じゃのめ見聞録  No, 36

「拉致」の問題への私的な想い

2003.9.20

 「拉致問題」といえば、拉致被害者家族会の支援問題になるのだが、そういう面だけで意識していると、「私」からはかけ離れた、よそ事の問題にのようにしか見えてこないところがある。わたしは少し視点を変えて自分に関わるテーマをそこで考えてみたい。

1 蓮池さん兄弟の再会

「拉致事件」で心に残っている出来事が一つある。それは、蓮池さんらが、北朝鮮か亜から帰還してきた(2002.9.17)次の日のことだったと記憶している(日付は間違っているかも知れない)が、帰還した弟の蓮池薫さんが夜のニュースを見て、兄の透さんに、この報道は何だと言って食ってかかり、透さんが応酬し、夜中、大声でけんか腰の言い合いになったという報道である。その後、蓮池さん兄弟のお母さんが、何十年ぶりに再開した兄弟が、大声でケンカしているのを見ることほど、悲しいことはなかったと、言われていたことも印象に残っている。
私は、この報道を見聞きしていたとき、まぎれまなく、ここにもう一つの「拉致問題」があるんだ、と感じたことがあった。
 当時、蓮池薫さんの方は、北朝鮮の学校で教える立場にいたらしく、帰還した5人の監視役の任務を負っているのでないか、などと報道されていた。確かに当時の薫さんの眼孔は鋭く、記者会見で、家族や友人に会った喜びは素直に語っていたが、目が笑っているようには見えなかった(感じがする)。
この時の、私の直感は、ああ、薫さんは、北朝鮮の思想教育をしこたま受けてきたんだなというものだった。
かつて、ユダヤ人迫害をのがれてアメリカに渡ったハンナ・アレントは、生まれ故郷を失い、仕事を失い、親戚や友人を失い、そして言語をも失ったにもかかわらず、「仲間内で過去の話はしなかった」と書いていた(『パーリアとしてのユダヤ人』未来社1986ー「パーリア」とはのけ者とか賤民という意味。村瀬・注ー)。なぜなら、アメリカにいてアメリカ人のように見られないことは最も危険であることはよくわかっていたからだ。「ユダヤ人であるという事実をひたすら隠すために」と。
おそらく、蓮池さんら、「拉致」された人たちも、北朝鮮の中でまさに、生まれ故郷を失い、仕事を失い、親戚や友人を失い、そして言語をも失いながら、それでも「北朝鮮の人間」のようにならなければ生きていけないという現実があったと思われる。事実、いつかの記者会見の中で、どなたかが、向こうで生まれた自分たちの子どもに、自分たちが日本人であることは言っていないと言われていた。ということは、子どもたちにも悟られないくらいに、北朝鮮の言葉を喋り、生活ができていたということである。それほどまでに、努力されて、向こうの言葉や生活になじむ努力をしなければ、生きて行けなかったはずなのである。
そういう暮らしがどういうものであったか(待遇良くされたのかとか、ひどい暮らしをさせられたのかとか)を、ここで詮索することはしない。
私が気になったというか、関心を向けざるを得ないのは、こういう北朝鮮で生きることを引き受けざるを得なかった人たちが、今度はまた2002年9月17日に帰還することになり、そのことでこの人たちにまた、人には言えない葛藤が生まれたことだった。というのも、この人たちは、それまで、生きなければならないがために、耐えて、北朝鮮の言葉・文化をひたすら吸収してきたのに、この日を境に、今度はまた日本人として立ち振る舞いをしなくてはならなくなったのである。
 私たち部外者は、この人たちが日本に戻れてきてよかったと感じていると、簡単に思っているが、それがすんなりそういうふうにはゆかないことが、帰国後の最初に起こった蓮池さん兄弟に起こっていた出来事だったのではないかと、私は感じている。
 私の危惧したのは、部外者が感じる以上に、拉致された人たちにとって、善し悪しは別にして、北朝鮮での20年近い暮らしは、自分をなんとか支えてきた暮らしなのであって、それを「否定」することができないということなのである。北朝鮮での20年近い暮らしを「全面否定」すれば、自分の人生はその間「空白」になってしまう。でも、そこには子どもたちと暮らしてきたまさに「暮らし」があったのではなかったか。だから、部外者が思うほど、北朝鮮の暮らしを「悪くいう」ことができないのである。そんなことをしたら、「がんばって生きてきた20年」を「否定」しなくてはならないのである。
ここに、自分たちをこんな風にしてしまった北朝鮮の政治体制を「否定」することと、でも自分の暮らしてきた暮らしは「肯定」しなくてはならないことの間に立って、きっと、蓮池さんらは、私たちには計り知れない悩みを抱えておられるのではないかと私は感じる。

