じゃのめ見聞録  No.76

   「博士」について


2006.12.10


 先日(2006.10.30) 96歳でなくなられた漢字の研究者・白川静さんは、「博士」であった。普及版となった『字訓』では、日々どれだけお世話になっているだろうか。白川さんは誰がどこから見られても「博士(はかせ)」だった。立命館大学が大学をあげてお別れ会をされたのは当然であった。日本にとってもかけがえのない人だった。でも、そういう方々が少なくなりつつある。もう十年くらい前になるだろうか。ある会議室で当時若手の新鋭の社会学者・宮台真司さんと名刺の交換したときに、名前の上に「社会学博士」と書いてあるのを見て驚いたことがあった。「博士」なんだこの人は、と、その時ふと思ったものである。その後、いろんな人の名刺をもらうときには、そういうふうに記入されたものが多くなったので、もうあのときのようには驚かなくなってしまったが、奇異な感じはいまでも常に残っている。名刺は職種を紹介するのに便利な物であったが、「博士」が「業績」ではなく「職種」になってきたのかと思うくらいである。
 私は古いタイプの人間だから、そう思うのかも知れないが、「博士」というのは、博識をもち、常人の及びもつかない山のような業績をもった人に与えられる称号であると感じてきた。世間の人もそう思っていると思う。ところが、ある時期から、「博士」が大量生産されるようになってきた。大学院の乱立という大学事情ももちろんあるのだろうが、これだけ「博士」を名乗る人が増えてくると私などは閉口する。事実、各大学の「研究活動報告書」などを見るにつけ、よくこれだけの業績で「博士」と名乗っていられるのか、恥ずかしくないのかと思うことがある。
 でも、そう思ってはいけないみたいなのだ。大衆化しつつある大学院で認定される「博士(はくし)号」と、一般の人々が感じている「博士(はかせ)」は、違うみたいなのである。事実『広辞苑(五版)』では、「 はか‐せ【博士】」と「はく‐し【博士】」を分けて説明している。「 はか‐せ【博士】」の方は、「学問またはその道に広く通じた人。ものしり。学者。」となっており、「はく‐し【博士】」は、「自立的研究能力と学識とを有する者に授与される学位。現在の制度では、大学院の博士課程を修了し、大学院または学位授与機構に提出した博士論文の審査および試験に合格した者に授けられるもの(課程博士)と、博士論文の審査と試験とに合格し、学力の確認を得た者に授けられるもの(論文博士)とがある。」と説明されている。つまり後者は、大学の「学位制度」によって生み出される人たちのことである。世間から見たらこんな人がと思われる人でも、博士課程に在籍し、一つの論文を合格してもらえば、もう「博士(はくし)」なのである。論文一本で「博士(はくし)」と認められる学位制度と、世間の人が感じている「博士(はかせ)」のイメージの間にずいぶんとずれが出てきているのである。この、あまりもの開きに、でも多くの大学人は目をつぶっている。(もちろん、理科系の「博士号」と、「文系の博士号」を同じようなイメージでとらえることは間違っていると思うので、そこは注意が必要だが。)
事実、「学位制度」の中で大量に作り出される「学位としての博士(はくし)号」をもった人が、その後、本当にその「名称としての博士(はかせ)」にふさわしい業績を作り出してゆくのかというと、そんなふうになる人はそんなにたくさんいない。日本の大学には、高い給料をもらい、特権的な研究室や特権的な研究時間や特権的な研究環境を与えられながら、とうてい独創的とはいえない、人の仕事(書いたもの)をつぎはぎしたようなものしか残してゆかない人たちがいる。でもその人たちは昔取った杵柄の「博士」を売り物にしている。
 私はその人たちに「肩書き」のようにつけられている二文字を見るのがいつも恥ずかしい。近年、「姉歯建築士」による「耐震強度計算の偽造問題」が世間を騒がせて、ひどいやつだと言われていたが、それは「大学」にとって決して人ごとではないと私は思っていた。「肩書き」に「偽装」があるじゃないかと、と思わされる人たちが日本の大学にはたくさんいるからだ。事実、今年(2006年度)は「論文ねつ造」がとても世間を騒がせた年でもあった。「博士」が人の論文を盗用したり、データのねつ造をする「事件」がつぎつぎにマスコミに流されてきた。海外の大学でもそうであった。BS世界ドキュメンタリーやNHKスペシャルなどで『世紀の論文ねつ造』というようなタイトルで放映されたものは、人々の記憶に残っていると思う。どうなっているの「博士」たちは?と世間の人は思っているに違いない。肩書きが泣いている! 笑っている? 
 多くの人は、夏目漱石が「博士号の授与」を拒否した事件についてはあまりご存じないかもしれない。明治44年2月24日の朝日新聞に、漱石は、当時の文部省が彼に「博士の学位を授与するという通知」を送ってきたことに対して、それを「辞退」した顛末を書いている。そして、文部省宛の文章に「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡ってまいりましたし、これからさきもやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。したがって、わたしは博士の学位をいただきたくないのであります。この際ご迷惑をかけたり、ごめんどうを願ったりするのは不本意でありますが、右のしだいゆえ、学位授与の儀はご辞退いたしたいと思います。よろしくお取り計らいを願います。」と彼は書いて送っていた。さらに同年3月7日の朝日新聞には、こんな希望的観測を書いていた。「博士を辞するわたしは、先例に照らしてみたら変人かもしれませんが、だんだん個人個人の自覚が日ましに発展する人文の趨勢(ルビ・すうせい)から察すると、これからさきもわたしと同様に学位を断る人がだいぶ出てくるだろうと思います。」と。
 残念ながらこの「予想」は、現在にいたって大きく外れてしまっている。彼が「予想」したようには「個人個人の自覚が日ましに発展する」ことがなかったからか、それとも、そんな悠長なことを言っていられない時代になってきたからか。時代が変わったんだよ、という声がどこからか聞こえてくるようだ。

                                   「時事コラム」 2006.12