自著のご紹介


『次の時代のための吉本隆明の読み方』

洋泉社 
2003年4月17日
思想の継承はどのようにして可能なのか?−クサすための批評や教祖のご託宣を拝聴する類いの態度からは決して生まれない。新しい事実がつぎつぎに発見されていく時代のなかで、古くならない「思想」などあり得ないが、吉本隆明が不死鳥のように読まれていくのは、「見るものの位置」によって「対象」がまったく違って見えるからだ。「座標」と「地図」というキーワードで読み解き、思想がもつ党派性や権力性を排し、多面体としての吉本隆明の核に迫る。

―目次―
まえがき

第一部「座標」という発想のゆくえ
 「見えるもの」と「見ているものの位置」1対瀬学おぼえがき

第一「マチウ書試論」のモチーフと発想
 「マチウ書試論」のポイント
 「関係の絶対性」をどう理解するか
 「見えるもの」と「見ている位置」

第二章『言語にとって美とはなにか』のモチーフ
 再び「見えるもの」と「見ているものの位置」について
 『言語にとって美とはなにか』のモチーフについて
 「指示表出」と「自己表出」について
 「言語」にとっての「美」とは?
 言葉は「つなぐ術」である

第三章『心的現象論序説』について
 「原生的疎外」と「純粋疎外」
 「関係づけ」と空間性、「了解」と時間性の問題

第四章「身体・生命・エロス」と神戸事件
 生命とエロス
 「あなた」・他者・対幻想
 他者論から「あなたの存在論」へ
 吉本隆明『少年』との対比のなかで
 酒鬼薔薇事件をめぐって
 「NG」なら消去してもよいのか
 再び「〈あなた〉の存在論」へ

第五章「おくれ」の問題について
 村瀬思想のはじまり
 二つの視点へ
 「記憶」について

第六章これから吉本隆明を「読む」ことをめぐって
 吉本隆明の多面性と総合性について
 吉本隆明とジンメル
 「党派性」を超えるために


第二部「地図」を求めて
 地図制作者としての吉本隆明ー村瀬学おぼえがき

第七章地図がわかるとはどういうことか
 今、『共同幻想論』とは何か
 どういうふうにして「ここへ」来たか
 『月はどっちに出ている?』という映画
 アフォーダンス理論と地図
 地図感覚の鋭敏さ
 迷うことの恐怖
 さまざまな「地図」と吉本思想

第八章『共同幻想論』と『古事記』
 『古事記』ができる頃の地図
 『古事記』とは何か
 地図としての『古事記』
 田川建三氏の批判姉弟と対幻想
 『古事記』と蛇の話
 鶴見俊輔『アマノウズメ伝』について
 「禁制論」と『釣りバカ日誌』
 つながることと切れること
 『古事記』というテキスト
 「目印」としての『共同幻想論』
 再び蛇の話-吉野裕子氏の民俗学から
 異族と出会ったとき

第九章「転向論」から『共同幻想論』へ
 「転向論」からの理解
 『共同幻想論』は「国家論」だろうか
 「共同幻想」の重層性"
 逆立する「対幻想」"

第十章『ハイ・イメージ論』と世界視線
 ハイ・イメージと視線
 普遍視線と世界視線
「死の視線」について
 ビルとは何か
 「世界視線"権力視線」について
 生活視線と大衆の原像
 「イメージ」という地図
 ケータイと地図
 生命と概念

第十一章「支え手」としての共同体
 「共同性」は失われたのか
 ハイ・イメージとしての国家

あとがき