じゃのめ見聞録  No.84

   「発掘!あるある大事典」の司会者たちは
おとがめ無しなんですか



2007.7.1


 もう人々は忘れてしまったかも知れないが、「発掘!あるある大事典」データ捏造事件なるものがありました。今年の1月7日の放送で、「納豆でやせる」といった放送をする中で捏造されたデータを使用したことが発見(発掘!)され、あるあるではなく、みるみるうちに(同月14日の放送でもって)打ち切りとなってしまった事件のこと。
 こういう番組の「おそまつさ」は、誰もがうすうすは感じていたことだった。「やっぱりね」という感じだった。それなのに、多くの人は「瞞された」とか「ひどい」とかいって憤慨していた。毎週毎週手を変え品を換え、野菜やくだものや、味噌や黒酢や、チョコレートや足の裏や、それこそなんでもかんでもひっぱりだしてきては、健康やダイエットに効く効能を興味津々に説明する番組。みのもんた司会するワイドショーでも、かならずこういう「健康・食品・おすすめコーナー」がある。ほんまかいなと思うような効能が、レタスや大根から説明される。ほんまであるわけがないやろに、と思いながらも、それでも嘘というほどのことでもない・・・などと思って見ている。問題の発覚は、その効能を「科学的なデータ」に見せかける「ニセのデータ」を使うところからはじまっていた。そんな「データ」を出したりしないで、みのもんたのように口先だけで、効能をしゃべっていたら「問題」にはならなかったのにと、関係者は思ったかも知れない。事実、みのもんたの番組は、今でも延々と、「発掘!あるある大事典」に似たような紹介を続けている。そしておとがめはない。
 私は、この「発掘!あるある大事典」の捏造事件が発覚したときに、すこし妙なことを感じていた。当時は番組制作のプロデュサーが謝罪し、社長が謝罪し、連日の深謝の報道が続いていたのだが、何かしらおとがめの中に抜けているなあと思うものがあった。それは番組を司会していた人たちへのおとがめだった。これが無かった。無かったと思っているだけで実際は合ったのかも知れないのだが、しかし、表だってそういうものをニュースで見たことはなかった。
 「発掘!あるある大事典」の司会進行者というのは、メインキャスターの「堺正章」を中心に、「ヒロミ」「志村けん」「柴田理恵」というそうそうたる大物メンバーのことである。しかし彼らがおとがめを受け、謝罪をしたというようなニュースは見たことがなかった。想像するには、たぶん番組の司会者たちは、与えられた台本通りに番組を進めるものたちであって、番組のデータがニセモノであるかなんてことは、とうてい知るよしもない立場にいる。だから、ニセデータで番組が打ちきりになるというのは、むしろ司会者たちからしたら自分たちは被害者なんだと思っているのではないかと。
 しかし、私は全然そんなふうには思わない。「発掘!あるある大事典」は、誰もがうすすはわかっていたように、ほんとに何でもないものを、あたかも何でもあるかのように見せかける、そういう意味での「あるある」のイメージを故意にふくらませる番組であった。言ってみれば『男はつらいよ』の寅さんが演じる「テキ屋」のような性格を持つ番組であった。寅さんは、なんでもないバナナ一房をいかにもとと思わせる話術で買わせるのである。だから「寅さん」が面白いように、それはそれで、おもしろさをもった番組ではあった。もし、この番組の面白さが、そういうところにあったとしたら、司会者たちの演じていた「テキ屋」的「品物」の紹介が果たした役割はとても大きかったのではないと私は思う。視聴者を巧みな話術で「洗脳」し、番組が終わったら次の日には一斉にスーパーに走らせ「品物」を買わせるように誘導する、それは司会者たちの巧みな話術によるものだったはずである。
 もしも「発掘!あるある大事典」なようなことを、名もない芸人たちがやっとしても、そんなに催眠効果や誘導効果は出なかったと思う。「堺正章」「ヒロミ」「志村けん」「柴田理恵」のメンバーであったからこそ、ああいう異様な催眠効果を生んできていたはずなのである。私は、「発掘!あるある大事典」は、ある意味では、彼ら芸能人が作り上げていたものではないのかと思っている。そんな中で、私たちは被害者でしたというような顔をされてはたまらない。誰が考えても納豆をたくさん食べてやせられるというようなことは考えられないのに、そんな常識を顧みずに、巧みな話芸で視聴者を納豆を買いに走らせるようなことを、お茶の間の番組を使って延々とやり続けて、でもわたしらは被害者でしたというのでは、納得がいきません。