じゃのめ見聞録  No,12

 
「戦争」のイメージは、いつから、どういうふうに変わってきたんだろうか
- 「電子戦争」への見方が早く共有されなくてはと思いながら -
 1
 太平洋戦争を体験した人にとって、「戦闘」や「空襲」、「疎開」や「貧困」、「死」や「飢餓」などは生々しく、その強烈なイメージをもとに「戦争」というものを「考え」てこられたと思います。
「ベトナム戦争(1975.4.30親米政権崩壊)」の時は、私は学生でしたが、「ベトナム」で「戦争」が起こっているんだということをは、「頭の中」だけでしかわかりませんでした。「ベトナム戦争反対」というデモでも、どういう「戦争」が「ベトナム戦争」なのかがいまいちわからずにいました。言葉でしか「戦争」のイメージがつかめないところにいたからです。
 私がはじめて「戦争」というものを、「生々しく」経験したのは、もっと後の「フォークランド戦争(1982.4.2ー6.14)」と呼ばれる、アルゼンチンとイギリスのわずか1ヶ月半の「戦争」の時でした。これは、テレビで、戦闘の様子が「同時中継」され放映されたからです。特に、ミサイルが撃ち込まれる様子が、まるで「テレビゲーム」のようにお茶の間に届けられていたからです。この時の「生々しさ」の感覚は、かつての太平洋戦争の「空襲」や「疎開」の生々しさのようなものではありません。そうではなくて、リアルタイムで「テレビで戦争を見る」、ということの「生々しさ」のことです。
 こういうことは「ベトナム戦争」の時には、ありませんでした。「ベトナム戦争」は、「従軍記」や「カメラの記録写真」や「記録映像」などで「あとから」見たり読んだりして知るものでした。ところが「フォークランド戦争」は違っていたのです。「今」起こっていることが、「今」テレビで見ることができるものとしてあったからです。撮影者が従軍記者として兵士の後ろに這いつくばって移動し、空中からミサイルの命中する様子が別のカメラで撮影さて、それが、まったくリアルタイムで放映されていたわけです。「戦争が電子化されて」きていたんです。
 私は当時本当にびっくりしました。こんな映像を見ていていいのだろうかと、本当に心配したことをよく覚えています。お前は茶の間で「戦争」を見ているんだぞ、というような、声にならない声で脅かしを受けているようでしたから。この妙な「生々しさ」は「ベトナム戦争」の時には感じなかったものでした。「ベトナム戦争」では、「戦争」は何かしら「頭の中」で考えているしかないようなものだったからです(もちろん、私が当時学生だったという幼稚さにも関係があるんだと思っています)。
でも、この「フォークランド戦争」を境に、現代の「戦争」のイメージが大きく変わっていったということを、後になって知ることになりました。やっぱりな、と思いました。あのたった1ヶ月半の戦争だったけれど、あの映像に感じた異様な雰囲気は、やはり「理由」があったんだということに、後で気が付くことになりました。それが「戦争」の「電子化」というプロセスだったんです。

 2
 話は10年前の「湾岸戦争」のことになりますが、この時に、ボードリヤールという人が三つの文章を書きました(『湾岸戦争は起こらなかった』塚原史訳 紀伊國屋書店1991.7)。その三つの題がとても変わっていて、当時の人々の関心を呼びました。
当時の「戦争」が起こった経過は、次のようなものでしたが、三つの文章は、この経過にそって、こういう題で順番に発表されてゆきました。
   1990年8月2日イラクがクウェート侵攻。
        1月4日「湾岸戦争は起こらないだろう」
   1991年1月17日多国籍軍イラクに空爆開始。
        2月「湾岸戦争は本当に起こっているのか」
   1991年2月24日地上戦突入。
   1991年2月26日クウェート解放。
   1991年2月28日ブッシュの勝利宣言、停戦。
        3月29日「湾岸戦争は起こらなかった」
 湾岸戦争が起こるのか、起こらないのか、ということを巡って、1990年の12月から翌年の1月のはじめにかけて、マスコミや知識人がいろんな憶測をしゃべり合っていました。そんな時に、ボードリヤールは「湾岸戦争は起こらないだろう」という文章を発表しました。その10日ほどのちに、実際に戦争が始まってしまいました。彼の「予想」は外れたわけです。そして次ぎに、その戦争の最中に、彼は今度は「湾岸戦争は本当に起こっているのか」という題の文章を発表しました。戦争が起こっているのに、です。そして、戦争が終わった後に、彼は今度は「湾岸戦争は起こらなかった」というだめ押しの文章を書きました。
 私は、当時のことをよく覚えていますが、いろんな人の書いた文章の中で、彼の書いたこの三つの文章が、最も心に残るものでした。
 最初彼が新年明けに「湾岸戦争は起こらないだろう」を書いて、その後で実際に戦争がはじまった時に、彼が「判断」を間違えていたと笑った人がいたそうです。事実は、そういうことではなかったんです。三つの文章はそれぞれこんなふうに始まっていました。

