じゃのめ見聞録  No,9

 
 『クラバート』(プロイスラー作)を読む

 「少年期を越える」ということは、実はこの物語ほどに過酷な体験をすることだったのではないか。私たちはそのことをたぶん忘れている。

●物語
 少年クラバートは、ある日誘われるままに、魔法を使う親方の住む粉引きの水車場に、見習い職人として住み込むことになる。彼はそこで、12人の先輩職人とともに粉引きの労働をしつつ、親方から少しづつ魔法を習うという生活をおくる。ところがその職人の中で、娘に恋をした者は親方に次々に殺されてしまうということがわかってくる。しかしクラバートだけは試練に耐え、娘と協力して、とうとう親方を打ち破り、殺されていった仲間の仇を討つと同時に、娘との恋を成就することになる。物語はそういう展開になっている。
 魔法が出てくるから、ファンタステックな物語と勘違いされてしまうみたいだが、そんなことは全くない。物語はおそろしくリアルにすすんでゆく。リアリズム小説といっていいほど丹念に出来事だけが書き込まれ、よけいな説明はいっさいはぶかれている。魔法がでてくるのにリアリズムと言うのはどういうことか。そこには訳がある。
●閉ざされた共同体とそこからの脱出
 舞台となる水車場には、一種の閉鎖された共同体、閉鎖された国家のイメージが重ねられている。有刺鉄線で囲まれた国家は、少し前までは現実の世界であった。親方は、この世界から逃げ出せないように「魔法」を掛ける。その「魔法」は、今で言う「集団暗示」や「イデオロギー」と呼ばれるようなものだ。
この水車場の実際の仕事には、怪しいところがたくさんある。何やら夜中に「死体」らしきものが運び込まれ、粉引きで粉砕されているかのような様子も見られる。不気味である。恐ろしい闇の仕事を、ここでは受け負っているかのようだ。しかし職人たちには事実はわからない。
この恐ろしい、不気味な、自由のきかない水車場から、出てゆこうとした職人はたくさんいた。しかしすべては失敗したらしい。こうした閉鎖された共同体から脱出するためには、親方が掛ける催眠やイデオロギーの力に逆らえるほどの強力な覚醒力を持たなくてはならなかったからだ。それが「恋の力」にあることを、親方はよく知っていた。だから親方は、恋をした職人をすぐに殺してしまわなくてはならなかった。
賢いクラバートは、死んだ先輩の忠告を守り、先輩の死を無駄にしないように、密かに訓練をし、魔法に耐えて覚醒できるだけの力を蓄えようと努力を重ねる。この訓練は大変だった。実際には、職人の中に、親方に洗脳された者や密告者がいて、クラバートの動向を見張っていたからである。ここにもベルリンなどの有刺鉄線を越えようとして死んでいった若者たちの死が、だぶって見えてくる。けれども、クラバートを支援する強力な仲間もいた。彼はその仲間に助けられ、そして何よりも愛する娘の力に支えられて、いよいよ「魔法」と「覚醒」の対決の日を迎える。このラストシーンでは誰もが手にあせ握ることになるだろう。
作品の状況は、このようにドイツ人作家が持たざるを得ない、ドイツ固有の政治状況を背景に透かし持っているのだが、けれどもそういう特殊性を意識しなくても、この作品は十分に迫力をもって読み通せるものをもっている。というのも、少年は誰でも大人になる前は、誰かの言いなりになり、言われたことをそのままに実行するのが当たり前だと思っているからである。誰もがはじめはみなクラバートのように、「水車場」で仕事につくのである。そして「暗示」にかかり、自分の意志をもてなくさせられてゆく。しかしある時に気がつく。自分の意志を持たなくてはならないことに。というのも、目の前に現れる異性は、他の誰の者でもない「私の意志」を求めてくるからである。こうして少年は困難を押して「自分の意志」を持とうとしはじめる。ここに少年の「通過儀礼」がはじまる。 
●知恵と愛
 ところで作品では、物語は3年の月日が過ぎるのに、その3年は全く同じことが繰り返されるように描かれている。これも不気味である。この経過に読者はきっと驚ろかされることだろう。「暗示」や「イデオロギー」の世界では、時間は全くワンパターンに過ぎてゆくからであろう。むろん主人公自身は、1年で3年の年をとったように描かれているが、それは特定の思考(イデオロギー)にマイ進すると、急にその面で老成することがあったからである。この老成の中で少年は、しかし親方との対決、魔法の力との対決をする知恵を手に入れる。
 私たちはこの物語を読み終えたとき、主人公が強力な魔法を使う親方に勝ったという喜びを得ると共に、自分の苦労して手にいれた魔法をすべて失ってしまうという主人公の悲劇を見い出すことになる。大人になるということは、しかしこのように個人の力、個人の意志だけを頼りにし合う世界に入るということだったのである。そんな中で「恋人の力」は、「個人の力」をいかに高める役割をはたすことになるか。読者はそれを改めて感じさせられつつ本を閉じる事になるだろう。
『児童文学の魅力 いま読む100冊海外編』(ぶんけい)から転載

 宮崎駿の『千と千尋の神隠し』を9月の末にやっと見ることができました。感想はいろいろあるのですが、それをゆっくり書く時間がないので、彼がこの作品を作るにあたって、『クラバート』という児童文学を念頭に置いていたというふうにインタビューで答えていたので、私が以前その物語について解説めいたものを書いていたので、それを転載させていただくことで、穴埋めさせていただきます。