じゃのめ見聞録  No.70

   七夕と織姫のこと


2006.7.20


 七月七日の七夕祭は過ぎてしまったけれど、地方によっては七夕は8月のお盆の準備の祭りと考えられていたところもあるらしいから、まだ過ぎた話にはならないだろう。かつては、お盆の前に水で体の汚れを落とす「みそぎ」のような行事にしているところもあったらしい。意外なことに、七夕は「水」に関係のある行事で、古くはこの日に「雨乞い」の儀式をしていたとも言われてもいる。今の感覚では、七夕と雨乞いとは結びつかない気もするが、「願い事」をする日とすれば、田畑を潤す「水」を「願う」日として七夕があったとしてもそんなに不思議ではないかも知れない。

 子どもの頃に聞いていた七夕の話は、恋人同士だった牽牛(けんぎゅう)と織女(しゅくじょ)が、遊びほうけて仕事をしないので、「天の川」で引き裂かれ、一年に一度しか会えなくされたという話だったが、「天の川」が出てくるのも「水」が関係しているからだろう。牽牛に「牛」がつくのも、おそらく農耕に関係しているからかもしれない。それにしても、七夕で気になるのは、なんと言っても「織女」のことである。一般には「おりひめさま」と呼ばれてきたが、「水」を求める行事に、なぜ「織姫(おりひめ)」がでてきているのだろうかと。

 私の住む精華町の昔の家では、二階で蚕を飼っていたという話はよく聞いていた。蚕から繭をとり絹を紡ぐという技術は、中国からもたらされたのだが、この辺にも「織姫」はいたのではないか。折口信夫(おりくちしのぶ)は、七夕の「たな」は水のほとりに作られた機織りの「棚」のことだと言っていた(「水の女」)が、木津川のほとりに「棚倉」という「棚」の地名が残っているのも、織物に関係があったからかもしれない。それにしてもなぜ「水のほとり」に「織姫」なのか。

 おそらく「織姫」の原型は「水」を守る「水の精」のようなもので、うんと昔は「蛇」や「龍神」のようにイメージされていたものであろう。その「水神」が女性の巫女(みこ)のような姿に作り替えられ、その巫女が神に捧げる衣(羽衣)を織るところから「織姫」のイメージができていったのであろう。それらのイメージが総合されて「水」のほとりに「織姫」がでてくるという日本独特の伝説も作られていったようだ。そんなふうに考えると、単なる子どもの行事や地名のように見なしていたものに意外な歴史が見えてきて楽しくなる。



                                      京都新聞 2006.7.14