じゃのめ見聞録  No,11

 
アフガンの戦争について   ―ニュースと映像と事実との間で―
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 11月12日(月)の夜に、再びニューヨークでドミニカ行きの旅客機が墜落しました。私は東京のホテルでニュースを聞いていて、テロならアメリカのニュース屋やさんがもっと騒ぐのに、2時頃まで見ていて報道の仕方がだんだん「事故」の報道に切り替わっていったのを感じて、寝ました。ところが、翌日のホテルの新聞を見て、びっくりしました。読売新聞が7頁もさいて、延々とテロではないかという記事を書いており、朝日新聞も5頁にわたり、同じようなテロとの関連を示唆する写真入りの記事を掲載していました。ところが家に帰り毎日新聞を見ると、「事件」はわずか第一面だけに大きく取り上げられただけで、あとは最後のページに関連記事として4分の一ほどの記事が書かれただけでした。テロの可能性が薄いと判断されていたからです。私も昨夜の外国のニュース報道のされ方を見ていて、当然こうあるべきだと思いましたし、さすが毎日新聞だと感じました。
 これは、たまたま毎日新聞が冷静な報道をしたというのではなく、ふだんからの毎日新聞が、自らの新聞報道の報道の姿勢そのものを反省するシステムを新聞紙上に持つ試みをしているからだということの説明をして、その一つの例として「11月6日の19面「開かれた新聞」のコーナー」をプリントし、説明させてもらいました。
そこでの事例は三つ。1、「ビンラディン氏」の「氏」付けの根拠は何か」。2「アフガンで左足を失った少年の写真報道訂正記事の掲載をめぐって」。3「SMAP稲垣吾郎さんの呼称問題」でした。三つとも興味深い事例でしたが、主に、「ビンラディン氏」の「氏」付けの根拠は何か」をめぐって問題の所在の説明をしました。
 「氏」をつけるか、つけないかは、何でもないような事に見えますが、自分が知人との会話の中で「抵抗」なく「ビンラディン」に「ビンラディン氏」とつけて呼ぶかは、難しい問題です。大袈裟に言えば、その人の「思想」というか「建前」が問われるような面もあるからです。理由は二つあるように思われます。
 一つは、犯人と分からないうちは「氏」をつけるというメディアの立場と、もう一つは、そもそもテロの原因となったイスラエルとパレスティナ対立の構図の、そのパレスティナ問題代弁者の「象徴」として彼の存在を意識して、だから「氏」をつける、という立場があるからです。
 きっと一つ目の立場に立てば、永遠に彼を「氏」付けで呼ばなくてはならないかも知れません。でっち上げの証拠が出ない限り、明白な証拠を彼らが残すようには思われないからです。でも、「テロ」が現実に起こり、1万人近くの死傷者が出た今回の事件を前にしたら、その非道なやり方に怒りを覚えない人はいないわけで、たとえビンラディン本人が「犯人」ではなくても、その組織が関与していることが「わかる」範囲で、彼を「ビンラディン氏」と呼び続けることは、心情的にはとっても無理が出てくるでしょう。
 こういうことを「考えること」がむずかしいわけで、日常生活をおくるものにとっては、回りくどく、建前で、考えるのではなくて、さっさとわかりやくす理解し意思表示したいわけです。つまり、証拠があろうがなかろうが、テロを計画し実行した連中がいるわけで、そいつらへの「怒り」をどこかではっきりと出したいわけで、その出し方が、「ビンラディン氏」を「ビンラディン」と呼び捨てするようなささやかな行為で表しているところもあるように思われるからです。
 だからテレビで、ニュースキャスターが一日何十回と繰り返す「ビンラディン氏」という言い方が耳障りでしょうがなく、さらに新聞で「ビンラディン氏」と毎日書かれると、「抗議」したくなるのも、わからないわけではありません。誰だって、証拠がないのに「犯人」扱いすべきでない、などというようなこと(建前)はわかっているわけです。でも、そんなことをいっていたら、自分たちの怒りをどこで出せばいいのか、出せるところがないじゃないかと、一般の人たちはきっと感じていたんだと思います。
