じゃのめ見聞録  No.75

   漢字は「小さな芸術品」だぞ


2006.11.10


 漢字の大先生・白川静さんは、漢字は長い年月を掛けて作られたのではなく、歴史のある時点で三人の知恵者が一気に作り上げたものだろうと、どこかでおっしゃってました。すごい話です。もちろん、三人といっても、当時の「王」と「占い師」と「書記」という意味なんですが、それでも、ケータイの絵文字だってあっという間に作られていったのだがら、知恵者が短期間に一気に作ったというのはわかる気がします。何よりも、漢字はそこにあるものではなく、人が作ったものなんだということを意識できることがうれしい。
 たぶん、漢字への愛着というか、漢字がおもしろい!と感じるきっかけは、身近にある漢字の「作られるさま」が実感できたときではないかと思う。アンケートを見ても、漢字好き!から、大嫌い!まで、いろいろあったけれど、そこには先生の「漢字観」が、生徒の好き嫌いに大きく作用しているように思わる。
 以前、「鮫島さん」という名前の女生徒がいるクラスで、「鮫」の字を説明している先生がおられた。「鮫」には、映画「ジョーズ」などの人食い鮫として恐いイメージがあるのだが、でも「鮫」という字は、「魚」に「交わる」と書く妙な字だ。先生は、普通の「魚」は排卵をして子どもをつくるのに、「鮫」だけはほ乳類のように交尾して子どもをつくるので、「魚」が「交わる」という字を昔の人は作ったのよ、と説明していた。「説明」もおもしろかったが、そうやって漢字を「作ったのよ」、という説明がよかった。「字」はいろんな思いをこめて昔の人が作ったものなんだということを、先生も意識し、生徒も意識できるのは、臨場感があって楽しい。
 漢字の基本は「組み合わせのデザイン」である。その「組み合わせ」の面白さに気づくことが、漢字のおもしろさに気づくことであり、そこのところを教えられるのは先生の「漢字観」にかかっている。先の「鮫」の授業を受けた生徒は、それじゃ、自分の名前がどうなんだろうときっと考えると思う。クラスに30人いたら、まずかなりの漢字が「身近」なものだし、その漢字をさらに部首にわけると、30人の名前は、かなりな数に分かれる。そこから、その「組み合わせ」の発想を読み解く楽しみが出てくる。
漢字が「組み合わせのデザイン」だという場合の「組み合わせ」というのは、「部首の組み合わせ」だけではない。音読み、訓読みなどの「よみとの組み合わせ」、そして「習字」として描く「書との組み合わせ」があるわけで、たった「一つの漢字」ですら、視角、聴覚、触覚を組み合わせた「小さな芸術品」としてできあがっているのである。そこには「白川漢字学」が突き止めた「古代人の知恵」も含まれているが、それだけはなく、それを今使っている人がそこに意味づけしうる「現代人の知恵」も含むものなのである。
 大事なことは、この一つ一つの漢字をただ漠然と「一字」として見てしまわないで、そこに「組み合わされた知恵」があり、それが「小さな芸術品」であるところに驚くことである。
たとえば、かつて私は「笑」という字を、竹冠に「天」という字を書いてすましていた。あるとき、白川さんの本を読んでいて、実はたけかんむりではなく、神に向かって女性が両手を高く上げて踊っているさまを表すのだということを知った。それから「天」と書いていた書き順が、自然と「夭」という人を表す描き方になった。書き順を書き順としてしか教わらないと、私はたぶん書き順を改めなかったと思う。
また、歌謡曲の好きな私であるが、ある時「歌」という字が、「可」を二つ重ね、横に「欠」を配置したデザインであることを白川さんから教わった時は心底びっくりしたものだ。そもそも「可」の説明が目から鱗だった。「口」は「口」ではなく神にお願いをする「器」のことで、それだけでは聞いてもらえないのでその「器」を木の枝で叩くさまを表しているのだと知った。「丁」のような字は「木の枝」らしい。そうやって願いを聞き届けてもらうのが「可」という字なのだが、それでも聞き届けてもらえない時のために、「可」を二つ重ね、さらにその横に、口を開くという字の「欠」をつけて、「歌う」という字を「作った」というのである。「歌」とは、だから重ね重ねて神さまに願い事を叶えてもらうように訴えるさまをデザインしてたということになる。すごい!と思う。「一つの漢字」が、「一つ」ではなく「組み合わせのデザイン」であり、「小さな芸術品」であるというのは、そういう意味なのことである。
 もちろん、そんな小難しいことを小学生に教えられるものか、と思われるかも知れないが、私はなにも「古代の意味」をそっくり教える必要もないと思っている。嫌な漢字だと思っていた自分の名前やそれを分解した部首を、自分なりに、未来に向けた前向きの意味に読み取り、自分なりの「組み合わせのデザイン」として意識することも大事かと思う。今度の文化祭は、みんなで新しい漢字を作ろう!くらいの心意気があって漢字を勉強する方が、はるかに楽しいのではないか。

                    『おそいはやいひくいたかい №34』 2006.11