じゃのめ見聞録  No. 55

論文とエッセイ
同志社女子大学「時事コラム」2月


2005.3.1



 敬愛する精神科医の中井久夫氏がこんなことを書いておられた。「私は五十歳以後、論文を書くよりもエッセイを書くように方向をゆっくりと転じていった。それは論文を書くという職業上の業務をなおざりにするほうが、いいかげんな論文によって世を誤るよりもよいと考えたからである」(『アリアドネの糸』)。彼ほど世に残る名論文を書き続けた人はいないのに、ここにきて「論文よりもエッセイを」と書くにはやはりそれなりの思いがあったのであろう。

 ずいぶんと以前ある寄り合いで、学会のレフリーのある機関誌に載せたものだけを「論文」というのだと言う人に出会って驚いたことがあった。在野には、研究費も研究室もなく、学会にも恵まれず、それでも優れた書き物を発表している人たちはたくさんいる。そんな人たちの書き物を「論文」と見なさないようなアカデミズムの権威主義に、なにか言葉にできない恥ずかしさを感じてしまうことがある。

 確かに自然科学系の世界には「レフリー制度」至上主義がある。そんな基準を人文系の世界にも持ち込んでくる人もいる。自然科学系と人文系が共に歩めないはずだなと感じる一瞬だ。そんなレフリー制度をかつて「嫌がらせの儀式」と呼び、「ところで、レフリーが自分の手許に送られてきた投稿原稿の審査をするときの基準は一体何なのだろうか」(『科学者とは何か』)と問うていたのは村上陽一郎氏だった。一見すると「公平」に見られるレフリー制の奇異な実態について彼は早くから意見を言っていた。昨年、ネイチャー誌で史上まれに見る捏造論文が発覚した報道を見たとき、ふと彼の疑念を思い出した。

 フランスの哲学者アランの『幸福論』を読んだことのない人はたぶん不幸な人かもしれないと思うのだが、この本はよく知られているように新聞のコラム(囲み記事)として連載されたものを集めてできあがっている。アランは教職に就いた頃、教授風の論文を寄稿していたが、それを「若気のあやまち」とし「自我の認識にほとんど進歩をもたらさなかった」(『わが思索のあと』)と反省し、後に新聞のコラムの執筆に出会う中から、「プロポ(風評)」と呼ばれる彼独特の発表技法を創出していった。

 そんなアランが意識していたのは、もちろんモンテーニュの『エセー』である。この膨大な論述がなぜ「エッセイ」と題されているのか不思議である。「エッセイ」とは、一般には随筆とか感想文のように見なされ、「これは論文なんてもんじゃない、ただのエッセイじゃないか」というふうに使われたりもしてきた。私は、モンテーニュの「食人種について」の章を読んだときの、背中をどんと殴られたような衝撃を今でもよく覚えている。こんなすごいものが「エッセイ」というスタイルで書かれたことの意味を、のちになるまではわからなかった。当時「論文」を書いていた学者の誰一人として、「人を食べる人種」のことについて、このエッセイにまさるものを書くことは出来ていなかったのだから。

 エッセイより短いもの。それはアフォリズム(うんと短い評言)である。これを「大系」や「大論文」が支配する哲学の世界に意図的に持ち込んだのはニーチェだった。彼の書いたアフォリズムを考察して大論文を書く人はいるが、自らアフォリズムを書く勇気のある人はたぶんないないと思われる。アフォリズムなんて「業績」とはみなされないとわかっているからということもあるが、そんな短い表現様式に鋭い思索をこめられる人はなかなかいないからだ。だらだらした論文を書く方がはるかにたやすい場合もあるのだから。ちなみに「主観とは多数のことだ」(ニーチェ)というアフォリズムが私の好きなものだった。

 人文系には、警句や箴言、ことわざ、俳句や短歌や詩、エッセイといった短い表現を味わうスタイルがある。日常の暮らしの中の、小さな声、些細なこと、ミクロなものを見つめようとする眼差しがある。そういうものと「論文」と、どうしたら「比較」されるものになるのか、私にはよくわからないが、ただ「かすかなもの」に思いを寄せる姿勢は忘れたらあかんのよということは、私のいつも感じているところである。