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 あと、会場でお話ししたのは、今回のテロが、「自爆テロ」という形態をとった特殊なテロであって、これは1970年代の日本の学生がアラブに教えた攻撃の仕方だったということと、それが戦時中の「神風特別攻撃」の血筋を引いているという意味を考え併せると、今回のテロと日本は無関係とも言えないんではないかという主旨の話をしました。アラブでは「カミカゼ」というカタカナ言葉が「特攻」という意味で通用していると聞いています。
 今回は、こういう「自爆テロ」が「映像」として全世界に発信され、「ビンラディン憎し」という気分の元に、一気にアフガン空爆に入っていったという経過について、疑問符を投げかけました。「映像」が、人々の気持ちをかきたてるというか、「倫理的な感情」を創り出すということについて話をしました。
 その一例として、かつての「神風特別攻撃」の実行者となる学徒出陣を準備した1943年10月21日の神宮外苑競技場での「出陣学徒壮行会」の様子が、当時9台のカメラで撮影され「映像化」され、「177号ニュース」として全国に発信され、人々がその映像で「学徒出陣」を支持し「戦意」をかき立てられていったことを話しました。「戦争」について「映像」の果たす役割の深さにいくらかでも注意が向けてもらえたらと思ったからです。
 それから、今回の「アフガン空爆」の不思議さについても話をしました。
 素人が考えても・・という次元で話しをしたのですが、今回の「テロ報復戦争」の始まりに当たって、アメリカの大統領や軍部が口をそろえて、「この戦争は何年もかかる困難な戦争になる」と言っていたことでした。その例に、かつてのベトナム戦争やソ連と交えたアフガン戦争(1979ー1989)のことを例に挙げていたのですが、これは奇妙な例でした。かつてのベトナム戦争やソ連と交えたアフガン戦争が長引いたのは、まわりや背後に支援する国がたくさんあったからです。でも、今回の「戦争」では、「タリバン支援」をする国がどこにもないのですから、弾薬の補給や食糧の補給なども、タリバンはまったくしてもらえないわけです。それに、使う武器は旧式のソ連の武器であり、空軍もなく、偵察衛星もなく、はじめから戦争の状況は、「赤子と大人」ほどの違いがあったことは明白なのです。
 事実、似たような出来事を振り返ってみますと、かつて1991年1月10日からはじまった「イラク湾岸戦争」では、1月17日から「空爆」が開始され、戦争が終了したのは2月28日でした。たった28日間の戦争だったのです。それでイラクの完敗の戦争となっていました。なぜなのか、どこの国もイラクを支援しなかったからです。今回も状況は同じだったのです。
 ところが今回アメリカは、「敵」が「てごわい」ことをマスコミで何度も表明し、結果的にものすごい量の爆弾を投下することに踏み切ったわけです。でも、あの大量爆撃が、アメリカの抱える爆弾の在庫処理であるように見えなくて、どう見たらいいのでしょうか。それから、原爆に次ぐ大量殺戮兵器としての大型爆弾の投下をはじめ、多くの新型ミサイルや爆弾の攻撃が行われたのも、アフガンをまさに近未来の兵器の開発の実験の場にしているように見えたことはどうしても否めません。不必要な「攻撃」が行われているように見えたことは、どこかでちゃんと意識しておく必要はあったわけです。
 アメリカはきっと、「タリバン」を潰すのだと思っているのでしょうが、一口に「タリバン」と言っても、その多くは民兵で、この「戦争」に「聖戦(ジハード)」を感じさせられて参加した人々なんです。いつの時代の戦争でもそうですよ。かつての「日本兵」だってそうだったではないですか。実際の職業軍人などは一握りで、多くは寄せ集めの市民兵です。そういう人々をいくら大量破壊兵器で殺戮しても、それは許させる「戦争」ではないのです。
