はこの並び替えに過ぎないのです



(Dの連続)

DーA
見知らぬ土地にある小さなほこら
その成因はまだ知られていない
というよりかその土地さえ今だに伝説的なのだ
しかしほこらにとって ほこらはほこら
れっきとしたほこらなのだ

ところが今日
ほこらに赤いサンダルがおちていた
ほこらにとってそれだけが
唯一ほこららしくないものだ
いつこんな物がまぎれこんできたのか思い出せない
すべてがほこららしくあるのに
その存在だけが つきささったトゲのようだ

ほこらが三千年のノイローゼ

事実ほこらにはそれをどうすることもできない
そこにただあるというだけの・・・

それからというものほこらはかつての威厳を失いつつあリ
その岩壁は色あせて 流れ出る水は止まってしまった

今やサンダルは赤々と大きくなって
否定肯定の論争もこのことにあって
結局無意味になってしまっている




DーB
彼は病気だった。

医者がいて
何種類もの薬品を試みたけれど
彼はいつもケロリとしていた。

彼が訴える苦痛はあきらかに苦痛から
来たものであるし
それがどこからくるのかわかっているのに
医者は彼の前には座わらない

誰がみても彼は人間だったし
そして解剖学的に彼は人間であった
それなのに医者は疑っている

彼はすっかリ人間であったし
色彩的にもおかしくはなかったけれど
空間的に正確ではなくなっていた

しかしとにかく彼にとってそんなことは
何のさしさわりもないことだったし
医者にもそのことが一体彼にとってどういうことなのかを
診察することはできなかった。

ただ確かなことは
彼は病気だ
ということである




DーC
この小枯しはどこから来るのか
足もとからか
大陸からか
それとも全く上の方からか

この小枯しをどうすることもできない
たとえできたとしても
いつも君の番だ

この小枯しは全くでたらめだ
寒波もなければ強風もない
大陽は明るく昼は長く
しかし事実
大地の色は変リ
空はおおい包まれ
大気は吹き飛ばされて
もうこの指の間にはない

ところが僕は知らない
何が大地で起っているのか
何が空で起っているのか
誰がそこで叫んでいるのか
とにかくここでは
大気さえも必要ないのだ
そうやってまで生きているし
生きてゆける

今日もヒシヒシと感じられるこの小枯しは
結局 偶像的な事物だ




DーD
あなたと僕とのすべては神話です
でもそれを知っているということが何になるでしょう

〈一個の神話の中で歩いている時
その彼を演じつつ歩いている時
そしてその間に忘れられた大きな深淵があることを・・・

関係へのつながリをいくらオシャレしても
歩くと歩かないとの関係ぽっちだ

関係へのつながリはオモチャだ
そこに自分自身を張ることはむしろ
張らないということの祭リだ
ああ祭りだ
関係へのつながリは冒涜だ
空しさとしらじらしさとたえず不安と

それから
監督が繰返しを叫んでいるV



落としたりしないで
   

落としたりしないで

落ちてみたい

写したりしないで

書いてみたい

選手にならないで

魚を泳ぎたい

眠りがそうであるように
生きるようにしないで
生きてゆきたい



いくつもの夕暮れ


タ暮れがいくつもの夕暮れでおおわれているように
その中で何が起っているのか誰にもわからない
どれが夕暮れなのかを探すことはむずかしいし
馬鹿気ている
すべてがタ暮れなのだから

しかしアフリカにおける夕暮れと
アジアにおけるタ暮れと
地下室における夕暮れと
その一つをどうしても入らなければならないだろう

タ暮れをしみじみ感じ取ることは危殆だし
夕暮れを写生することはおよそやぶさかだ
夕暮れを見たり聞いたりしたところで
それは怠惰にすぎない

いっさいの感応をそこへ置いて
クルクルとにじみ込んで行くことを



 ミルこと


空をミルことも
木をミルことも
山をミルことも
僕にはできない

ミルことは
引っぱられて
ミルことは
歩くことにおちてゆく

ミルことは
だからこれを書くことで

ああ物貰いに等しい

歩くことと
書くことと

しかし
ゆえに
がっちりすえられた毎日は
すっかリおびえきっている

おびえきった眼は
今日も
ミルことをポケットに
しまいこんでいる



関係が三つ

関係があって
関係はここにはなかった

それぞれの関係があって
三つあった

大きく叫んだ時に一つ
小さく叫んだ時に一つと
小さく小さく叫んだ時に一つ

それぞれの関係があって
それぞれはここにはなかった


 若者の日

夜明けに明るさが落ちた

一切れの胸れの中に
暗い海がひるがえった
燃えるようにそれはひるがえった

温かいその手を
静かにもとの所へ返そう