じゃのめ見聞録  No,1

 「オランダ売春合法化」の新聞記事を読んで




 2000.10.1の毎日新聞に、次の記事が載っていました。「売春」を「職業」とみなそうという運動を展開している人たちには「朗報」になりそうな記事でした。

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 売春完全合法化  オランダ
 「ブリッセル30日共同」オランダで1日から売春が「一般の企業活動」として完全に合法化される。過去88年 間、刑法で禁止されていたが、アムステルダムなどの「飾り窓」で知られるお国柄で、実際の取り締まりはほ  とんど行われていなかった。昨年12月、議会で売春を合法とする法案が通過していた。これにより、雇い主は 法律的に「経営者」となり、税金などでも他の企業経営者経営者らと同じ扱いを受けることになるが、同時に「 従業員」の健康保険など福利厚生、職場の安全確保なども厳格に義務付けられる。 (毎日新聞2000.10.1)
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 ところで、私の気になったのは、「売春完全合法化」という新聞の見出しでした。こういう見出しをつけて、新聞は読者にどういうイメージを与えようとしていたのだろうか。
 私は、先ほど書いた本(『なぜ大人になれないのか』洋泉社)の中で、「援助交際」をする女子高生や若い女性の中に、売春は誰にも迷惑をかけないばかりか、相手にも喜んでもらう「仕事」でもあるんだから、なんで悪いんだ。マッサージとかと同じじゃないか、だから「職業」として認められてもいいんじゃないか、と言われていることについて、それはそうではないんだ、売春は「マッサージ」と違うんだ。「性行為」は「秘め事」なので、どう転んでも「公な職業」として成立するはずがないんだと、書いていたばかりでした。その本が出た後すぐに、こういう記事が載ったわけです。村瀬は「絶対にあり得ない」と書いていたのに、どうなっているのだ、「職業」として認める国が現実にでてきているじゃないか、と言われそうです。そう言われると困るので、ここでその記事への反論を書いておこうと思います。
 他の新聞の記述も気になりますが(他の新聞には、この前後の日付では、この関連の記事はなさそうです)、これから週刊誌がこれからわんさとこういう記事を載せるような気がします。取材と称して、あるいはツアーと称して「完全合法化」された国で、「完全合法のお買い物」をしょうとする日本人がうんと増えるかもしれません。しかしそんな、日本人にとって「おいしい話」ではないような気がしているのですが。
 実は、アメリカのネバダ州では、すでに1971年に「売春の合法化」がなされていますが、それは「合法化」といっても「売春の自由化」でも「規制緩和」でもないんです。ある小さな街の特定の場所に、一種の「コロニー(集団住居施設)」のような感じで地域化して売春宿を認めるというものでした。そうした方が取り締まりがしやすいというお上の利点があるわけです。それを「合法化」とか呼ぶのは、ちょっとイメージが違います。
 それ以上に「完全合法化」という言葉使いの「おかしさ」がとっても気になります。「完全合法化」というのなら、どこででも「商品」の売り買いが出来なければなりません。お近くの街角でも、近所の町内会でも、どこでもそういう商売をすることが、認められなくてはなりません。本当にオランダはそういうことを認めたということなんでしょうか。そんなことありません。オランダの各町内会の至る所で「売春」が行われているなんてことは想像はできません。でも「完全合法化」という言葉使いは、そういうことをイメージさせるものではないでしょうか。
 ちなみにこの新聞記事が出た4日のちの、10月4日(水)。4チャンネルの『ここが変だよ日本人』で、「売春が合法の国オランダとドイツ」が紹介されていました。もちろん私は見ましたよ。でも、この取材は10/1日以前のものですから、「完全合法化」と呼ばれる前のものです。そこでは、オランダは特定の場所で売春することは法的に認められているということでした。25分で5000円という相場でした。日本人にはそういう値段を言うらしいのですが、地元では25分2500円くらいだそうです。そこでは、健康診断も受けなければならないし、用心棒もいるようで、「売春婦」も安心して「仕事」ができるようでした。
 ドイツでは、「売春婦」であることを「登録」するんだそうです。そうすると「保険」や「年金」に加入できるのだそうです。そういう様子を聞くと、いかにも「売春」が「労働」として成立しているようにみえますが、本当にそうなんでしょうか。かつての日本での「吉原」が「管理売春地区」として認められていたようなことの、現代版にすぎないような気がしないではありません。