2 「拉致」と「転向」

こうした「拉致」と呼ばれる醜悪な事件の陰で、でも無視できない拉致被害者のデリケートに対応しないといけない問題がたくさんあるのではないかと私は思う。そこで、はじめに述べたような、私に関わるような問題の立て方はどこにあるのかということである。
それは、「拉致」というような現象が明らかにならなかった時期、そういう言葉がまだリアリテイを持っていなかった時期に、こういうことに近い概念として、何かが考えられていなかったのかどうかということである。
 「拉致」という言葉の意味は、辞書で「むりに連れて行くこと」とされているように、強制的に連行されてゆくことだが、だが「強制連行」という言葉と同じ意味ではない。ナチスに強制連行されたユダヤ人たちは、両腕をつかまれるとしても、少なくとも自分の足で歩かされるということはあった。だが、「拉致」というのは、身動きできないように拘束、監禁され、連れ去られるということである。そこには、まったくの自由を奪う「連れ去り」がある。ただ、唯一の救いは「殺さない」というところにある。「拉致」は、殺さずに連れ去って、そこで自分たちの支配の元に働かすのである。
こういう異様な現象である「拉致」のことを、今までの知識人は全く扱うことはなかった。というのも、自分の周りにそういう現象が起こっているようには思えなかったからである。しかし「拉致」という言葉や概念は、意識しなかったにしろ、それに近いもので、知識人がとっても熱心に究明してきた現象があった。それは「転向」という現象ではなかったかと私は感じている。その転向研究の第一人者の鶴見俊輔さんは、「転向」と呼ばれてきたものを、こんなふうに定義されていた。
 「何を転向と考えるかが、まず問題となろう。私たちは転向を「権力によって強制されたためにおこる思想の変化」と定義したい。」『鶴見俊輔著作集2』筑摩書房1975
そこでは、鶴見さんは「転向というのは、そのままでは悪いことではない」
「もともと、転向問題に直面しない思想というのは、子どもの思想、親がかりの学生の思想なのであって、いわばタタミの上でする水泳にすぎない。就職、結婚、地位の変化にともなうさまざまの圧力にたえて、なんらかの転向をなしつつ思想を行動化してゆくことそこ、成人の思想である」と言われていた。そして、鶴見さんは、そこでとても大事なことを同時に指摘されていた。それは「「転向」という言葉の意味には、強制と自発性のからみあいが、含まれている」という指摘である。
 鶴見さんの「転向」の定義は豊かである。そこには、政治運動家の「寝返り」や「裏切り」を「転向」とよぶような従来の狭い解釈ではなく、誰にでも起こりうる思考変容の現象として考えようという発想があったからだ。
 これだけの引用でわかっていただけるかどうかはわからないが、「拉致」という言葉は、権力が強制する現象を外から見たとらえ方になっているのに比べて、「転向」とは、拉致された人が、死と隣り合わせの中でやむを得ず自発的に引き受けてゆく内面の変化の現象をとらえたものになっている、と考えることもできるのではないかということだ。
そう考えてゆくと、北朝鮮に「拉致」された蓮池さんらは、北朝鮮になじむように「転向」を余儀なくさせられていった、と考えることはそんな無理なことはないと思われる。そんなつらい「転向」体験を生きてきた人たちが、今度は日本の家族、日本の支援者にあって、また再び「転向」を余儀なくされてきたのである。なんという、過酷な試練であろうか。
 もちろん、ここで「転向」という言葉を使うのは、「無理」があることは承知している。でも無理を承知で、こういうことをあえて考えているのである。この言葉は使わずにすませられるなら、使わないですませたいが、外から強制的に思考変容を迫られていった蓮池薫さんらの内部の思考変容を考えるいい言葉が、今のところ私にはまだ思いつかないからである。