 今回のアフガン戦争で一番似ているのは、太平洋戦争下の「硫黄島攻防」のようなものではないでしょうか。孤立した島で、どこからの援軍もなく、ただただ大量の爆撃を受けつづけるという戦争です。当時の記録では、昭和20年2月19日、米軍は艦船450隻で硫黄島を取り囲み、一斉砲撃を開始、10分で8千発を打ち込み、B29爆撃機62機が600トン、B24爆撃機100機が200トンの爆弾を投下、さらに戦闘機120機がナパーム弾を投下したと言われています。、
海路も空路も絶たれた島は、「勝てる当て」などないわけで、死守などと言っても洞窟で餓死するしかないような戦場だったわけです。そんな「日本兵」を、米軍はただ「殺戮」のためだけに、そういう大量「爆撃」をしているだけだったのです。残酷な話です。
 私の言いたいのは、「戦争をしたくない兵士」を殺すなということです。「空爆」は、そうした「戦争をしたくない兵士」や「民間人」を、それこそ無差別に殺害してゆくわけです。それを「許されるべき報復」だと考えるのは、間違っていると思います。
 私は「戦争は絶対してはいけない」という人の空論を支持しょうとは思いません。もし日本がどこかの国に攻められるようなことがあれば、きっと私も銃をもって闘うだろうと思うからです。「避けられない戦争」があるんだと思います。歴史はそれを教えているからです。問題は「避けられない戦争」ではなくて、「不必要な戦争」を実行しょうとする場合です。いま世界各地で戦争反対のデモが行われているのは、こんどのアフガン戦争に「避けられない戦争」だけではなくて、「不必要な戦争」の要素がたくさん見えているからだと思われます。
 私自身は、今回の「無差別殺戮テロ」を実施した組織「アルカイダ」への攻撃は、避けられない事態だと思っています。この攻撃までを否定するような脳天気な平和主義者になることはできません。けれども、その攻撃に乗じて、本当に不必要な爆撃を繰り返すのは、それは昔からの「殺戮の戦争」だということは歴史から学ばないといけないと思っています。
 もちろん「良い戦争」と「悪い戦争」があるわけではありません。「戦争」は、仕方なくしようが、喜んでしょうが、殺し合いであり、どんな理由をつけても「良い戦争」や「正義の戦争」などといったものがあり得るわけがありません。そういうことはわかっていながら、家族や我が身や祖国を守るために、「避けられない戦争」に参加する事態が起こることがあるんだと私は思っています。そういう思いは、戦争肯定の発想ではないのです。
 『幸福論』岩波文庫を書いた私の大好きなフランスの哲学者アランは、フランスを守る第一次世界大戦に一兵士として出兵し、その戦場で考えたことを『裁かれた戦争』小沢書店という本に残しています。そこで彼はこんなことを書いていました。

 「戦争に行く者は皆強制されてゆくのだ。ただ憲兵にせきたてられる前に行く者が多いだけのことである。私はそれら一切の人々  に同情し、大多数の人々のあきらめの良さと行儀の良さに感心する。だが、人々が自由に決断を下し、祖国に進んで身命を捧げた のだと感心することはできない。」(白井成雄訳)

 「タリバン」にも「日本兵」にも、そういう多くの「嫌々兵」がたくさんいたわけで、そういう家族をもつ人々を大量に殺すような戦争の  仕方を、肯定してはいけないのだと私は思っています。

 追記
 この日のフォーラムに参加された方で「神宮競技場のアルプススタンドにあの日わたしおりました」と衝撃的なことをおっしゃっていただいた方、どなたなのかわかりませんが、ぜひ村瀬にご連絡下さい。当時の球場を映した貴重な映像のビデオをダビングしてお渡しできるように用意をしておきます(次会12月のフォーラムに持ってきておきます)から。スタンドの映像の中にあなたが写っているかも知れません。