じゃのめ見聞録  No,21

 
『ビルマの竪琴』の論じられ方の奇妙さについて

1 『ビルマの竪琴』(新潮文庫)の要約

 『ビルマの竪琴』を仮に要約するならこうなるだろうか。ビルマの北部の戦争が舞台である。その戦争で敗走する日本兵の部隊の中に、音楽学校を出た若い隊長がいた。その隊長は、ヒマがあると兵隊たちに合唱を教えていた。そして歌うことで団結したり、時には戦局を切り抜けることもあった。その部隊の中に、水島上等兵がいて、彼は自分でビルマの竪琴に似た楽器を作って器用に伴奏をしていた。そんな敗走の中で、ある日部隊は戦争が終わったことを知らされ、降伏する。しかし、現地にはまだ、終戦を知らずに闘っている部隊がいる。そこで水島上等兵が、無意味な戦死を避けるように説得に派遣されることになる。そして残りの部隊は、南の捕虜収容所に送られることになる。しかし水島の説得工作は失敗し、彼も負傷し、ビルマの僧に助けられる。負傷が直って、水島上等兵はビルマの僧の袈裟を盗んで、僧の格好をしたままで、北から南の収容所まで仲間の部隊に合流するために歩いて出発する。しかし、その途中で、野ざらしになったままの戦死したたくさんの日本兵を目撃する。その日本兵の屍を、敵国のイギリスの看護婦たちが賛美歌を歌って弔ってくれているのを目にする。そこで、彼は捕虜収容所まで行って仲間と顔を合わすのだが、自分が水島上等兵であることを名乗らずに、みんなから一人別れて、野ざらしになった日本兵の屍を弔う旅に出発する。およそ、そういうふうな筋だと言えるだろうか。
『ビルマの竪琴』が出版されたのは、昭和23年。その年にこの作品は毎日出版文化賞、25年には文部大臣賞を受けている。おそらく、それは妥当な受賞であったと私は思う。のちにその理由は説明することになるが、作品はふつうに読めばたいていの人は感動するように作られており、その感動は、けっこう深い所からくるものであることがわかる。そういう読み手の共通した感じが、いくつかの大きな受賞になってあらわれたのであろう。
ところが、しばらくして、この作品を批判するような評論が出てきた。そうした批判的な論を見ながら、上野瞭さんが、そうした批判的な論に反批判を加えながら、上野瞭独自の批判を加える論を発表した。それが「戦後児童文学の不幸なる起点ー『ビルマの竪琴』について」という論考であり、彼の最初の批評集である『戦後児童文学論』理論社1967の一番最初に収められた記念すべき論である。この論は、もともとは『日本児童文学』1965年6月号に発表された上野瞭37歳の時の論考である。ではなぜ彼の批評活動の最初に『ビルマの竪琴』の批判を持ってきたのか? その理由を尋ねることは興味がある。

