じゃのめ見聞録  No,10

 
 さようなら「日本倫理学会」さま
−ふしぎな第52回日本倫理学会に参加して−

 私は、今回の大会の報告の中で、「アメリカ貿易ツインビル崩壊の映像」の話をしました。
 「倫理」というものが、「映像」の読み取り作業と密接な関係があるのではないかという主旨のもとにです。
特に、あの「ツインビル崩壊の恐ろしい映像」は、世界中の人が驚愕しながら見続けたもので、何が起こっているのか誰もよく分からないままに、あの信じられない映像を、日本の中学生、高校生も見ていたわけです。
 しかし、あの「映像」は、一方で「まるで映画を見ているような」「すごい映像」「みごとな映像」として、あの日の当日から、分析され、紹介されてきたものでした。それを私は「美的な映像」として見られていたとも表現しました。
 「映像」が、一方では「倫理的」に、でも一方ではとても「美的」に受け止められる、という状況の中で、あのおぞましい「ツインビル崩壊の映像」は、さまざまな角度からくり返し再放送されました。
 そして結果的に、アメリカは、あの「ツインビル崩壊の映像=事件」を四六時中流すことで、アメリカ人の憎悪や復讐心をかき立て、育て上げ、ブッシュ支持率90%を創り出しました。その過程で「アメリカの復讐の倫理」が形成されたわけです。
 日本人も、同じ映像を、同時に見続けていたのですが、それははじめは「アメリカの事件」として見ていたのに、年輩の人なら、ある時ふと誰もが気が付いたのです。あれが「特攻のテロ」であったということに。
 「特攻」は、もともとは「日本のある倫理の形」であり、それが70年代の日本の過激な左翼によって、アラブのゲリラに伝えられたものであり、その発想が、あのおぞましい「ツインビル崩壊の映像」として現れたわけで、あの目を背けたくなる映像の中には「日本が作った倫理」が関係しているということも、読みとることができるものです。
 そして、実は日本政府も、あの「映像=事件」をフルに使うことで、「参戦国」の「倫理」を着々と作ってゆきました。
 これが、10月6.7日の日付のもつ「日本の倫理的な状況」でした。事実、その7日夜の真夜中、日本時間8日AM1:30分頃、アメリカがアフガニスタン攻撃に踏み切ったというニュースが流れました。「戦争」が始まったのです。まさにそのど真ん中で「日本倫理学会代52回大会」が開かれていたわけです。

 私は、これが、いま最も熱い問題であり、学生達も何が起こっているのかわかないままに関心を持って見ているものであり、この「映像=事件」を見ることをきっかけに、一人一人の中にさまざまな姿の「倫理」が意識され、みんなの中に無意識に共同の倫理が作られてゆくのではないか。じつは「倫理」というものは、そういうふうな「映像」を読みとることの中で作られてゆくのではないか、という、問題提起をしました。
 というのも、かつて「日本の特別攻撃隊の倫理」が形成されたのが、あの1943年10月21日の「出陣学徒壮行会の映像」を、全国に「177号ニュース」として流すことによってでした。
私は、そういう「映像」が「倫理」になってゆく姿を、問題にし、そういうことに「倫理」を教えるものは、自覚的であらねばならないのではないかと思ったのですが、何のことか、「学会」としても、フロアーからも、「この問題」について何のリアクションも出されませんでした。
 あれほど、かつての戦時中の倫理や戦後の倫理が問題にされてきたはずなのに、いままさに再びそういうことが問題になろうとしている最中に、「学会」は、何が世の中で起こっていても、どこ吹く風というように、淡々と予定の議題だけを消化するのに、一生懸命になっているように見えました。それが、まさに日本の「倫理学の質」が出ているんだと思いました。がっかりというのか、やっぱりというのか、腰が重いというか、じっと止まっているというか、動きながら考えないというか、くそ真面目というのか、ふざけているというのか、世間知らずというのか、偉そうなことばかり論じているというのか、時代音痴というのか、・・・形容する言葉が見つかりません。
 あとになれば、歴史は、あの「9.11事件」を整理してくれるでしょう。そうなってから、ある倫理学者は、「戦時中の倫理」と「9.11事件」の倫理を比較検討するようなりっぱな論文を発表するかもしれません。もちろん「歴史」になったり「ほとぼりが冷めたり」してから、それを論じるのも良いスタンスかもしれませんが、「倫理ガク」っていうのは、ほんとうにそんな、骨董屋の仕事なんでしょうか。予定の議題にないような、目の前に出現したタイムリーな議題は、「倫理ガク」では扱わないということなのでしょうか。そんなものは、「一人一人」が密かに考えることで、「みんな」で考えることではない、ということなのでしょうか。
 それにしても、今回の「学会」では、しきりに「倫理学者としてちゃんと考える」という言い回しがひんぱんに飛びかっていましたが、とっても空虚な言葉でした。あれは「現実に起こっているものを通して考える」という意味ではなくて、「文献を通して骨董屋として考える」ということなんでしょうか。

