じゃのめ見聞録 No.66 | ||
お地蔵さん |
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2006.3.20 「道端の草に埋もれた石地蔵あせた前掛けのみ見えている」。高校生、古谷望さんの作品(『SEITO百人一首2003』同志社女子大学)で、私の好きな短歌である。よくぞそんな「前掛け」しか見えないお地蔵さんに気がついてくれたもんだと思う。私の家の数分先には祠があって、そこには、十体ほどの大小さまざまなお地蔵さんが祭られている。時折、年配の方が手を合わせてたたずんでおられる。少ししてから、近くを通るとまだ手を合わせておられる。お地蔵さんを拝む信仰が今も生きていると感じさせられるひとときだ。 お地蔵さんは、神様か仏様かという議論が昔からあるが、その両方の性格を持っているのだろうと私は思う。もともとお地蔵さんは、村はずれに置かれていた。隣の村や、村と山との境界に置かれていた。それは、「外」から「邪」や「疫病」や「魔物」が入ってこないように村を守ってもらうためであった。そういうお地蔵さんは、「道祖神」という道行く人を守る神様の一つであり、のちに子どもの道行きの安全を守る「菩薩」のイメージと重ねられていって、今のお地蔵さん信仰になっていったのであろう。そういえば、私の家の前には昔は大きなため池があり、水の大切さと、水の魔物から子どもを守るために、池の縁にお地蔵さんが置かれてきたように思われる。 近年、子どもたちが学校の登下校の祭に、さらわれ、殺害される残忍な事件が起きている。昔の人は、地域には死角があり、そこでは子どもが危険であることはよく知っていたのだと思う。そんな地域のセキュリティ(安全管理)が、お地蔵さん信仰で意識されていたように思えるからだ。もし、今の小学校で、昔のお地蔵さんがどこに設置されているのか調べ写真にとる機会があり、地域のお地蔵さんマップが作成できるならいいなと思う。昔と今の地域の危機管理が比較できるし、もともと「守る」という言葉の「ま」は「目」のことで、目を離さず見つめること、そのようにして守護することであり、そんな見つめるお地蔵さんを見つけることは、決して「古くさい話」にはならないような気がしているからだ。 京都新聞 2006.3.17 |