じゃのめ見聞録  No, 33

傘を歌う歌謡曲

 
 井上陽水の『傘がない』1972は、「都会では自殺する若者が増えている、今朝来た新聞の片隅に書いていた、だけども問題は今日の雨、傘がない」という有名なフレーズではじまっていたが、私はかつて、なぜここで陽水は「傘」を歌っているのか、と問うたことがあった。「傘」でなくてもいいのではないか。「切符がない」とか「金がない」とかではダメだったのか。そんな歌詞だと、続けての「行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ、君の町に行かなくちゃ、雨にぬれ」(作詞、井上陽水)が歌えなくなるから困るのか。

 実は、この1970年代の前後、つまり大学紛争の最中は、若者達のまわりはいつも「大雨」だったのだ。この「雨」に濡れまいとしたら「傘」をささなくてはならない。自分だけが「濡れまい」とすることは可能だった。でも、当時の若い連中は、自分だけが濡れまいとすることは、卑怯だと感じていた節がある。
 同じ年に吉ザ・モップスは、『たどりついたらいつも雨ふり』1972 で「いつかはどこかへ落ち着こうと、心の置き場を捜すだけ、たどりついたらいつも雨降り」と歌っていた。「心の中に傘をさして、裸足で歩いている自分が見える」(作詞、吉田拓郎)とも。

 そうなんだ。この頃の若者はみんな「雨」に濡れることが、ステイタスだったところがある。そして、ここに「雨」とは何か? それを防ぐ「傘」とは何か?という問いかけが出てくることになる。そこで陽水は、「傘がない」と歌っていたのだった。「傘」とは何だったのか。

 当時流行っていたもう一つの「傘」がある。森進一の歌う『おふくろさん』1971だ。そこでは「おふくろさんよ、おふくろさん、空を見上げりゃ、空にある、雨の降る日は傘になり、お前もいつかは世の中の、傘になれよと教えてくれた、あなたのあなたの真実」(作詞、川内康範)と歌われていた。なかなか意味ありげな、でもよく考えられた歌詞がそこにあった。ここでも、やはり「雨が降っている」ことが想定されていた。

 おそらく、ここで歌われている「雨」とは「資本制の社会」のことだったのだろう。そこで濡れる(マイナスの姿になる)ことなく生きるためには「就職」という「傘」を手に入れなくてはならない。「僕は無精ひげと髪をのばして、学生集会へも時々出かけた、就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くはないさと、君にいいわけしたね」(作詞、松任谷由美)」と歌ったのは、バンバンの『いちご白書をもう一度』1975だった。「就職しない」ということは、濡れたままでゆくということであり、そういう状況では、「世の中」に役にたつ「傘」にはなれないぞ、と「おふくろさん」も叱咤激励しているのはなかったか。

 こういうイメージの「雨」と「傘」が問われたのは、その10年前の1960年であった。このときは安保闘争の時期だった。そういう社会運動に参加した若者も「傘」をきることをためらった。「アカシアの雨にうたれて、このまま死んでしまいたい」と歌われたのもこの1960年だった。

 しかしこのときに奇妙な歌が流行った。橋幸夫の歌う『潮来笠』1960だ。ここでは「潮来の伊太郎」が、「ょっと見なれば、薄情そうな渡り鳥」として登場し、「それでいいのさ、あの移り気な、風が吹くまま西東、なのにヨー、なぜに目に浮く潮来笠」(作詞、佐伯孝夫)と歌われていた。ここでも「かさ」が歌われていた。笠をかぶった若者の登場。方や「濡れること」をよしとする若者が出てきている中で、なぜ「かさ」をきる若者を歌う歌がヒットしたのか。

 ここには「傘」と「笠」との違いが、あったのではないか。おそらく安保闘争は「」アメリカの傘」に入ることを「問題」にしていた。「みんな」が入れるものを「傘」と呼べば、「笠」とは、一人だけしかかぶれないものを言うものではなかったか。それは、多くの人を濡れないようにするわけのものではない。でも、「傘」じゃなくて、そういう「笠」をかぶって「薄情そうに渡り歩く」若者の歌が、この時ヒットしたのだった。

 そして、10年後の、大学紛争で、『傘がない』が大ヒットした。こういう経過は、決して偶然ではないのだということを、私はある意味で「証明」できるのではないかと考えた。

 ところで、蛇足になるが、「二人できる傘」もあるのではないかと、たずねる方もおられるかもしれない。「二人の相合い傘」なるものが。確かに坂本九の歌っていた元祖『明日があるさ』1964の二番には、「濡れてるあの娘コウモリへ、さそってあげよと待っている、声かけよう、声かけよう、だまってみてる僕」(作詞、青島幸男)という下りがあった。「相合い傘」をしたいけれど、声がかけられないという微妙な若者の心理がうまく歌われていた。しかし、ここでは「二人の傘」は「傘」ではなく「コウモリ」と歌われていた。「相合傘」は、「傘」ではなく「コウモリ傘」が似合っている。


 参考文献 村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社2002
                              月刊『遊歩人』2003.6