 今回の倫理学会の犯した過ちの最大のものは、共通課題が「教育の場に求められる倫理とは何か」というもので。いまの中学生や高校生が突き当たる問題を、大学で倫理や教育を教える先生にも、一緒に考えてもらいましょうという、開かれた発想の学会の設定であったはずでありました。なのに、今もっともタイムリーで、ひょっとしたら「全世界規模の倫理」が問われているような状況が出現してきているような、そんな「わけのわかない状況」が出てきているからこそ、教師も学生も共に今起こりつつあることがどういうことなのか、どういうふうに考えたらいいのかを一緒に考えよう、ということを論じてもよかったのではないか。

 でも大会の最後の合同の討議では、フロアーから出たのは「幼稚園や小学生に道徳の授業をしていいのか」というようなことを、めぐる、お熱い応酬でした。「あいさつ運動」を押しつける教師のばかばかしさのようなものを巡る批判で、それは「最低限のモラルの押しつけ」をめぐる熱き舌戦につながってゆくものでした。
 しかし、そんな議論があの大会の場で、必要だったのでしょうか。ふつうの人なら、あんな議論はどうでもいい話なんじゃないですか。「あいさつ運動」を押しつける教師のばかばかしさなんて、小学生なら誰でもわかっているんです。昔から、おとなの押しつける「道徳」の中には、笑ってしまうようなものがいっぱいあって、でも、子どもたちは、そんなものはハイハイと聞くフリをしながら、足で蹴飛ばしながら歩んできたものです。それくらい、子どもはしたたかで、ずるがしこく、要領はいいものです。
 だから、「幼稚園や小学生に道徳の授業をしていいのか」というようなことは、あの状況下の「学会」で、「いい年をした大人(それも倫理学者が)」が、先を争って手を挙げて、マイクの奪い合いまでして論じ合うよなことではなかったのではないかと部外者の私なら思いました。あのやりとりをビデオにして、放映されてごらんなさい、はずかしいです。(司会進行の持田先生は、何とか流れを「正常化」さそうと、盛んに司会の指示に従ってくださいと言われていましたのに、会場は熱い熱気に包まれて、フロアーサイドの「私も一言」の波に押し切られてゆきました。)
 しかし、あの日、あの時、あの場所で、もっと、論じられるべきことがあったのではないか。もし仮にあの場で本当に「最低限のモラルの押しつけ」がテーマになるんだとしたら、今回の10月6.7日の日付をもつ「日本倫理学会」が、その日付の持つ厳しい日本の状況に対して、「日本倫理学会」としての「最低限のモラル」のあり方が問われてもよかったのではないか。そういう時にこそ、ああいう「最低限のモラル」のような言葉使いが使われてしかるべきではなかったのかと私は思いました。

 話は少し戻りますが、もし、今回発表の6日のワークショップで出ましたさまざまなテーマ、「正義論の現在」「倫理の教育」「公民科教育と倫理学研究のつなぎ目」「臨床と応用」といったテーマ、メルローポンティの「ヒューマニズムとテロル」論、レヴィナスの戦争論、ロールズの「公正としての正義」ハイエクの功利主義、「富の公平な分配」と言ったような主題は、あのアメリカ的富の不公平に集中した「ツインビル雄壮の姿」とその「ツインビル崩壊の映像」の間で、再び、論じられてもよかったのではないかとと思います。でも、たとえば、メルローポンティを論じる中から「テロル」への言及もなかったように、ワークショップの発表は、現実との接点がないままに、各自の「勉強の成果の発表」で終わってしまっていたのではないでしょうか。

 私は、あの日再三、あの「ツインビルの映像」は、ただ立っているのではなく、アメリカがどこからか手に入れてきた富・エネルギーによって、そそり立つようになっているアメリカの「勃起」の姿だと説明しました。アメリカのシンボル。しかし、その勃起のエネルギーがどこから来ているのか、とたずねると、それは、アジアやアフリカの地下資源などの利用であることは否定できないわけで、そこで生きる土着の人々の貧しさをそのままにして成り立っている姿であることも見ないわけにはゆきません。
 その「アメリカの勃起」につきささった「日本輸出の特攻の倫理」、この構図が「映像」から読みとれることに「日本倫理学会」が一言ももの申さないというなら、それはどういう理由からなんでしょうか。

