じゃのめ見聞録  No.4

もし「えひめ丸」の高校生が「戦死」なのかとたずねられたら


 「えひめ丸」の高校生は「戦死」ではないのすか、とたずねられたら、たいていは驚ろかされてしまう。あれは「海難事故」であって、どうして「戦死」などという恐ろしい言葉で連想される必要があるのかと感じるからだ。確かに私にも、この「事件」のことは、日に日にというか、日を追うごとに、何かしら奇妙で、整理のつかない事件だと感じないわけにはゆかなくなっている。
私が、この「事件」と呼ぶものは、まだまだ輪郭が定まっているわけではない。一つはっきりしていることは、「あの出来事」を起こした相手が「戦艦(原子力潜水艦)」であるというだ。「戦争の船」と「民間の船」の「衝突」というのが今回の構図なのだが、それは、本当にたまたま起こった相手のミスの「事故」にすぎないのか。それとも、「戦艦」というものの存在が本来的にもっている、不気味な死の影なのかは、もう少し考えてみる必要がある。というのも、あの相手が「戦艦」で、あんな「緊急浮上訓練」のような行動をとる船でなければ、起こりようのない「事件」であることは、誰の目にもわかるからだ。
 かつて終戦の前後に、日本近海で魚雷に触れたり、意図的に撃沈されたりした民間の輸送船に乗り合わせていた人々のことを、一種の「戦死」として、丁重な「弔い」をしてあげてほしいという願いがだされたことがあった。「戦場」で戦う者だけが「戦死」しているわけではないのだ。だから、どこかで「公な戦争責任」のもとに「弔い」をしてほしいと。事実、沖縄戦での「戦死者の数」といえば、兵士も民間の人の死もみんな含まれるのだから。
 でも、言われるに違いない。今回の「事件」はそんな「戦時」でもないし「有事」でもないのだから、そんな時に「戦死」というような言葉を使うのは、不謹慎ではないかと。
もちろん、私にもよくわからないところがあるから、こういう質問を頭ごなしにおかしなものとかたづけられないでいる。というのも、私には今日「戦争」が終わっているようにはどうしても思われないからだ。近年のイラク戦、ユーゴスラビア戦での劣化ウラン弾の使用は、民間人の方に、想像をはるかに超えたひどい被爆の影響を与え続けていることもわかっているし、そういうことを知れば知るほど、「終わらない戦争」のことを思い知らされる。戦時中の人たちの知っている「戦争」のイメージと、近年に進行しつつある「戦争」のイメージは、ずいぶんに変わってきているからである。
 私が今回の「事件」を複雑だと感じたのは、実は「事件」が「戦艦」対「民間」の構図ではなく、「戦艦」の中に乗り込んでいた「民間人」という、従来ではあり得ない構図の中で起こっていることも、問題視されなくてはならないと感じたからである。これは、コックピットの操縦が、電子化され、「民間人」でも容易にそういうことが出来るようになってきている「現代戦争」の事情と無関係ではない。「操縦桿を握りたい」という「素人」が起こす事故で、日本でも飛行機が乗っ取られた不幸な事件があったばかりである。
「操縦」というもっとも大事な部分が、電子化される中で起こる恐ろしい事件が、先日の日航のニアミス事件でもあったことを思い出してもいいだろう。操縦者が目で見る現実と、機械が指示する警戒音と、電子画面が見ながら遠くから指示する司令塔のちぐはぐさ。「現代の戦争事情」というのは、そういう指示系統の多層化の中で起こり、「指先一つの事情」でとんでもない大きな結果を引き起こす、恐ろしい戦争になってきている。それは昔の戦争のイメージでは見えてこないところであろう。そんな中で引き起こされた今回の「事件」は、だから、大変複合的な視座で見つめる必要のある事件だと私は思っているのである。
 しかし、特に今回この「事件」で、私が感じもう一つの「想い」があった。それを言わせていただきたいがために、この一文を書いているのである。それは、国を出て、海外で「活動」する高校生がこれから増えてゆく事と、そうした「海外」で起こる事故もこれから増えてゆくだろうと思われることについてである。昨年、スイスでスキー合宿をした高校生のアルプスケーブルトンネル事故のように。
 私は、兼ねてから、「成人」になることは、「戦士」「戦う人」になることを自覚することでもあり、さまざまな意味で「死」を覚悟することであったと言ってきた。もちろん「戦争」だけが「戦い」なのではないのだから、必要に応じて、地域でさまざまな「成人式」がなされるべきだと提唱してきていた。そして、特に今回、「海外」へ送り出す時期が来た中学生や高校生を抱える家族や学校や所属グループは、それなりに工夫された「成人式」を行って送り出すようなことがあってもいいのではないかと強く思ったのである。
 「国」を越えて出かけてゆく若者達も、それを単なる海外旅行のように考えないで、人生の大きな転換期のように受け止めてほしいし、そこで本人もまわりも、それなりの覚悟と祝福をうけて送迎される工夫があってもいいのではないかと強く思った。私は「20歳」まで、「成人式」を待つ必要なんかまったくないと考えてきている。各地で、各年齢層で、必要に応じた小さく親身な「成人式」がたくさん行われればいいのにと思ってきた。(「毎日新聞」2001.2.16にも書いた)。
そういう視点から見れば、今回の、「事件」も、ある意味での「戦う人」として「世」に出ていった「高校生」の乗り込んだ船が、「戦艦」と衝突して沈められたという構図の中で見つめてみるときに、そこに現在の日本の置かれている様々な問題、「事故」や「事件」の次元から、「国家間の責任問題」「現代の戦争の問題」、そして「現在の若者事情」までの、さまざまな大事な問題が交叉されて起こってきている問題であることが見えてくるのではないか。私にはそう感じられてならない。