 「湾岸戦争は起こらないだろう」
 はじめから、この戦争が存在しないだろうということを、人々は知っていた。熱い戦争(暴力による紛争)のあとから、冷たい戦争(恐怖の均衡)のあとから、やってくるのは死んだ戦争ー解凍された冷たい戦争ーだ。
・「湾岸戦争は本当に起こっているのか」
 入手可能な材料だけにもとづくなら(戦争の実像はほとんどなく、注釈ばかりが氾濫している)、われわれは宣伝のための巨大なテストに立ち会っているのではないか、とさえ考えられるほどだ。
・「湾岸戦争は起こらなかった」
 今度の戦争は、始まる前から終わっていたようなものなので、ほんとうに存在していたとしても、それがどんなかたちをとっていたか、決してわからないだろう。本当に闘うつもりで、戦闘に参加したイラク兵がひとりでもいたかどうか、ほんとうに敗北するつもりで、戦闘に参加したアメリカ兵が一人でもいたかどうか、誰もわからないだろう。

 ボードリヤールは何を言っているのかというと、かつての国と国との戦い(第一次世界大戦)があったときは、どちらかが勝つための「熱い戦い」が繰り広げられていました。ところが、ソ連ができてから、国と国の戦争の背後には、かならず大国米ソの戦いの構図がつくられ、「戦争」といえば、基本的には大国と大国の代理戦争でしかないようなものになってゆきました(冷戦)。ところがソビエト崩壊(1991.8.26)の少し前から、かつての米ソ対立の図式が壊れていて、大国同士の冷戦が起こりえなくなってしまったのです。あの日から、それまで「戦争」と呼んでいたようなスタイルの戦争は、存在しなくなったのです。
 なぜかというと、米ソ対立の図式が壊れたのちに、軍事的には主立った大国が「世界連合」しはじめたからです。そうなると、どこかで「紛争」が起こっても、「世界連合」対「小国」という図式になり、はじめから大人と赤子の戦争のようになり、お話にならない戦争、つまり戦争にはならないような戦争になる事態が起こってきたのです。
 それがわかっていたボードリヤールは、イラクへの多国籍軍の戦闘行為を「戦争」と呼ぶべきようなものではないと考えたのです。事実、「世界連合」化した各大国は、高度な戦略情報を一手に掌握し、たらいの中の金魚を追い回すように、軍事衛星からすべてをお見通しの目をもち、手持ちの武器を好きなところに、好きなように使いまくることをしはじめたのです。それは「戦争」と呼んではいけないような、あまりにも一方的な落差のある「戦い」でした。赤子の手をひねるのに、金属バットを振り上げているような構図です。でも、膨大な軍事費をつぎ込んで、開発に開発を重ねてきた手持ちの武器を使うには、そういう状況を「戦争」と呼ばなくてなりません。「戦争」なんだから、どんな武器も使うことが許されるからです。
 こうして、「湾岸戦争」当時も、莫大な軍事費が湯水のように消化されました。多くの人の税金が均等に使われることなく、こういう機会に一気に特定の分野や人々のために使われ、結局、大国の方が自国の軍事産業を焼け太りさせ、豊かにするようなことをさせてきたのです。そして、おろかにも「世界連合」と争った「小国」は、みじめに徹底的に破壊されてきたわけです。ほんとにおろかしいことです。
 それで、ボードリヤールは、繰り返し「本当に戦争は起こっているのか」「戦争が起こっているように宣伝されているだけではないのか」と訴え、「戦争なんか、起こっていないんだ」ということを主張し続けたのです。
 私は、このボードリヤールの言い分が最も心に止まったのは、「戦争」の見方を変えなくてはいけない時代に入っているんだということを、よく意識させてくれたからです。


