自著のご紹介


宮崎駿の「深み」へ

平凡社
 2004年10月8日

ナウシカや王蟲(オーム)は何を食べて生きているのか?
もののけ姫・サンが動物の皮を被っているのはなぜか?
〈ものを食べ、腐敗させ、消化し、排出する〉有機体的なサイクルに着目して、アニメ作品を丁寧に読み解き、宮崎駿の感性と思考の深部に迫る。
―目次―
はじめに

第一章「ジャングル」から「腐海」へ −『ジャングル大帝』から『風の谷のナウシカ』へ
「ジャングルとは何か」という問い
『ジャングル大帝』について
「ジャングルもの」とは何か −植民地としての「ジャングル」
「ジャングル」とは何か −心の中の「ジャングル」、あるいは生き物の造形のわき出る根源の場所




第二章『風の谷のナウシ力』論
1「腐海」とは何か
腐海の二つのイメージ
誤解を生んできた「テロップ」
「菌」あるいは「微生物」とは何か
食パンのカビのようなものですか
腐海に生き物がいるということ

「腐る」というイメージについて

2ナウシカとは誰か −火と風を使う使者
「火」を使うナウシカ
「風」を使うナウシカ
改めて「飛ぶ」とはどういうことか
「使者」としてのナウシカ


3「王轟」とは何者か
「王轟」がなぜいるのか
「王轟」は何に似ているのか
「王轟」には「口」がない
「黄色い触手」について
「王轟」の矛盾
腐海の他の生き物について
「王轟」の進撃について


4空中戦は「戦争」ですか

5巨神兵(火を噴く人造生物兵器)について
『風の谷のナウシカ』と似た世界

付論・『ペスト』と『ガリバー旅行記』からの系譜
デフォー『ペスト』の系譜
アオカビから「ペニシリン」を発見する
スウィフト『ガリバー旅行記』の系譜




第三章『天空の城ラピュタ』論
『天空の城ラピュタ』 −この垂直の美学
二つの「ラピュタ」の方へ
もう一つの「ラピュタ」
「腐海」を失った「ラピュタ」 −『風の谷のナウシカ』の視点から


付論・『ガリバー旅行記』第三編「ラピュータ」との関係



第四章『となりのトトロ』論
田舎へ
「トトロ」がいたんだ
サツキがトトロに出会う
メイとトウモロコシ
ぬいぐるみとしてのトトロ
『となりのトトロ』を見てしまった子どもたち
「田舎」や「植物」も、「物語」がないと目に見えるものにならない
自然は地名の由来と共にある




第五章『魔女の宅急便』論

「十三歳」の旅立ち
「魔法」が弱くなる −キキの仕事疲れ
ウルスラとの会話
魔法について
「暦」と「魔法」について
魔女の暦と社会の時間
性への淡い目覚め −キキが再び飛び上がる


付論・「ホウキ」とは何か



第六章『紅の豚』論
少し実験を
物語 −「アドリア海」
活劇としてのアニメ −鞍馬天狗のようなポルコ
物語の中に「作り手」を入れる
「空中戦」 −このアニメの業界の戦い
愛機「サボイアS−21」
友人の忠告
愛機とピッコロ飛行機工場
十七歳の娘 −フィオ・ピッコロ
マダム・ジーナ
舞台裏の世界
「食う」世界と舞台裏




第七章『もののけ姫』論
サンは何を着ているのか
「皮を被る」という問い
タタリ神の突進
サンの土偶の仮面
ジコ坊たちの「皮を被る」戦術
その他の「かぶり物」
「かぶり物」とは何か
「本来の容姿」とは違う「別の容姿」を生きることはあるのか
「もののけ姫」の登場
人間 −この「火」を使う生き物になること
シシ神の造形について
無形の「腐」


付論1・『もののけ姫』と「古い神」の理解
『もののけ姫』の評判はよくなかった?
「エボシ御前」の言葉
「シシ神の森」とは「古い物語の森」のこと
「シシ神」の複合的なイメージについて
「シシ神」と「ディダラボッチ」 −死と再生の神


付論2・『もののけ姫』と『ガリバー旅行記』第四編「フウイヌムの国」との比較

付論3・『紅の豚』の継承




第八章『千と千尋の神隠し』論
「昔」とは何か
「廃櫨」について
「由来」について
「ゆ=喩」の世界へ
オクサレさまと八百万の神々
ハクと千尋
「ハク」の由来について
「油屋」と「湯婆婆」と「スタジオジブリ」について
「坊」について


付論1・二つの食 −「物を食べる」ことと「喩を食べる」こと
食べる」場面
「カオナシ」の造形
火と釜爺について
性的なもののゆくえ


付論2・『紅の豚』からの展開


番外『ハウルの動く城』へ −原作『魔法使いハウルと火の悪魔』を読む
まとめ −有機体的な世界の不思議さへ
「金色の野」に立つべし
「腐」の世界の不思議 −「ジャングル」から「腐海」へ
心の中の「ジャングル」へ
「文化」としての「ジャングル」
「食べること」「腐ること」「産むこと」
食べろ!そなたは美しい


あとがき −有機体的世界観の構想