じゃのめ見聞録  No, 28

『走れメロス』について


 年末のクリスマス会の時、Sさんから『走れメロス』の感想を聞かれました。Sさんは中学の時にこの作品を読んですごく感激していたのに、最近新聞で何とかという文学者?が、最近の国語の教科書から、夏目漱石や森鴎外が消えて、太宰治の『走れメロス』なんかが残っている、これはおかしいのではないか、と書かれていて、Sさんもその記事を読んで、なるほどそうだと目から鱗が落ちるように思った、自分がかつて感激していたのはおかしかった反省した。村瀬さんは、こういう国語の教科書の状況をどう考えますかと、というお尋ねでした。

 当日はあまりゆっくりお話しする時間がなかったので、ここで少しぼくの思っていることを書けたらと思います。ぼくは、その場ではすぐに、こうお答えしたと覚えています。「教科書から夏目漱石や森鴎外が消えて、太宰治の『走れメロス』が残っているっていうのは、いいんじゃないですか。ぼくならいいと思うなあ」と。
 夏目漱石や森鴎外は、日本のもっとも優れた文学者ですから、世の中の偉い人たちは、せめてこの二人ぐらいは、中学や高校でちゃんと教わって卒業するのが当たり前だという思いがあると思います。でも、ぼくなんかは、中学や高校で夏目漱石や森鴎外を知らなくても全然かまわないんじゃないかって思ってます。そんなのを読んでどうするんだと思うところがあるからです。
 でも太宰治は読んだらいいと思います。話は短いのが多いし、扱っているテーマは、中学生や高校生にも身近に感じるものがたくさんあるからです。でも、身近に感じる過ぎるから、多くの人はこの作家を嫌ってきたところもあるんじゃないかと思います。特に、世間でたくましく生きる人たちは、かっこつけて弱みを見せない所が多いですから、太宰治みたいに弱さをさらけ出すような文学は嫌なんですね。こんな自分に似ている人を相手にするのはかなんのです。だからたいていは太宰治を読まずにすましているもんです。

 でも、中学生や高校生には、彼のことが、どこか「わかる」気がするんじゃないでしょうか。テレビでも放映していましたけど、彼の命日の桜桃忌で、お参りするのは若い人が圧倒的に多いんです。そんなことは夏目漱石や森鴎外の命日には起こらないことです。若い人が、夏目漱石や森鴎外の墓参りをしているなんて聞いたことがない。太宰治のさみしい生い立ちで形作られた繊細な感受性の方が、きっと今の若者の傷つきやすい感受性にきっと響くものがあるからなんだと思います。

 彼の生い立ちはこんなふうでした。金貸しで成金の父親をもった太宰治。彼は、多くの下男、下女に囲まれて幼児期を過ごすことになるのですが、そういう彼らが、表向きは太宰の親に頭を下げていながら、陰に回るとそのあくどい金貸しの手口の悪口を言い続けて、少しも尊敬していないことが子ども心の太宰にもわかってきます。彼らも、親には言えないから、腹いせに子どもの太宰にそれをいうんですね。表向き、親の前ではへつらっている人間が、後ろを向くとアカンベをしている。そういう、人間の裏表を幼児期にうんと見せつけられて育った結果、彼の中に言いしれぬ人間不信、人間恐怖の感覚が育ってゆくことになります。
 この人には裏があるんじゃないか、言っていることと違ったことを考えているんじゃないか、笑っているけれどホントは怒っているんじゃないか、そういうことを、いつもいつも感じてしまう、そういう感性が太宰治の中に作られていったわけです。人をストレートに信じることができなくなっていった。

 『走れメロス』の暴君ディオニスが、取り巻きの誰も信じることが出来なくなっていたという設定は、まさに太宰治その人の設定でもあったわけです。「わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ」という王の言い分は、太宰治の言い分でもあったわけです。そして王はつぎつぎに身内や家来を殺してゆきます。王は乱心か!というメロスの問いに、町の年寄りも答えていました。「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです」と。そういう王に対して「メロスは激怒した」という書き出しで作品は始まります。いかにも、人を信じられない王と、人を信じるメロスの戦いのような構図が見て取れそうですが、『走れメロス』は、そんな単純な物語ではありません。
 『走れメロス』でいつも問題になるのは「人質」の設定です。メロスが友人セリヌンティウスを「人質」に差し出したという設定は、あまりにもメロスに都合が良すぎると非難されてきました。でも、そこには、いくばくかの誤解があるようです。
 もともとこの『走れメロス』は、太宰治がシラーの詩を骨格にして、それを散文化したものであることは、多くの研究者によってあきらかにされてきました。その詩は「人質」あるいは「担保」と題された長編詩で、ほぼ『走れメロス』そっくりの内容です。つまり、「人質」の設定は、太宰の発想ではなくて、シラーが作った設定だったということです。ふうーん、そうだったの、という感じですが、そのことよりか、ぼくなんかが驚いたのは、その詩が「人質」とか「担保」と題されていたということの方でした。ここのところがとっても興味深いところです。