2 上野瞭さんによる『ビルマの竪琴』の批評

『ビルマの竪琴』から読者が得る共通のイメージは、「戦死者をほったらかしにしないで弔うというテーマ」である。これに尽きると言っても良い。それだけのテーマがなぜ「感動的に」に書かれることになったのかというと、「ビルマ」という異国で戦死した多くの同胞を、そのままにして帰国する仲間とたった一人残って弔う決心をする水島上等兵が対比させられるからである。このわかりやすい対比の中で、仲間と水島の最後の別れがくる。この場面を「感動」して読まないようにすることにむしろ無理がある。
しかし、上野瞭さんはこの『ビルマの竪琴』を「戦後児童文学の不幸なる起点」と呼んだ。なぜそんなふうに呼ぼうとしたのか。
上野さんは、この作品の肯定的批評と、批判的批評をまず丁寧に紹介する。肯定的批評が出てくるのは当然であるが、しかしその肯定の仕方にはどこか釈然としないものが多いと上野瞭さんは当時感じていた。「平和の主題」「平和への願いがこめられている」とか「人間の尊厳」が描かれているというような批評の仕方は、肯定的な批評にしてはあまりに観念的すぎるように感じられたからだ。
 その一方で批判的な批評にはもっと注目した。中でも竹内好の批判には注目している。竹内好はこの『ビルマの竪琴』をこう批判していたからである。
「水島を理想化することによって戦争批判を行っているわけだが、この戦争批判の角度に私は問題を感じる。戦争を宿命的なものとする考え方と、その救済を精神的な方面に求める態度が強調されているのが私には不満なのである」
 そして続けて水島上等兵のとった態度を「解決ではなくて解決の回避」であり、「日本軍を秩序ある集団と描くことからくる物語のリアリティの消失」を指摘し、「人間愛が観念として処理されている」とも言い、「ビルマ人やカチン族に対して一種の蔑視がある」とも指摘する。だから「文章はすぐれているが健康でない」と言い、確かに「少年読み物の秀作であるばかりでなく、戦後文学の代表作の一つであろうと思う。しかし、その根本にひそんでいる人間蔑視と、一種の頽廃思想とは、それとして指摘しておかなくてはならない」と。
強烈な批判が登場したものである。この批判を境に多くの批判がたくさん出てくることになる。
そういう批判を見ながら、上野瞭さんは、本当にそうだろうかと疑問を投げかける。この作品はそういうふうに批判されるだけのものだろうかと。上野さんは、鶴見俊輔さんらが書かれた「大衆芸術名作百選・解説」の中に、この作品が鞍馬天狗や宮本武蔵と比べられ「戦争を悔いた元兵士が、戦後に敵味方の死者の苦境をとむらうために、僧侶となって戦場をめぐる話。熊谷次郎直道以来の、日本の大衆芸術の回帰的主題を、東洋との連帯の上にくりひろげた少年教養小説である」と書かれている評価を引用し、そういう見方に共感を示した。
 そしてその上で、上野瞭さん自身の批判を加えることになる。その批判点は4つにまとめられている。要点はこうである。
1 国家を不動軸にした。
戦争に駆り立てた国家のあり方を問う視線が希薄である。「戦闘集団としての軍隊」を描きながら、それが「天皇の軍隊」であったことが描かれていない。「歌う部隊」がひたすら歌うのは「埴生の宿」や「からたちの花」であって、決して「軍人勅諭」を歌うところは描かれていない。
2 戦争責任を天皇制や国家機構ではなく、日本人一般、人間の問題にすりかえた。
最後の水島の手紙に「わが国は戦争をして、敗けて、苦しんでいます。それはむだな欲を出したからです」という下りを見てもわかるように、「国の苦しみ」のようなイメージと、「ひとびとの苦しみ」があまりにもあっさりと重ねられすぎているところがある。「国の苦しみ」を生んだのは、人々ではなく、国家や国家機構なのに、それが「われわれの欲」のようなものと比較されている。
3 戦争責任を無力な個人に還元する。
戦争は「われわれが犯した罪」なのか。国家が犯させた罪なのか。もし、国家や国家機構を問わなければ、戦争で殺したり殺されたりしたことの責任は、そういうことをしてしまった個人の兵士の責任になってしまう。「兵士」は本当に「加害者」なのか。国家エゴイズムの「被害者」でもあるのではないか。どうして兵士たちは、「水島上等兵の言うように、「犯した罪」意識におののく加害者であらねばならないのか」と上野瞭さんは問う。
4 水島一人で責任をとるやり方。
上野瞭さんが最も問題にするのは、やはり作品のハイライトの設定である。作品では、戦争の責任を水島上等兵個人の心の葛藤の問題にしてしまい、その責任を水島上等兵がたった一人で引き受けるように描かれていた。それは問題ではないかと上野瞭さんは考え、こう書いていた。
「作者が、みずから対峙すべき国家の問題を、水島上等兵の内面での自己対決に置きかえたことによって、読者に、一つの欺瞞の善を提示したことにもなるのだ。すなわち、読者は、一身に責任をかぶった水島上等兵の言動に感動し、共鳴し、さらに、そうした生き方に同化しようと考えて、そして、そのことが、ヒューマニズムであり、戦争を憎み、平和を祈念し、意志することになるという考えに行きつくこと、これは真の戦争責任の果たし方でもなく、一つの錯誤にみちた「戦後」の出発の仕方だったと言えるのである。」
上野瞭さんのこの長編評論が「戦後児童文学の不幸なる起点ー『ビルマの竪琴』について」と題された理由は、これで少しはおわかりいただけただろうか。

