じゃのめ見聞録  No,8

 
「恐怖の事件」から学ぶものはないのか
大阪教育大付属池田小学校児童8人殺害事件ついて

 そんなことを思ってはいけない、ということを、なぜか、この事件の処理の仕方の報道を聞きながらくり返し思っていた。今でも自分の中で、疑問が晴れないでいる。その整理のつかない思いを少し綴ってみたい。
 それは今年の6月8日に起こった大阪教育大付属池田小学校の児童8人殺害事件にまつわる疑問である。この事件では教師2人を含め、のべ15人が殺傷を負う、前代未聞の凶悪殺人事件となった。
そうした前代未聞の事件でもあったので、その後宅間容疑者(37)の精神鑑定が問題になることはもちろんとして、亡くなった児童の様子が、生前の手記や写真やビデオなどをつかって、毎日くりかえしテレビで放映された。それから、学校の授業そのものが、中断され、児童は自宅待機となり、「心のケアー」という「対応」に学校や地域が全力を挙げて取り組む様子も報道されていった。
 私が「思ってはいけないのかも知れないこと」を思っていたのは、その事件報道の最中からだった。そのきっかけは、学校を建て替えることが決まった、と報道されたときだった。一瞬耳を疑った。「えっ、学校を建て替えるの?」とテレビに向かって聞き返したほどだった。私の中で、いろんな疑問や疑念が、その時から現れては、かき消された。そんなことを「思う」ことすら、不謹慎ではないかと思いながら。
当時の私の頭の中では、児童が次々に8人も殺害された教室で、いったいどうして授業が続けられるだろう、という疑問はまずあった。惨劇のあった教室で、何かにつけてそういうことを思い出してしまう教室で、その後も授業を続けることは不可能ではないか、と。とするなら、そういう教室を封鎖したり、改造して教室以外の用途で使うことにするのは当然であろう、と私は漠然と考えていた。しかし、「学校をそっくり建て替える」というような発想はなかった。地震で壊れかけたというわけでもないのに、まだ使える建物を、どうして「全部」立て替える必要があるの? 財政難の大阪府から、どうしてそんなお金が使えるの? と。
そんなことを考えて、私はすぐにこの疑念を振り払った。いやいや、そんなことを疑問に思ってはいけないんだ、と。児童8人の尊い命がここで抹殺されたんだから、その8人の命の重みに比べたら、学校を建て替える費用なんて安いものであるはずではないか、と。それともなにか、お前は8人の児童の命と、学校を建て替える費用を天秤に掛けて、後者を無駄な出費のように思っているんじゃあるまいな、と。
もちろん、そんなふうに自問しだしたら、黙るより他なかった。私は決して児童8人の命の重みを「軽く」思っているわけではなかったからだ。でも、だからといって、「この事件」と「学校をそっくり建て替える」というような発想は、私の中では、どうしてもストレートにはつながらなかった。もし、私立の学校で、そんな事件が起こったからといって、こんなにすぐに建物を建て替えることができるだろうか、と思ってしまうからだ。願わくば、この池田小学校が、現実に老朽化していて、かなり前から立て替えの要求が出されていて、それでこの事件を契機にして、計画が少し早めになっただけなのだ、と私は一人で自分を納得させる理屈を考えようとしていった。
なぜそんな「妙なこと」にこだわって考えているのかというと、私は「学校」という建物には、もともと「不気味なところ」があるものだと感じてきたからだ。何の事件が起こらなくても、「学校の怪談」や「トイレの花子さん」の話は、語り継がれているもので、「醜悪な事件」が起こるとなおさら、そういう「怪談」は創造されてゆくだろうと思われる。たとえ事件の起こった建物がきれいに建て替えられたとしても、そこで起こった「事件」そのものの記憶が消えるわけではないから、きっと「新しいトイレ」では、8人の子どものすすり泣く声がするとか、「新しい理科室」でも、子どもの悲鳴が聞こえたというようなデマがこれからも創られてゆくことになるだろう。その学校の負った「傷」は、どこかで残り続けると思われるからだ。
そして私はそういう「学校」の被った「負の出来事」を、学校は「嫌な出来事」として、記憶から消してしまうことに必死になるべきではないと、考えるものの一人である。追悼文では「8人の子どもたちは、仲良く天国の学校に通っていると思います」という胸を打つものがあったけれど、そういう美しいイメージに収まる部分と、いつまでも「悲鳴」として「悪夢」として蘇る部分の両方はあると思う。そして私はその両方はどうしても体験されてゆくのではないかと思うものである。
「悪夢」や「恐怖の記憶」は、子どもにとってはよくないから、取り除いてあげましょうという心理学者がいるとしたらそれは違うと私は言いたい。この池田小学校が受けた恐怖の出来事は、やはり池田小学校に通う生徒がこれからも引き受けてゆくべき「負の共同遺産」であって、過酷ではあるけれどその経験から、学んでゆくものもあると私は思うからだ。
悲惨なこと、おぞましい出来事は、戦争を含め、歴史の中でいやおうなく起こるものだ。それは、どこかで記憶にとどめられる。またとどめないと、次の世代に生かされないからだ。
 学校の教育が排除してきたもの、それはかつての民俗、習俗の教えてきた「恐怖」である。「知の明るさ」の下に、人々の情念の「闇」がある。それを密かに感知してきたのが「学校のフォークロア」であったと思う。学校をガラス張りにして、要塞のように不審者を入れないようにできるとしても、学校の知が「明るい知」である限り、子どもたちは、学校のどこかに「不審な暗い知」のあることは感じ続けるはずである。そしてそこから学ぶものもきっとあるはずだと私は思っている。
『路上 90号』2001.10.1に掲載