 そもそも、歴史の中で、徳川家康がたくさんな人質を江戸にとっていたことはNHK大河ドラマを見ている人たちはよくご存じでしょうし、よど号ハイジャックが人質をとって北朝鮮に行ったこと、その北朝鮮が拉致した人たちの子どもを人質に取っていること、などは今問題になっているところです。そんなよその例を引かなくても、大学の入学金の前払いという大学の入学制度も、そういう「人質」を取ることと似ていないわけでもないんじゃないでしょうか。

 つまり、「言葉」だけでは、その人を信じられないから「担保」をとるわけです。だから、メロスが友人を人質に出すといわなくても、王は必ず担保を求めて友人を取るようにしたに違いありません。
 どっちにしても(メロスが自分から友人を差し出すにしろ、王が人質を要求するにしても)、この作品から「人質」あるいは「担保」というテーマを外すことはできず、むしろ、このテーマこそが、この作品の中でとっても大きな役割を担っていることは見ておかなくてはいけません。

 結果的に『走れメロス』では、メロス自身も友の所に帰れないとあきらめた時があり、友もメロスは帰ってこないだろうと疑ったことがあったことで、お互いに頬を殴ってくれと言い合うシーンが再会の後でやってきます。彼らも、追いつめられると、暴君ディオニスのように、気持ちを疑ってしまうことが起こっていたわけです。心を信じることに難しさ。それは人を信じられないと言う事よりか、自分を信じられないということの問題でもあったように思われます。

 中学か高校で、もう一つ太宰治の有名な作品を学ぶ機会があります。それは『富嶽百景』1939(30.歳)です。たいていは教え方のまずさで、ほとんどの生徒がこの作品の面白さをわからないままにすごしてゆくのですが、この作品はほんとにいい作品です。この作品は、太宰治が28歳の心中事件のあと、ようやく結婚にこぎつけ、心機一転する心境を綴ったもので、彼の作品群の中でもピカ一といえる優れた作品です。そのよく年に『走れメロス』1940(31歳)が書かれることになるわけです。

 『富嶽百景』とは、いろんな方向から見える富士山を「冨士の百景」として描いたものです。大きく見える冨士、小さく見える冨士、卑小に見える冨士、おどけた冨士・・・、言ってみれば、そういう冨士がたくさん描かれているのが『富嶽百景』です。ただそれだけの自然描写のような作品。でも、この見える角度によって違って見える冨士とは、実は太宰治その人のことだったのです。自分という人間が、見る角度によって違って見える、大きく見える自分、限りなく小さくしか見えない自分、醜く汚くしか見えない自分・・・どれが本当の自分かわからない。でも、そのすべてを「冨士」と呼んでいるんじゃなかったのか。
 人がいろんな顔をもっているということ、これが絶対だという顔がないということ、見る角度で、いろんな顔が見えてしまうということ、だから、人を信じることができなくなることも起こりえる・・・。

 思春期というのは、小学校とは違った友達を作り始める頃で、友情という言葉が本当に気になるような年頃に入ってゆく時期でもあります。そんな頃に、一番悩むのが、「友達を信じる」ということについてです。この友達は自分のことをどう思ってくれているんだろう、とっても不安になって悩むことが多々出てきます。自分のこと(容姿や能力など)も気になり出します。今日は自分のいい面が見えていたと思うと、次の日には悪い面しか見えてこないと言うようなことで、悩むことがいっぱいでてきます。まさに『富嶽百景』の世界です。でも、そんな中で、中学生や高校生は、少ない確率に賭けて「走る」ことをするんですよね。それが青春なんだと思います。「走れメロス!」です。
 こういう悩み多き時期に、どういう作品を読んだらいいのかと言われたら、ぼくなら、夏目漱石や森鴎外ではなくて、太宰治がいるじゃないかって思うわけです。
 でも、教科書というのは難儀なもんです。教科書で読んだものは、よっぽど興味深く説明を受けない限り、面白く読めないもんです。うまく、教えて頂けるのなら、ぼくは中学や高校で、人の弱さといつも向き合っていたこういう太宰治を、ぜひ学生の眼差しで一緒に読んで頂けたらなと思っています。