じゃのめ見聞録 No.80 | ||
「かまへん」という言葉 |
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2007.3.25 ずいぶん以前のことだが、他府県の人と喋っていて「かまへんよ」と言ったときに、その「かまへん」という言葉はヘンな言葉だと言われたことがあった。「これもらってもいいですか?」「かまへんよ」と京都の南部では使い、「いいですよ」「かまいませんよ」のつもりで使っている。京都市内では「かましまへん」とでもいうのだろう。何でもないそんな言葉が、ヘンな言葉であるように聞こえ、さらに嫌な感じまですると言われたので、よく覚えている。今から思うと、イエスかノウをはっきり言えばいいところで、「かまへんよ」(「かめへん」と言うこともある)と言うと、相手にこちらの意志がはっきり見えず、本心がわからない、と感じられていたのかもしれない。 関西の言葉では、語尾に「へん」をつけると否定の意味になる。「一緒にいくの?」「いかへん」というように。「かまへん」も「かまう」という言葉に「へん」が付いたのだとしたら、確かに「へんな言葉」である。「かまう」とは「相手にする」とか「気をつかう」という意味なのだから、それを否定する意味の「へん」をつけて「かまへん」というと、実際は「私はかまいませんよ」というような意味になる。東京の理髪店で「髪を短く切っても良いですか?」と聞かれて「そうして下さい」と言わずに、「かまへんよ」と答えると、やっぱり「ヘン」に聞こえるかも知れないな、とこの年になって改めて思う。 語尾に「へん」ではなくて「ん」をつけるだけでも否定の言葉になる。「さわらんといて」というと、「さわらないで」ということだが、京都南部では、なにかをしないで下さいというのを、「しんといて」とか「せんといて」「しゃんといて」と言ってきた。「ない」というようなはっきりした否定の言葉を使わないで、そこんところを「ん」という言い回しですましてしまうのである。「見ないで!」「聞かないで!」というところを「見んとして」「聞かんといて」というふうに。 「かまへん」にしろ「しんといて」にしろ、京都の言葉には否定への工夫というか、あいづちを打つことへの庶民の知恵がいつも仕組まれているように思う。特に「ない」という否定は、きつい感じがするので、「ない」ことを直接に言わないでなんとかして和らげる工夫をしてきている。「そんなこといわないで」というところを、京都では、「そんなことゆわんといて」「そんなんゆうたらあかんやん」「そんなこといわはったらあきまへんやろ」という。この辺に「へん」や「ん」の絶妙の使い方があるんやろね。 京都新聞 2007.3.22 |