 私は、少なくとも、事態の理解が不明瞭になってきている学生達に、今回問題になる「倫理」をどう考えたらいいのか、そのための「緊急動議」があってもよかったのではないか、と考えます。
 「動議」と言いましても、戦争反対の署名を集めるとか、そんなことではもちろんありません。教師も学生も、この「前例のない無差別テロ」「前例のない報復戦争」を前に、正直言って、どう考えたらいいのかわからないことだらけ、といった状況を、そのまま正直に受け止めて、でも「最低限考えたい倫理」のイメージを語り合うことを動議として確認し合うことは必要ではなかったかと思います。
 私は、少なくとも、「乱れ飛ぶ映像」への接し方への注意の喚起は意識的に学会としてされるべきではなかったか、と考えます。

 最後に、異分野から招かれて発言したものとして一言言わせてください。
 私は今回、「ゲスト」ではないにしろ、異分野から招かれて発言するものとして大会に主席しました。この発言するために「会員」になり「会費」を払うようなことをした部分もあります。そして、実際に、異分野から出かけてゆくために、意識的に異分野の言葉使いや異分野のイメージを使って話をしたわけで、それは、結構自分の立場と、倫理の分野の立場の違いを考えながら、話を組み立てる努力のいるものでした。でも、会場からはほとんど反応がありませんでした。異分野からの発言への「最低限のモラル」としての応酬の発言も無かったように思います。
 私としては、異分野からの発表ということで気を使い、のこのこと大阪から山形まで、自腹で飛行機で二日も大事な日を潰して出かけていって、結果的にほとんど「異分野から出かけていった意味」も感じてもらえる機会もなく、「なーんだ、これだったら、会員だけでやればいいんじゃないの」って思って帰ってきました。
 もちろん6日夜の「懇親会」では、会長の持田行雄先生はじめ、主催者の方々から、丁寧に労をねぎらっていただきましたし、一人でおられるのを見て、と言ってしゃべりに来てくだっすった埼玉大学の木村先生(だったと思います)もおられましたし、7日のお昼のお弁当の時に、ちょっとおじゃましていいですかな、と言いながら「テロの映像」のことや「特攻のこと」などを熱っぽく話しに来てくださった先生(名札がありませんでしたから、お名前が分かりませんでした)も、おられました。それからお昼にしきりに、今回の学会で、今度の「多発テロ事件」や「新しい戦争」に向かう世界の動きに、学会として何か声を出さなくて良いのかと、一人で悩んでおられた幹事の金井淑子さんの姿が印象的だったことも、言い添えておかなくてはなりません。おそらくお一人お一人の先生方は、私と同じようなことを考えておられた方も多くおられたんではないかなと思われます。
 また会員でない発表者の堀一人さん、それから自分の言葉で発表され、進行係の川本さんから「先頭打者ホームラン」と形容された太谷いづみさんとの異分野交流もほっとするような楽しいひとときでした。またせっかく、「倫理学会」に「異分野の風」「異分野の発想」をぶつけて、学会をもっと開かれたものにしたいと思って私に声を掛けてくださいました川本先生のご期待にうまく応えられず、その役目を果たせませんでしたことは、ここでお詫びいたします。
 そういう主催者としてのお気遣いや個人的な交流は、ありがたいと感謝しておりますが、「学会」としての「異分野とのやりとり」はほとんど没交渉であったと感じています。もちろん、私の発表がつたなく、何を言っているのかわからず、面白味に欠け、交流しょうとしても、とっかかりがなかったんだ、というご批判があるかも知れません。そうであったとしたら、私の方が反省しなくてはなりません。(念のために、私が喋りましたことは、別のところでちゃんと発表するつもりでおりますから、つまらない話だったかどうかは、それで検証していただくことができるかと思います)
 もちろん金井淑子先生だけが、大会の最後に、ご自分の言葉で、「今大会で、今回の同時多発テロ事件が引き起こした状況に対して、学会として何もしなくてよかったのか」という疑問が出されました。この疑問を出されたのは金井先生ただ一人だけです。でも、この発言は、当日の発言として記録に残ると思います。彼女が大会の「最低限のモラル」に触れる発言をここでされていたのですから。

 これにて、私のこの学会の退会にあたりましての独り言ととさせていただきます

2001.10.8記 村瀬 学

(以上は、私が10月6日、7日と山形大学で行われた「第52回日本倫理学会」にはじめて参加し、終わった翌日に書いた事務局に送った「退会届け」の原文です。空しい文書ですが、記念にここに転載させていただきす。)