じゃのめ見聞録  No,22
  
再び『ビルマの竪琴』の論じられ方について



 前回「『ビルマの竪琴』の論じられ方の奇妙さ」という文章を書いたのですが、岡部ベアトリスさんから「『ビルマの竪琴』批判では、上野先生の言われていることが正しいと思うわ。やっぱり、ビルマの話はおかしいもん」というような趣旨(ちょっとまとめすぎですけど)の指摘を受けて、話が盛り上がりました。ベアトリスさんは、「以前から、戦争の伝えられ方のこと(ナチスとユダヤ人と関係のことや、中国での虐殺というような伝えられ方のこと)を調べていると、どう考えてもビルマの戦争の伝えられ方では、上野先生の言われていることが正しいと思うよ」と言われるのでした。
 どうもベアトリスさんには、前回の私の論が「上野批判」のように見えていたのかもしれません。だから「村瀬さんは上野先生が生きておられたら、あの文章を書かれたのかしら」とニッコリ笑いながら聞かれるのです。ムム、このニッコリには、何とかしてお答えせにゃなりません。
 でも、事実は、ちょっと違うんですね。確かに、ベアトリスさんの最後の疑問から言えば、上野先生が亡くなられたから、『ビルマの竪琴』の批評を取り上げてみようとしたのかということでは、まさにそのとおりです、ということなんですね。亡くなられてはじめて、初期の評論を読み返す作業を始めたからです。ということは、先生が、もしまだ生きておられたら、いつでも話が出来るからと思って、わざわざ先生の出発点になる初期の批評を改めて読み返したりすることはなかったと思います。改めてそんなことをしなくても、喋りかければ目の前に先生がおられたんですから、疑問があれば、いつでもぶつけることができたんです。でも、亡くなられてはじめて、「ああ、もう、先生と話ができなくなってしまったんだなあ」と実感するようになってきました。そして、今になって、ああいうことも、こういうことも、もっとちゃんと聞いておくべきだったんだ、と感じるようになりました。
そうなると、私にできることは、紙面の上で「対話」することしかありません。それで、できるだけ、初期の作品をみなさんに客観的に紹介するともに、それとの「対話」として私の疑問を最後に付け加えるという「工夫」をすることを考えたわけです。それが、私にできる精一杯のことだったからです。前回は、ですから、『ビルマの竪琴』が出版された当時の肯定、否定の論に対して、上野先生の立場がはっきり対置されるように、みなさんにご紹介できたんじゃないかと思っています。そこを読めば、上野先生の言われていることがとっても納得いくものであることがわかるように、私はまとめることができたと思っています。
もちろん、そこで終えれば、それはそれでよかったわけです。『ビルマの竪琴』への上野批判の「正しさ」だけがみなさんに伝えられて、話はとてもすっきりしてよかったことは確かです。でも、それでは、先生への弔いにはならないんじゃないかと、私は感じていたんです。私は、あることにとってもこだわっていたからです。



くりかえしはしませんけど、上野先生の『ビルマの竪琴』批判の要点は、とっても明瞭に整理されていました。この批判には先生は自信というか愛着をもっておられたと思います。といいますのも、この批判はのちに「「献身」と「楽しさ」の系譜ー戦後児童文学史の考え方」1974(『われらの時代のピーターパン』晶文社1978に収録)というとても長い論考の中で、再度取り上げられていたからです。この論考のことは、前回のフォーラム通信で、片山先生も取り上げられておられました。
 そういう経過がわかっていて、私はあえて上野先生の『ビルマの竪琴』批判の要点に対して、批判のように見えることを書いたというわけです。でも、あれはただの「上野批判」というような性格のものではないのです。私の前回言いたかったことは、とってもはっきりしているのですから。
例を出せば、もっとはっきりわかると思います。たとえば上野瞭作『アリスの穴の中で』という作品があります。もし、どこかの批評家が、「そもそも「男が妊娠する話」などあり得ないじゃないか。こんな「事実」に反するようなことを書いた作品を評価するのはおかしい。もし子どもが読んで、そんこともあるのかと思ったりしたら、大事だ。断固、こんな作品は批判しなければならない」と言ったとしたら、みなさんはどう思われますか。
そういう批評が出てきたら、逆に私は断固そういう批評に反論すると思います。作品に「事実」が書かれているのかどうかという視点だけで批判されるんだとしたら、この『アリスの穴の中で』はとってもおかしな、批判されるべき作品になってしまうでしょう。
 そこで前回の議論を思い出していただきたいのですが、『ビルマの竪琴』は、ある批評家たちから、「日本の軍隊で歌を歌う部隊があったなんてあり得ない」「僧侶になった水島上等兵の肩にオオムがとまっているなんてあり得ない」「ビルマの僧侶がぞうりをはいているのはおかしい」などという批判を受けていたのです。そして極めつけは、そういう作品だから、ここには当時のビルマの戦争や軍隊や僧侶や民衆の「事実」が描かれていないと言う批判になっていたのわけです。
 そして、実は、この作品に対してそういう言い方を上野先生もされていたのだといいうことを前回私は指摘しようとしたわけです。でもそれは、「上野批判」のためではなく、むしろ「上野作品の擁護」をするためだったということが、うまく伝わっていなかったんですね。というのも、もしここで、上野瞭作『アリスの穴の中で』が、「事実を描いていない」ということで批判されるとして、でもそこで『アリスの穴の中で』を断固弁護する観点があるとしたら、同時にその観点でもって『ビルマの竪琴』の弁護も、なされなくてはならないのではないかと、いうことだったからです。