3 「拉致」と「全体主義」

私はもう一つ「拉致」というイメージとはあまりむすびつけられてこなかったけれど、それに近い言葉として、人々がよく使ってきた言葉をここで取り上げておきたいと思う。それは「全体主義」という言葉である。ハンナ・アレントは「全体主義は、自由の最も根源的な否定である」「テロルは全体主義の本質である」と書いていた(「全体主義の本性について」『アーレント政治思想集成2』みすず書房2002)。もし、この言葉の中の「全体主義」を「拉致」と言い換えたら「拉致は、自由の最も根源的な否定である」「拉致はテロである」というふうになる。まさにそのとおりであろう。
 ということは、ここからが、私の考えるところとなるのだが、もし、「全体主義」と呼ばれるものが、本質的に「拉致」と同じような意味を含むとしたら、「全体主義国家」というのは、国民全体が実は巧妙に「拉致」されている状態である、と考えることができるのではないか、ということである。国民全体が巧妙に「自由」を奪われているからである。
しかし、「全体主義」の恐ろしさは、その「中」で生きる人にとっては、「強制」ではなく「自発」的にその体制を支えているように思わされてゆくところにある。鶴見さんが「転向」を論じたところで、「転向」は「強制」だけではなく「自発性」がともなうと看破されていたのと同じ事がそこに見て取れる。「全体主義」となる政治体制では、忠誠を誓うようにしてその体制の維持に命を捧げる人々が現れてゆくのである。
私は「全体主義」ということで、なにも北朝鮮のことだけを考えているわけではない。ヒットラーの「ナチス」やスターリンの「ソビエト」はもとより、戦時中の「天皇制」もそうであったと思うし、イラクのフセイン政権もそうであったと思う。そこでは、人々の自由は奪われているのに、人々は、「自発」的に忠誠を誓い、命を捧げる行動をとろうとするようになっていたのである。「カミカゼ特攻」や、「自爆テロ」の献身性は、ただの強制からは生まれないからである。
これが不思議なのである。ドイツの中でも、あれほどユダヤ人と親しくしていたドイツ人やポーランド人が、ナチスの全体主義の政権が進むと、知らず知らずを通り越して、自ら進んでユダヤ人迫害に協力してゆくことになっていった。戦時中の日本でもそうである。人々は、知らず知らずのうちに、でも気がつくと強烈な天皇崇拝者として振る舞っていたということがあった。ここに「転向」という現象のあったことはいうまでもない。人々は体制に追従するように自ら「思考変容」していったからである。でも、当時は、そういう変化は、ごく自然な思考の変化として意識されているのである。思想の変化は実に巧妙にうながされるのである。そこが全体主義の徹底したプロパガンダのもつ恐ろしさであった。
同じ事は北朝鮮にも起こっている。そこを考えるためには、やはり同じような経過をたどった歴史から学ぶしかないであろう。北朝鮮ひどい!ということで、人ごとのように非難しているだけではすまない。日本もそういう時代をくぐってきたからである。でも、「日本もかつてはそうであった」というように「反省」できる契機は、今のところはまだまだ少ないのが現実だと思う。多くの日本人にとっては、いまでも「天皇制」に触れることはタブーに感じてきているし、人を神のように崇め、個人を絶対的に崇拝するのは、なにも北朝鮮の金正日体制だけではないのだから。

4 「拉致」は日本人によっても実行されていた

 私はこの「拉致」の問題を、蓮池さんらに限らず自分の問題として考えたいと思ってきているのだが、それは、決して単に異国のひどい政治体制が実行しただけの問題ではないことも感じているからだ。というのも、この北朝鮮の「拉致事件」は、北朝鮮の計画したものであるにしても、その実行犯の一部が、日本のマルクス主義者の集団「よど号乗っ取り事件の実行犯たち」であることもわかってきているからである。日本人によって、日本人が「拉致」されているのである。
 彼らは、ハイジャックを受け入れてもらった見返りに北朝鮮の指令を受けざるを得ない形で「拉致」の実行におよんでいるにしろ、彼ら日本人が、同胞を「拉致」している事実には変わりはない。「拉致被害者家族会」でも、そのことが最も無念でくやしいところであると思う。同胞に「拉致」されるなんて、と。
 いったいなんでこんなことが起こってしまってきているのか。
 このことを考えるには、様々なことに目配りしないといけないし、そんな全体を分析する力は私にはないのだが、私に関わるところだけでも、少しは考えておきたいと思う。
 一つは、「生きるための共同体の居場所を強制的に奪うこと」は「拉致」であり「監禁」であり、「テロ」である、ということを、再度確認するということである。当たり前のことのように思われるかも知れないが、問題は、そういう「拉致」思考を容認するものが自分の中にもあるのではないかということをいつも感じるからだ。それは、また「テロ」を生む連鎖をつくる。
 それはたとえば、東京都の石原知事の発言のような形で不意にあらわれるのを感じる時である。石原都知事は、田中補佐官宅に時限爆弾らしきものが置かれた事件で、「ああいうのは、爆弾をしかけられてもしょうがない」と口走っていた。そういう発言は、いかにも「拉致被害者家族」を擁護し、北朝鮮に毅然とした態度を見せつけているようでいて、結局は、北朝鮮と同じようなテロを容認していることになっている。「生きるための共同体の居場所を強制排除する」ことを認めているのだから。
 私たちは、「拉致」問題の卑劣さを感じているのだが、それを石原都知事のようにいうことで、結局は「テロ」の容認・連鎖を断ち切れない思考を無意識にしていることになっている。
私は、自分の中に「拉致」の卑劣さを憎みながら、どこかで「拉致」と同じような思考をしてしまう自分たちの安易さを感じている。「人の居場所を強制的に奪ってはならない」という思考法は、とってもわかりやすい反面、とっても簡単に破られる可能性があるのではないか、と。
 最近多発してきている幼児や小学生、中学生の「連れ去り」事件。そして「監禁」したり、そのまま「殺害」する事件がふえている。「拉致」は、ある意味では、うんと身近になってきている可能性がある。そういうことが、安易に流行のように発生する裏には、車に子どもを連れ込み、連れ去るということを、「拉致」とも思わないし、「悪く」感じない思考がどこかに出始めているのである。