3 村瀬学は『ビルマの竪琴』をどうみるのか

 私が今頃になってこの『ビルマの竪琴』を考えようと思ったのは、上野瞭さんの最初の批評活動をとらえ返すという課題もあったが、もう一つ動機があった。それは『現場の学問・学問の現場』世界思想社2000.12をペラペラめくっていたら、その中に偶然、山中速人「ポスト・コロニアリズムと映像批判ー映画「『ビルマの竪琴』と大衆のまなざし」ー」という論が目に入り、立ち読みしているうちにめらめらと気持ち悪さが出てくる体験をしていたからである。
山中速人さんは映画『ビルマの竪琴』を取り上げ、この映画がいかに現地を無視した、日本人のご都合主義でできているかを指摘し、相手のミャンマー(当時のビルマ)の人にどう見られるのかを考慮していないと批判する論考を書いていた。つまり今流行の「植民地主義の後を考える(それを「ポスト・コロニアリズム」と呼んでいる)」発想の批評である。彼はその論考で、この映画『ビルマの竪琴』のいい加減さを指摘するために、現地の人たちにこの映画を直接に見せて、その反応をインタビュー形式で聞いたものを紹介している。現地の人は、ミャンマーの僧侶はあんなふうではないとか、当時の日本兵はあんなふうじゃなかったとか、そんなことを口々に言い合い、それを山中さんは拾い集めている。そういう「現地の人の批判の声」を集めて、だからこの映画は日本人が勝手に作った「ビルマの映画」であり、「ミャンマーの事実」からかけ離れている。そういう追求がいままでなされてこなかったというのである。
 私はあまりのばかばかしい論に、本当に気持ちが悪くなってしまった。一つはこの今流行の「ポスト・コロニアリズム」と呼ばれている批評の横柄さへの気持ち悪さである。やたらとかつての植民地の問題を取り出し、さまざまな現象をそういう問題にむすびつけてゆく。そして、そういうことに気が付いていない君らは、何も問題を見ていないというような態度の批評を展開する。こういう批評家の、いかにも自分は「正義の味方」なんだというポジションに立って物を言うあり方はホント気味が悪くてしょうがない。
具体的に山中さんの論で、気味の悪い所を言えば、映画『ビルマの竪琴』を「現地の人」に見せるのに、全体は長すぎるというので、「現地の人」にかかわるところを5カ所だけ選んで見せて感想を聞く下りである。映画の全体も見せもせずに、部分だけを見せて感想を聞くなんて、まるで映倫が、裸のシーンだけを見てその映画の善し悪しを言うようなものじゃないかと思ったものだ。
 なによりも気味が悪かったのは、映画をドキュメンタリーというか記録映画のように見ようとしていることだった。そして「日本人」は「現地」をちゃんと見ていないし、ちゃんと紹介できていないと批判する。いかにも「現地」の立場に立った「ポスト・コロニアリズム」風の視点。しかし、こんな視点がちゃんちゃらおかしいのは、映画が映画として見られていないところにある。
そもそも「現地」とは何なのか。映画や作品にとって「現地」とは何なのか。もし地理的に離れた場所が「現地」だとしたら、時間的に離れた場所も「現地」である。今の「ミャンマーの現地」と「50年前のビルマの現地」が違っているように、「現地」などというものが、そんなにわかりやすく存在しているわけではない。
もし、つねに「作品」の「現地」が「問題」になるとするのなら、たとえばまず身近な日曜日の大河ドラマの設定から「問題」にしてもらいたいものだ。本当に「現地の信長の時代」ではあんなふうなしゃべり方や立ち振る舞いをしていたのか、そういうことを「問題」にしてみろと思うのだ。映画『山椒大夫』は、かつての人身売買をちゃんと反映させていたのか、風習や風俗は間違いがなかったのか。しかし、いくら時代考証に注意を払っても、誰も織田信長の時代を見たものはいないわけで、そこには憶測や想像が当然入ってしまうものだ。映画や創作ものは、いつでも「史実」に対しては「間違いだらけ」なのだ。
だからこそ『七人の侍』や『ゴジラ』や『ビルマの竪琴』は映画であることを忘れてはならないのではないか。映画の中で起こったことを史実のように語ることには何か倒錯があるのではないか。子どもにしろ、大人にしろ、映画に見るものは「映画の現実」でしかないはずなのだ。
そこで私の『ビルマの竪琴』の感想を言わなくてはならないのだが、私の感想はいたって簡単だ。『ビルマの竪琴』は創作物だし、創作物としてみればとてもうまくできている、という当たり前の評価だ。「合唱をする兵隊」なんか不自然だとか、「肩にオウムを乗せた僧侶」などいないとか、「ビルマ」という名称の国は存在しないとか、そういうことを言われれば言われるほど、だから「創作物」でそういう状況が作られるのではないかと私なら思う。『宝島』のジョン・シルバーの肩にオウムが止まっているのはおかしいなどと言った批評家を私は見たことがないが、僧侶の肩にオウムが止まっているのはおかしいなどという批評を目にすると、批評というのはそういうことをあげつらうものなのかとがっかりする。
ベトナム反戦運動の時、フォークソングや恋の歌がよく歌われた。かつての日本の軍隊が合唱しなかったとしても、どうして創作物の軍隊が歌を歌ってはダメなのか。そんなことを言えば、ミッキーマウスやドナルドダックが人の言葉を喋る話もすべて非現実的で「おかしい」として批判されなくてはならない。
かつて上野瞭さんは、しきりに「文学というのは真っ赤なウソをつくことだ」とくりかえし言っておられたものだ。もし、それが本当にそうなら、上野瞭さんが『ビルマの竪琴』に向けられた4つの批判軸は、どこか作品を歴史の記述のように見なして批判されているところを感じるのは、私だけではないだろう。もし、また上野瞭さんと話し合える時がもてたら、「いやあ、『ビルマの竪琴』はおもしろかったよ、せやけど、あれを史実みたいに考えるんなら、あんな水島上等兵みたいなことはしたらあかんと言いたいな、仲間の弔いは、もっと国と仲間みんなが分け合ってしないといかんものやからな。そやけど、あれは物語なんやから、あれはあれでええんや」というふうに言い直してほしいなと私はと思う。
「真っ赤なウソ」としての文学のレベルで言えば、この『ビルマの竪琴』という作品は、まず「戦争で死んだ人々を弔うということを忘れちゃならんぞ」というメッセージを、他のどんな作品よりもはっきりと単純に伝わるように作られていたと、私なら思います。