 くり返して言うことになりますが、私が気になっているのは、「売春の完全合法化」という見出しです。
 たとえば、現代の日本の社会では「殺人」とか「人殺し」とは、もちろん「法的」には「認められていない」ですし、「職業」としても「人殺し」は認められていません。けれども、死刑執行人は存在するわけです。「職業」として「死刑」を実行する人がいるわけで、それを「人殺し」と呼ばないで「死刑執行」と言い換えています。あたかも「売春」を「援助交際」と言い換えるように。こういう「人殺し=死刑執行」も「仕事」として認められています。でも、それを一般的に「職業」として認められているとか、「合法化」されているなどといえば、とってもおかしなことになるわけです。
 それと「売春の合法化」を同じように言うわけではないのですが、ここにも「合法化」という言葉にはなじまないことがいっぱいでてきます。
 たとえば、「性」を「商品」として「自由化」し「完全合法化」することが本当なら、「消費者」の「商品」への苦情もちゃんとクリアーしなければなりません。規格に合わない「商品」に出会ったら、「消費者」は「文句」を言えるし「商品の取り替え」も堂々と出来なくてはなりません。「完全に合法的」にやろうとすれば、「消費者」から苦情のでそうな「商品」は省かなくてなりません。当然です。それが「資本主義」なのですから。そうすると、「規格に合わない商品」たちは、「合法的には商売できない」のですから、結局また「もぐり」で「非合法的に」やらざるを得なくなるのではないでしょうか。また、「消費者団体」からは、「不当価格」にはクレームがつくし、「商品」の自由化にともなって「価格の競争」も起こるはずですから、「いい商品」だけが競争に勝つことになるのではないでしょうか。では、「いい商品」になれない「商品」はどうすればいいのでしょうか。そういう人たちは結局は、もぐりで「商売」をするしかないのです。
また、「完全合法化」ということを文字通りに受け止めれば、そこでは売り手の資格をめぐって、検定試験などができてもおかしくないことになるのでしょう。では、1級免許とか2級免許とかが、できるのでしょうか。そこでの「技術指導」や「検定試験」はどうやって実施されるのでしょうか。「マッサージ」には、ちゃんと「資格の等級」があるし、「技術拾得訓練」は厳しく実施されています。
私は茶化しているわけではありません。「完全合法化」という言葉のマジックに私たちは惑わされてはいけないと思うだけなのです。
 事実、オランダという国は、特異な発展を遂げてきている国で、他の国と比較することはなかなかできません。特に、オランダは移民の国であり多民族の入り交じった国です。そういう職のない移民の「職確保」の努力は、今までも大変なものだったと私なら思っています。事実上、「売春」もオランダは長い間見て見ぬ振りをしてきていて、その方が当局としては楽だったはずなのに、わざわざ「合法化」したのは、止むに止まれぬというか、切実な「問題」があったからだと思います。とくに「エイズ」などの「病気」の蔓延は、大きな売春組織を抱える地域では、人々の死活問題になってきていますし、さらにいえば国を滅ぼしかねない「問題」になるからです。だから「売春婦」のためという名目の元に、結局は国にとっても「合法化」ははるかに得策な面があったことも事実だと思います。でもそのことと、「完全自由化」などという概念は相容れないと思います。
 そういう意味では、日本でも、というか、日本の方が、オランダよりはるかに「売春」が「限りなく合法的に近い形で実践」されていると思います。



 私の論で「批判」を受けるのは、「あんたは、売春婦の人権をどう思っているのか」「彼女らをバカにしとるのか」というものです。言っておきますが、私は一度も「売春婦」をバカにしたり、「悪」だと言ったり、その「存在」を抹殺せよなどという、「道徳的」なことを言った覚えはありません。私の言っていることは、たった一つのことです。資本制の社会では「一夫一婦制」が「建前」になっているので、その制度に抵触するような「性行為」は、「公には認められない」はずではないか。だから、「売春」は「資本主義社会」では、つねに「裏の仕事」としてなされるしかない宿命にあるのではないか、というものだったのです。そして、その「裏の仕事」「裏の労働」までを私は否定しているわけではないんです。資本制社会が素晴らしいと思っているわけではないのですから。
 どの国にも、「表の労働」にはならないけれど、「裏の仕事」として認めざるを得ない「職業」がいっぱいあるのです。さっきの「死刑執行」もそうですが、先日自衛隊の職員のスパイ事件がありましたね。「スパイ」などというものも、「公の仕事」としては認められないはずなのに、やはり「裏の仕事」として日々それをこなしている人々がいるのです。そんなことは、いつの世でもあるのです。
もしもあの新聞記事が言うように「完全合法化」が実施されるとして、例えばドイツのように「売春婦」の「完全登録性」にするとどうなるでしょうか。ドイツでは、それで、役所は「税金」を取る代わりに保険や年金の支給をするというわけですが、それはいかにも「性」や「性行為」を「商品」や「商売」として認めているように見えますが、そういう「登録」の管理は誰がどのようにするのでしょうか。「登録」ということの恐ろしさを日本で最も示しているのが「同和」問題でしょう。ある過去ののある時点で誰かが作成した「名簿」が、歴史の中で、いつまでも一人歩きさせられ、何かしら「実体」のあるもののように使われる現実があります。この「売春婦」の「登録制度」も、日本で同じようなことが実施されたら、おそらく一旦登録した人のデータは、末代まで残るでしょうから、そのデータが流失した暁には、その登録者は、いついつまでも、そういうことで「世間」から偏見の目で見られ続けることになるのです。データや名簿を盗むことなど、現代社会では、お茶の子さいさいなんですから。森総理の学生時代の「売春」が問題にされましたね。データが流失したらそんなことは、常に問題にされることになります。「お前はあの時売春婦だったじゃないか、20年前の登録名簿にちゃんと残っとるぞ」と。

 じゃあ、どうすればいいんですか、と言われそうです。私は「売春」の「救済」の道などないと思います。可能性はただ一つです。それは「資本制社会」がすべての存在物を「商品」化する論理を「完成」させることができたら、「売春」も名実共に自由化されることになるだろうという予測ぐらいです。しかし、「臓器移植」問題で、身体=内蔵が「商品」化されないように、現在の資本制社会でも、すべては「商品化」されうる理屈はまだ見いだされていないのです。しかし、いつかマルクスのような「天才」が現れて、「内蔵」も「身体」も「性」も「性行為」も「商品」ですよ、という理屈を完成させることができるかもしれません。そうしたら、「性行為」も、一種の「明るいスポーツ」「軽く汗を流すスポーツ感覚」で容認される可能性が出てくるかもしれません。そうなると「オリンピック新種目」に加えられる日が来るかも知れません。国を挙げてみんなが「新種目」(どういう名前になるのか知りませんけれど)を応援をするという日がくるかもしれません。そうして「金」を獲った「選手」が、「監督」との「ハードなトレーニング」の思い出話を語って、人々の感動を誘うことになるかも知れません。