「怒り」の構造 ―この不本意を生きるかたち― 宝島社 1993年11月20日 |
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暴君の見せる理不尽な怒りとそれを相手にいつもびくびくして生きなければならない人々の悲劇。それを最初に主題化したのはセネカの『怒りについて』だった。暴君はいつの世にもいる。会社にも家庭にも学校にも。反撃としての正当な怒りも必要だ。怒れない人に治療としての怒りを教授する人もいる。しかし怒りは相手をあまりにも簡単に「敵」にしてしまう。現代社会は人間関係を疎遠にし、その分相手を見えにくくさせ、怒りを誘発しやすくしている。アランの『幸福論』が怒り論であることの見直し。 |
―目次― |
はじめに T 怒りのはじまり 1 幸福論のゆくえ 2 アランの『幸福論』 3 セネカの『怒りについて』 4 怒りの発生する「場」の理解 U 世間にみる怒りの一段面 一 日常の風景から 1 人生相談に見る「怒り」 2 怒りの発生するしくみ 3 会社の中の「怒る人」 二 ニュースと生活のはざまで 4 「女子高生監禁殺人事件」にみる怒りの諸相 5 ’90年「湾岸戦争」にみる怒り 6 「風の子学園事件」と「教師」のイメージ 7 夏の甲子園 8 「自閉症児」の怒り 9 「心の病み」がみせる怒り 10 治療としての怒り 三 作品にみるき怒り 11 ルナール『にんじん』 12 夏目漱石『坊っちゃん』 13 森鴎外『半日』 14 宮沢賢治『土神ときつね』 四 怒りと恐怖の関係について 付録 もって生まれた「ひずみ」について あとがき |