じゃのめ見聞録  No.79

   ドキュメンタリー映画『こどもの時間』上映
― 火と水と土と光を生きる子どもたち―



2007.2.20


 今年度の生活科学会では、初めての試みとしてドキュメンタリー映画の上映を実施しました。
この映画は、野中真理子さんらが、マザーランド『こどもの時間』映薗上映委員会を立ち上げ、埼玉県桶川市にある、いなほ保育園に通っている0歳から6歳のおよそ100人の子どもたちを、5年間にわたり追跡、取材したものを編集して作られたドキュメンタリー映画です。映画の題は『こどもの時間』。まさにこれ以外にあり得ないような題の映画です。
近年、少子化が社会問題化にされ、ニュースでは虐待などがくりかえし報道される中で、実際には子どもたちはどのように生きているのか、あまりそのありのままの姿を見ることがありません。今年度の生活科学会では、講演もいいけれど、思い切って普段見ることの出来ない子どもの姿を、みんなで見てみようということに決めました。
 この映画では、感傷を誘うような効果音や音楽は流れません。ナレーターとしてイツセー尾形さんの声がたんたんと流れる中に、子どもたちの声や、水の音や、火の燃える音など、自然の音だけが流れます。
 いなほ保育園が誕生したのは1981年。最初は小さな園庭からの出発らしいのですが、その後、子どもたちが存分に駆けまわれるようにと約4000坪の土地を借り、園舎を築き、映画の中では、驚く広さとして現れています。スタジオジブリのスタッフも、この園を訪れて子どもたちを観察してゆかれたらしいです。『火垂の墓』の監督、高畑勲さんもこの映画を見られて「一切の能書き抜きに、真っ向から突きつけてくる衝撃的な作品だ」と評されていたそうです。
 まずこの映画を見て、最初に驚くのは、「食べる場面」がいっぱい出てくるところです。私たちの生活科学部でも、「食育」や「子どもの食生活」のことを考えてきています。これを抜きに子どもの暮らしはあり得ないからです。でも、このドキュメンタリー映画をみて驚くのは、その「食育」がパンパなものじゃないというところでした。お行儀よく座って、カロリーなどがよく計算された給食を、みんなで仲良く食べるというような、そんな「食育」ではないのです。
鼻水がたれたまま、手づかみで焼きたてのサンマにかじりつくのです。ええっ、そんな丸ごとの魚を、そのまま食べるの!という驚き。お箸はどうしたの? 骨はどうするの? 誰か骨を取ってあげなくてもいいの? という私たちの心配をよそに、子どもたちは、園庭の食卓に自分でもってきた一匹丸ごとの魚を手づかみでむしゃむしゃと食べ始めるのです。野性的といえばいいのか、お行儀が悪いと言えばいいのか、普通の保育園や幼稚園では絶対に見られないような光景を目にして唖然としてしまいます。
ブロッコリーや、じゃがいも、なども、丸ごとどかりと皿にのっています。その大きなブロッコリーにもまるごとむしゃむしゃとかぶりつく子ども。子どもは野菜を嫌がり食べないはずじゃなかったのか! 少しの野菜を食べさせるのに、てんやわんやする今日の子ども事情を考えると、スクリーンに映るこの保育園の子どもたちは、新種の生き物を見るようです。すごい!とびっくりしないではいられません。
 子どもたちは、こんなふうに何でもむしゃむしゃと食べることが出来るんだという新しい発見。当たり前のことが、こんなにも感動をもって見つめられるなんて、なんという時代錯誤! でも、このいっぱいでてくる「子どもの食べるシーン」を見るだけでも、このドキュメンタリー映画を見た値打ちがあったというものです。
気持ちが良いのは、ナレーションでこうした保育所の保育理念などというものを一度も説明しないところです。実際の子どもの立ち振る舞いを見せるだけで、そこにこの保育園の「方針」が透けて見えるようにしていると言えばいいでしょうか。
 子どもたちが食べる野菜類は、ほとんど、この広大な保育園の一画で栽培されたものでした。それを収穫し、それを料理し、子どもたちが食べる。料理するには「火」が必要だ。唯一園長さんを紹介するシーンがあるが、それは園長さんが冬の朝毎日、園庭に丸太を組んで「たき火」を作る場面でした。「これがぼくの日課です」というようなことをおっしゃっていたと思います。園庭に「たき火」のある保育園、そんな保育園もたぶん、もうどこにもないのではないでしょうか。
 子どもを「火」に近づけるなんて、そんな「危ないこと」をしていいの? 映画を見ていてそう思います。それもとても大きな「たき火」ですからなおさらです。でも、子どもたちは、そこで手をあぶり、おしりをあぶっている。そして、見よう見まねで覚えたやり方で、たきぎを足して火加減をしたり、灰を枝でかきわけたりしている。そして暖まったら、また他の所へ走っていって、遊んでいる。「火」は、子どもにとっても「危険なもの」ではなく「大事なもの」になっているみたいだ。
 梅雨時の雨の中、流しっぱなしにした水道水を手にあてて、いつまでもその感触を楽しんでいる子ども。飛び散るしぶき、ずぶぬれの顔、不思議な水の感覚。でも、誰もそれをとがめない。
 園庭には山羊が飼われている。その山羊に自分から餌をやりにいく子ども。なにやら山羊に話しかけている。
 裸足で歩いている子ども。園の中には小山があり、小川が流れている。
夏には、父親たちがやってきて、巨大なプールを板で組み立ててくれる。大きい子用のプールと小さい子用のプール。その大きい方のプールにちょこっと挑戦する小さな子ども。見ている方ははらはら、ドキドキ。溺れる心配をしなくてもいいの? でも、みんなは知らん顔。
蝉が鳴き、風が吹き、雨が降り・・・子どもの笑い声、ケンカの声、泣き声・・・自然があるといえば自然があり、恵まれているといえば恵まれた環境にある保育園。飾り気がなく、型にはまったカリキュラムを押しつけることをしない保育園。そこに「こどもの時間」がある。映画の制作者は、そこのところを見て欲しがっている。「この保育園」を見てくださいというのではない。保育園の宣伝の映画ではない、ひたすらに子どもの動く姿、こどもの見つめるものを一緒に見つめようとする映画、大人が忘れている「こどもの時間」が存在するんだということを訴える映画。「子どもの時間」それは「至福の時間」なんですよと。
 見終わって、何かしら不思議なものを見たという感じになる映画です。知らない子どもを見たという感じ。子どものたくましい可能性を見たという感じ。そういう感じを覚えてきっと見終わっていただけたのではないかと私たちは思っています。
火と水と土と光を生きる子どもたち、その原風景を見たということ。その感じを大事に受け止めていただけたら、今回の映画上映は成功だったのではないかと思っています。
この映画を見た人たちはこの作品が早くDVDになることを望んでいます。私たちも、早くそうなればいいなと思っています。映画の詳細は次のようになっています。

作品名       『こどもの時間』
上映時間     80分
上映形態     16mmカラーフィルム
完成        2001年3月
スタッフ
 監督       野中 真理子
 撮影       夏海 光造
 音響       米山 靖
 語り       イッセー尾形
 制作       寺中 桂子
 制作デスク   橋本 こずえ
 協力       いなほ保育園のみなさん
 製作協力    テレビ東京
 製作       マザーランド

                     『同志社女子大学 生活科学2006』vol.40 2007.2