 5 私の私的な想い

話を、北朝鮮の「拉致」に戻したいと思う。愚かな、非現実的な提言と笑われるかも知れないが、私は次のようなことを考える。それは「拉致被害者家族」を支援する人たちが、もっと在日の北朝鮮の人たちと、語り交わる場を設けて欲しいということである。在日の北朝鮮の人たちの中には、そんなことを一切受け付けない人たちもいるのだろうが、そうでない人たちもたくさんいるはずである。家族を引き裂かれるという意味では、ほとんど同じ体験をしている人が日本や北朝鮮にたくさんいる。その元凶は、かつての日本軍の韓国・北朝鮮での「拉致」であったことは歴史が伝えているところだ。そしてそのことを、逆手にとって金正日体制は、日本人の「拉致」を正当化しようとしていることも、私たちは知っている。
しかし、戦時中の出来事についての戦後補償の問題は、それとしてちゃんと対応されるべきで、戦争中にされたことを取り上げて、仕返しとして同じ事をするのだという理屈は、絶対に容認されるものではないし、そんな理屈が正当化されるわけのものではない。
 ただ、私は、戦時中に日本軍に強制的に日本に連行されて、日本でひどい差別を受けながら過ごしてきた人たちのいることを、こういう事件をきっかけに、ちゃんと受け止める施策をとって欲しいと政府に願う。というのも、あの万景峰号の前で、日本人の「拉致被害者家族」と在日の北朝鮮の人たちが、あんなふうに対峙し合うのは、とても不幸な光景だと思うからだ。
 工作船としての性格を持つ万景峰号には、徹底した取締をして欲しいと思うが、国を割かれている人々の思いは、そういう「取締」だけでは、何の解決にもならない。
 私は、「拉致被害者家族」の人たちと在日の北朝鮮の人たちの間には、「共有すべきもの」がたくさんあるはずだし、また「共有すべきもの」をたくさん作ってゆかないといけないのではないかと感じている。むしろ在日の北朝鮮の人たちとともに、この「拉致」への「抗議」や「共闘」がなされることこそが必要なのではないかと感じる。でも、そういうことが実現されるためには、「拉致被害者家族」の支援者たちの中から、在日の北朝鮮の人たちとの共通性への深い認識や共感が必要になると思う。また、そういう努力ができるように政府は働きかけるべきで、ただ、日本人の「拉致被害者家族」と在日の北朝鮮の人たちとの間の対立を深めるように動くのはやめて欲しいと願う。
 くり返していうことになるが、私は、北朝鮮の人たちは金正日体制に「拉致」されているようなものだと感じている。その結果、その体制の指令を受けて動かざるを得ない人々や、それを信じて実行することがベターだと思っている人々がたくさん出てきていて、その中には蓮池さんらもいたということなのである。そういう人たちがたくさんいる国を抹殺するような思考をとることは、そこに生きている人々への想像力を無にすることになる。私はせめて、そこで耐えて生きている人々が救われる思考法を、自分なりに考えてゆかなくてはと思っている。