じゃのめ見聞録  No.73

   大人になるってどういうこと?(インタビュー)


2006.9.25


――村瀬さんは、子どもが大人になる境として13歳を論じていますね。
 昔も今も、子どもが大人になるというのは、たいへんなことです。よく「13歳は早すぎる」と批判されるんですが、あれは暦論なんですね。たとえば1年の12カ月、十二支のように、暦は12をひとつのサイクルとして動いているわけです。だから、13歳を区切りと考えるのは理にかなっている。13歳を仮免許として、18歳で本免許のように考えてはどうか、と。
 子どもは、親とちがう領域と接点ができてくると、自分の価値観と親の価値観がズレてくるでしょう。そのとき大切なのは、それまでとはちがう領域に入るという自覚を持つことです。それを意識させるのに昔の人は苦労した。そこで暦の思想が出てくるわけです。
 たとえば、私たちだって、土日が設定されているから、平日にがんばることができる。いろいろなことがあったにせよ、金曜日でいったん終わって、また月曜日から立ち上げ直す。7日単位で物事を考えて、それをくりかえしている。そういう尺度がないと、やっていかれへんのですね。
 だから、子ども時代も、そこで終わって、ちがう領域に入るんだと意識できるシステムが必要なんです。

――ご自身の13歳は?
 私は母親がうっとうしくてイヤだったんです。ガミガミうるさくて、いつまでも子ども扱いして「ええ加減にせえよ」ってね(笑)。
 13歳すぎたら、子ども扱いしないで、家のなかでも同居人、独立とした個人として認めてほしい。もちろん、そのうえで支援はすればいいわけです。ただ、いつまでも一心同体みたいなのは、早く切り上げてほしいですね。
 好きなお父さんのタイプを聞くアンケートがあるんですが、70年ごろまでは、トップは長嶋茂雄でした。それが、80年代以降は、ビートたけしとか、お笑い芸人が入ってきた。これは、いい傾向だと思いますね。お笑いがわかるお父さんは、価値観の多様性がわかる人です。

――マンガに描かれるお父さんもそうですね。
 「サザエさん」と「クレヨンしんちゃん」では、ぜんぜんちがいますね。しんのすけは、親を名前で呼んだり、親と共同戦線をはったり、ときには子どもが上になる。あれはサザエさんではありえへん(笑)。
 それから、お笑い番組と、歌謡番組の変化もあります。かつては芸人さんというのは、どこか日陰の存在だった。それが、いまはすごくメジャーになって、前面に出てきている。これはなぜか。
 お笑いというのは、異種の者が寄ったときには欠かせないものですね。笑いを入れないと、関係がぎくしゃくしてしまう。だから、お笑いブームなんだと思いますね。
 いまの日本は、それまでの大きな同質集団が、だんだん同質でなくなってきて、いわば「多民族」国家になってきています。おたがいが異質で、ちがう領域に生きる者どうしになってきている。だから、お笑い番組は、みんなけっこう必死で見ていますよ。たんに、おもしろいからではなくて、コミュニケーションに欠かせないものになっているんだと思います。

――その変化はいつぐらいからだと?
 まだ60~70年代までは、高度成長期で、一つの価値観を共有しているところがありましたね。歌謡番組で言えば、「ベストテン」があったころまで。「今週は誰が1位か」と聞いたら、みんなが言えた。みんなが同じようなものを聞いて、同じような価値判断をしていたわけです。
 70年代に流行った歌には「旅」をテーマにしたものが多かったですね。そのときの旅のイメージというのは、地図をもって外を歩きまわる感じです。それは、いわば外でひきこもっていたわけです。
 いまは、旅のイメージも変わったでしょう。少し前の「電波少年」みたいに、芸人が旅をしたり、懸賞生活をして、それを電波で流して、そこに共同性が生まれたりしていた。最近では、「あいのり」ですね。恋愛の話を電波に流して、共同性を求めている。ああいうのは、新しい時代の若者向けの番組やなと思いますね。
 いまは、外を歩きまわることと、家の中にいることは、別のことではなくなっています。「ひきこもり」や「ニート」旅のスタイルの一つですよね。そこで問われてくるのは、旅とは何か、地図とは何かということです。最近、自閉症についての本を書きましたが、彼らも、自分の地図を生きているわけです。

――大人になる意味合いも変わったと?
 そうですね。昔は、子どもから大人になるのは、一枚岩の子どもから一枚岩の大人になったわけです。
 昔の成人式は、儀式をして、ピアスや入れ墨をして、名前をもらって……ということをやってましたでしょう。いまは、「一人成人式」なんて言いますが、中学に入ってピアスして怒られたり、あるいは自分でハンドルネームをつけて新しい自分をお披露目したり、新しい人格を立ち上げていますよね。昔の成人式でやっていたことを、自分一人でやっている。そういうふうに意識を持ってきているんだと思います。そのことをもっと評価しないといけない。

――若い人について、気になることは?
 学生と付き合っていて、年々気になっているのが、語尾に「じゃないですか?」とつけるしゃべり方ですね。わかりきったことでも、こちらに聞いてくるような話し方をする。これは若い人特有の防衛反応なんでしょうが、まずは相手に判断を渡す。これが同質な空間で、同質な人間関係だったら、勝手に断定すればいいわけです。ところが、みんなが異質だから、相手がちがう価値観を持っていると意識したうえで、話している。すごく対人関係に気づかって、判断しかねて、絶対、自分の判断を先に出さない。
 そういうふうに、日本が「多民族」化するなかで、「難民」化している部分もあります。不登校や、ひきこもり、ニートも「難民」と言えるかと思いますが、この「難民」を、もっと肯定的に見られないかと思うんですね。
 ちょっと前までは、終身雇用のように、タテに積み重なったプレートを登るイメージで、多くの人が生きていけていたんです。それが、いまは横にバーッと広がっている。生き方が、地理学的なものに変わっている。しかも、そのプレートが、それぞれに動いているわけです。上に行くイメージでは、まったくない。それが、新しい現代の姿だろうと思います。
 昔みたいなタテ軸がいいという人もいるけど、自閉症の人のように、それができない人もいるわけです。だから、地理学的に動くという生き方を、もっと評価してもいいと思います。

―― 一方で、ファシズム的なものに持っていかれそうな危険も感じますが?
 たしかに、日本を一枚岩にしたがって、手ぐすねを引いている連中はいます。戦争中と似ていると言う人もいますが、私はちょっとちがうと思います。戦争中は、一枚岩のものがあって、そのなかでのファシズムだった。いまはバラバラで、それだけでは生きられへんから、求心軸を求めている。
 地域共同体が失われて、みんながバラバラの個になってきた。だからこそ、新しい共同性が模索されている。ネットやケータイも、その一つでしょうね。新しい自分たちの共同性を見いだそうという動きは、けっこう出てきているように思います。たとえば不登校やニートと呼ばれる人も、そこで共同性が模索できる。そういう共同性をどんどん模索していったらいいと思います。
――ありがとうございました。(聞き手・山下耕平)

                         『FONTE』全国不登校新聞社 2006.9.1