3 上野瞭『ちょんまげ手まり歌』のこと

というのも、この『ビルマの竪琴』にあびせられた批判のことを考えたときに、私が真っ先に思ったのは、上野瞭『ちょんまげ手まり歌』のことだったからです。この作品は絶品です。こんな名作はちょっと他にないでしょう。とっても心に残る、不思議な作品です。ところが、この作品は、『ビルマの竪琴』と同じように、出版されてから、評価が賛否両論まっぷたつに分かれてしまったのです。その辺の経過を、新村徹さんが作品の解説の中で、こういうふうに回想されていました。

「この『ちょんまげ手まり歌』は、たいへん「こわい」物語です。なにか、うす気味悪い印象を受けるでしょう。なにしろ、冒頭の手まり歌から、ころりころころ首がころがるのですから。そのためでしょうか、この作品が出版された当時、これが児童文学かどうか、疑問視されて、ある子ども文庫の本棚から追放されさえしたといわれています。」
フォア文庫『ちょんまげ手まり歌』の新村徹氏の解説から

確かに、この作品には、首を切られる侍がでてきますし、それ以上に、6歳になった子どもの男の子は片足のすじを、女の子は両足のすじを切られて、歩けなくさせられるある国の話が語られるます。これはある意味では異様な国の話です。
だから、出版当時から、こんな残酷な話を子どもに読ませるのは害があると考えた人たちがいたのでしょう。「子ども文庫の本棚から追放されさえした」のですから。今で言えば、「R指定」とか、「有害図書」にリストアップされるというようなことでしょうか。
私はいつか、この『ちょんまげ手まり歌』が出版された当時の書評の一覧を作成したいと思っているのですが、今回はそれはパスさせていただいて、なぜこの作品がそういう「有害図書」風の評価を受けたのか、少し想像できるところに触れてみたいと思います。
一つは、やはり作品に描かれた「子どもの足の筋を切る」というような「残酷な設定」が、「事実」として読みとられることへの懸念が大人側に働いたからでしょう。子どもたちは、この作品を読んで、それを「事実」と勘違いして、おかしな感想をもつことになるのではないかという懸念です。
もう一つは、こんな「子どもの足の筋を切る国」なんか「事実」として存在しないだろう、という視点からの批判です。もっと、「事実」にそった作品を書くべきではないかと。
結局こういう批判は、振り返ってみると、『ビルマの竪琴』に向けられた批判でもあったことがわかります。つまり、「作品の中の現実」をあまりにも「実際に起こる出来事」
のようにして論じるという批評の仕方です。こういう批評でもって論じられると、「作品が独自に創り出す現実」が論じられずに、「実際の出来事」を論じる論じ方で作品が割り切られて終わりになってしまいます。誰しも、そんな批評の仕方はおかしいと思われるのではないでしょうか。
上野先生は、ご自分の作品をそういう視点で批判されたくないと一番願ってこられたはずの作家なのに、実は『ビルマの竪琴』については、ご自分がそういう批判を『ビルマの竪琴』に対してされていたのではないかと、ということを私は先生にお尋ねしたかったということなのです。
実際は、もうそういうふうに「お尋ねする」ことができなくなってしまったので、紙上を借りてしか「語りかけ」ができなくなってしまいました。実際に話を聞けば、30分ほどで答えていただけることが、もう永遠にできなくなってしまっているのです。なんということでしょう。なんということなんだと、いま私は思っているのです。