 このことを踏まえて、こんどの「アフガン・戦争」を見た場合、同時多発テロの直後ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と言った意味が、よく見えてきます。本当は「戦争」ではなかったかもしれないのに、あのブッシュの一言で世界は「戦争」を意識し始めました。ブッシュはさすが、「戦争」というだけではまずいと直感したんでしょう。続けて「正義の戦争」なんだというふうに言い換えました。ともかく、「戦争なんだ」ということにしたかったわけです。
 でも、こんどの同時多発テロを、「戦争」の相手国になる「アフガニスタン」の人々の、いったい誰が望んでいたのか、というと、ほとんどの人々にとっては寝耳に水の話であったはずなんです。事実、10月に入っても、アメリカで多発テロ事件が起こったことすら知らないアフガンの人がたくさんいたことがインタービューでわかっています。でも、世界では、「アフガン」がアメリカに戦争を仕掛けたという構図がつくられ、結局「アフガン」全土を、爆弾をばらまく「戦場」に、あるいは新型ミサイルや新型爆弾の実験場にすることを、正規に世界中に認めさせてしまうことになったのです。かつての日本が原爆の実験場にされたようにです。
 でもなぜそんなことが、許されてゆくようになったのかということです。そのプロセスが問題です。
 それが実は「映像の力」なんだということを、私は言わなくてはいけないと思ってきました。「電子戦争」の姿です。アメリカで同時多発テロが起こり、その映像が繰り返し使われたということは、すでに書いてきました。
 実際には、あの残虐非道なテロに怒りをぶつけない人はいなかったと思います。罪もない人がなぜ殺されなくてはならないのだと、と。でも、もしその思いが誰にでも共有できるものなら、アフガンで罪もない人が誤爆で大量に殺されることも、同じようにかわいそうなことなのです。アメリカ人の死が「かわいそう」で、アフガンの民衆の死は「しかたがない」と言えばおかしな話になってきます。テロ側の論理と同じになるからです。テロリスト達は、アメリカへの攻撃を正当と考えているわけですから、そのために巻き添えになって死んだ人は「しかたがない」と考えているからです。
 でも、テロリスト憎しの感情は、マスメディアで増幅され、「アフガン全土」への攻撃は「やむおえない」という動きになってゆきました。「悪漢」対「正義の使者」という構図の大安売りです。そして、テレビで連日のように「戦果」が放映されると、それを「楽しみに」に人々は「戦争」を「見せ物」のように心待ちにして見るという図式ができてゆきます。
 そして「戦争」というものがそういうものに変わってきていることに、だんだん気が付かなくなってきているのです。かつての太平洋戦争下でも、大本営発表の「戦果」に一喜一憂されたことがありました。でも、今では、テレビの前でお菓子を食べながら、「観戦」するようなものになっているのです。一喜一憂ではなく、一喜一喜なんです。
なぜ、そんなことが可能なのかというと、「世界連合」は、膨大な軍事予算で、さまざまな無人の攻撃兵器を開発し続けてきたからです。いざ「戦争」と名目が立てば、この無人のテレビゲームのような兵器を使って、攻撃するものですから、「味方」は誰も死ぬ心配がない。一憂することがない。「味方」の「安全」が保障されているのだから、お菓子を食べながら、サッカーの試合を見るように安心して「観戦」することができる。
 でも、裏を返すと、「味方」に死者がでないという「戦争」は、相手が確実に「殺される」ということです。湾岸戦争の時でも、砂漠に延々と続くイラク兵の死体を撮影することは許されませんでした。「電子戦争」で無人の武器をを使う多国籍軍と、銃や戦車くらいしか持たないイラクの兵士とでは、はじめから勝負にはならず、イラクの兵士が全部殺されるしか道はなかったのです。
 こんどのタリバンとの戦闘でも、結局は、次々に殺されてゆくのは、ジハード(「聖戦」)という魔法の言葉にあやつられる、貧しい武器をもったタリバンの兵士たちなのです。それはかつての聖戦と玉砕を叫んでいた日本兵にそっくりではありませんか。
でも、「戦争」は、もはやそんな「人間」同士が闘うような形をとってはいないんです。90パーセントは、衛星が監視する視野の中で、無人カメラと無人の攻撃機が、大型スクリーンの中で実践する電子戦争になっているんです。
 そういう状況になっていることがわかってきたから、残虐非道なテロリズムも考案されてゆくのではないかと私には思われます。「電子戦争」にも「盲点」があるからです。それは、未来の兵器はすべて「電気=電子」を使って動くというところにあります。、弱点は、その電子回路が破壊されることです。電気がストップすれば、近代の武器は、全ては動かなくなります。
 でも、世界に「不平等」が続く限り、どこかでその怨念は「テロ」の形をとってあらわれる可能性のあることを私たちは、忘れてはいけないと思います。そういう「テロ」の定義で、私のもっとも感心したのが、次のような定義でした。

 テロリズムは、国家主義にのみ結びつく行動ではなく、政治にのみ特有の現象でさえない。それは、人間存在のもっと奥深い衝動とひろく結びついた行動であり、一般的にいえば、人間の生衝動そのものに根源的にねざした行動とさえいえるはずである。人間という恐るべき生物が、絶対的な自己表現にかりたてられる場合に、しぱしぱ選択する手段の一つといってよい。そして、人間が絶対の意識にとらえられやすい領域の一つが宗教であり、他の一つが政治であるとするなら(もう一つ、エロスの領域があるが)、テロリズムは、その二つの領域に同時に相渉る行動様式の一つとみることもできるであろう。そしてまた、それが人間行動の極限形態として、自殺と相表裏するものであることが認められるとするなら、その両者の様式を規定するものとして、テロリズムの文化形態ということを言ってもかまわないであろう。
     橋川文三「昭和超国家主義の諸相」(『橋川文三著作集5』筑摩書房)

  これは実は鶴見俊輔さんらの編集した『ちくま哲学の森別巻 定義集』筑摩書房1990の中の「テロリズム」という項目で見つけたもので、その後で元の本を読むことになりました。これは良い定義だと思います。でも、とってもおそろしい定義でもあると私は感じます。