鶴見俊輔 言視舎 2016年5月31日 |
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鶴見俊輔が生涯を費やしたのは己の「貴種」との格闘だった。 鶴見俊輔が自らを語る際、頻発する「虐待する母の像」。 それは何を意味するのか? そしてなぜかれは、それに固執したのか? 祖父・後藤新平 ― 父・鶴見祐輔 ― 母・愛子という流れにある出自の貴種性を鍵に、新たな鶴見像を提出するとともに、「日常性の発見」とプラグマティズムを核にした鶴見思想の内実に迫る! |
―目次― |
T 「貴種」を体験する――思春期まで 第一章 幼年期――「貴種」の芽ばえ 第二章 少年期――「貴種」のおごり、「悪人」への親和 第三章 クロポトキンとの出会い・「貴種」への恐れ――『再読』を再読する U アメリカにて 第四章 アメリカで 第五章 戦時中の体験 V 日本からの出発 第六章 「日本語を失う」という体験から――わかりやすい言葉を求めて 第七章 「かるた」とは何か――知恵を生む仕掛けの探索 第八章 最も大事な思想――「日常性」の発見へ W 六〇年代の思考 第九章 プラグマティズム――「相互主義」の自覚へ 第十章 『限界芸術論』考 第十一章 天皇制・転向・戦争責任の問題へ X 人生の「折り返し」から 第十二章 四十五歳からの「母」の語り――改めて鶴見俊輔の「二人の母」を考える 第十三章 「うつ」に苦しむ鶴見俊輔 第十四章 最後の「問い」へ――三・一一、原発事故を受けて |